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41. 海の小箱(2/2) [ことば・映像・音・食べ物etc.]

 先日或る画家に何年越しに触れ、その方の波動が静かで熱く、とても強く、大した時間では無かったにせよコトバや動作を超えて伝わって来る何かを感じました。
 帰路イロイロ思う内に、再び当ブログの映画紹介をどうしようか等と考えていたら、ふと或る邦画が浮かんで来たのです。因果関係は解りません。ふと浮かんだのでした。 帰路、副都心線の車内でトム・ウェイツを聴きながら浮かんだ邦画です。

 犬童一心監督『ジョゼと虎と魚たち』(上映はもう6年位前なのかな)です。それは或るヒトからの紹介でDVDで観ました。借りて観た後で何故かとても気になり、もう一度借りた後に決心して購入してしまいました。まあ、それ位ポンポンと購入することは出来ないエンゲル係数なのでした。 
 これは(10数年に渡って何故か敬遠してきた)邦画に、ワタシを連れ戻してくれた作品です。小品とも呼べそうな枠ですが、この作品の海に沈んでいる小箱には、どこかチープで、かなり素敵な、そして儚い煌めきが、たしかに詰まっていました。底には、静かで強い“熱”が潜んでいました。 
 脚本は、原作の小説とは又一味違ったひねり方で書かれています。
 若い俳優たちの瑞々しい煌めきが、フィルム全体に刻まれています。
 多くの場所で伏せられがちなテーマを、お泪頂戴にはせずに、所々コミカルに、けれど芯は詩的にまとめてあります。
 ストーリー自体は決して難しく凝ってはいません。時間軸も一定の流れで自然です。
 見どころの王道は誰かが何処かで語っているでしょうから、斜に構えたワタシが一点(話自体に捕われてつい見逃してしまいがちな)見どころを挙げるとしたら... それはズバリ、室内の美術の仕事です。金をかけた豪華絢爛さは微塵も求められてはいない映画の中、見事に古い木造の町営住宅に閉じこもって暮らす主人公の若い女性(足が不自由な障害者)の生活を、そしてその話の展開における変化を、微妙な家具の配置や、変更で、細かく表現しています。背景の小道具が常にそつなく考え抜かれています。一見、当たり前の事であっても、この辺りが手抜きの映画も多いものです。
 テーマソングがお決まりの場所で流れて来たり、ダラダラとバックに音が流れてれば良いってもんじゃない様に、絵の方も俳優の容姿や演技や起こっている主な事件が、前面に於いて明確であれば良いってもんじゃないですよね。
 そうとしか有り得ない "背景” があればこそ、主たるモデルが立ってくるんだと思います。絵画でいえば “余白の妙” というか...  そしてその関係とは “必ずや前後の時間やリアルタイムから、ベストと思われる配置や色が必ず在り、絶対的な呼応関係が在る” 筈だと思うのです。 幾つか冒険としての選択が在ったとしても、少なくとも、観る側にベストと思わせる “嘘” をついて欲しい訳です。
 フィルムは動いている訳ですから、背景もいつも同じ場所は同じであれば良いって訳じゃない。映像として観る側に提供される時には、決して違和感の無い様に、完璧な“大嘘” をついて欲しい訳です。
それが編集段階でのトリミングやトーン調整が活躍する場合もあるし、例えばこの『ジョゼと虎と魚たち』の場合は、室内の美術等に丁寧で細やかな仕事が感じられて、ワタシは何度観ても嬉しくなるのでした。
 あと一点、この映画での女優池脇千鶴の顔が映らない場面での、背中越しの細やかな演技も見どころです。これから観るヒトが居るかも知れない以上、興醒めするストーリーの種明かしはしません。
 余談ですが、ワタシは時々このDVDの“メニュー”でバックに流れている『くるり』のインストゥルメンタルが聴きたくなり、エンドレスでかけてみるのです。すると、あら不思議。どんな時でも平常心の自分に帰れる気がするのです。



 決められた予算、過不足ないスタッフで、決して代わりは居ない出演者、そして違和感の無い美術、舞台設定、カメラワークに音声や照明、メイク、加えて極めて重要なのが最終的な音楽と編集の仕事...等々と挙げ出したら切りはなく。それ程沢山の技術と知恵と、才能の結集で創り上げる、たった2時間程の “大嘘” が映画な訳ですよね。
 殴られた様な感動。ゆっくり染みてくる静かな感動。幾つもの解釈が可能な深い感動。それを観るといつだって元気になれる様な感動。それを再び観る為には、体調や心境を選ばなくてはならないような感動。感動にもイロイロあるもんです。 テオ・アンゲロプロス監督『旅芸人の記録』みたいな何時間もの大作は別として、多くの映画が1時間40分〜2時間20分くらいでしょうか。どうせ観るなら、ワタシはその時間内に見事に騙されたい!映画という大嘘の魔法” で、新たな目や、忘れていた何かを戴きたいのです。

 
 素敵な映画は、何十年と間を開けて観ても素敵です。以前と同じ感動もくれるし、違った感動もくれます。また映画の中には、或る一定の年齢で “一度は観ておいた方が良い” みたいな適齢期のある映画もたしかに存在します。
 ワタシは10代から学校をさぼってまで安いビデオ映画館や2本立て等を観まくってきました。以前20代に東京に暮らしていた際も月に最低1回は映画館に行くと決めていました。その後10数年間に渡って地方の山村に暮らしていた際はBSから録画しまくり、知人の陶芸家がやはり映画狂で(とてもイイヒトだったので)WOWOWから無料でバシバシ録画して定期的にプレゼントしてくれました。ワタシはお返しにパソコンから音楽CDを焼いてあげて、そんなまるで『はじめ人間ギャートルズ』時代の “海の幸と山の幸交換っ!” みたいな事をしていました。
 当時一緒に暮らしていた家族は皆映画好きだったので、“映画の日” を決めて一日に何本も観たりして「目が爆発してしまう〜」と叫びながら皆で外に出て、深呼吸して新たなコーヒーを煎れてから再び観たり。まあ、そんなに量を観るものですから、一度観て何かしら琴線に引っかかったとしても既に忘れてしまった作品もかなりあるのではないかと思います。

 今回、ここまで映画好きになったスタート地点は何処に在るのだろう?と考えてみたのですが....どうやら小学生の頃、夏休みに母親と妹と市民会館で観た東京大空襲 ガラスのうさぎ』だと思います。勿論、子供向けの映画です。勿論ワタシも子供だったので、「なんだろうこの感じは...」と初めてソコで魔法にかかったーって訳ですね。きっと、電車に乗ってわざわざ映画を観に行く感覚自体も初体験で嬉しかったのでしょう。 観た後で母親にねだって、原作本の高木敏子著『ガラスのうさぎ』を買ってもらいました。ワタシ達兄妹は、大人達の間では “物をねだらない子” で通っていましたが、その時ばかりは、作文を書くんだとか色々と理由をつけてねだったのでした。黄色い表紙だった気がします。
 実は当ブログの題に使用している ”硝子” というコトバのイメージの元は幾つか在るのですが、その一つはここから来ています。



 お気に入りの作品は時間を作ってでも、飽きる事無く繰り返し観ます。絵でも音楽でも同じですよね。その度に新しい発見や解釈を与えてもらえる。時には体調不良で中途退場したりもありますが。でも、必ず何処かしらからイメージが広がり、自分の日常生活の不満や疑問、人間関係を違った角度で考えられたり....
 だから、映画に感謝しています。随分助けられました。未だにずっとコレ無しじゃ生きれません。「アナタなしじゃ生きられない」なんてニンゲンの台詞はその場限りの浮き世の草みたいなものですわ。でも、映画とワタシは『エンドレス・ラブ』(フランコ・ゼフィレッリ監督)でありますからして!
 いつだったか「現実のジンセイがシアワセだったら、映画なんて観なくてもいいのよ」とジンセイの先輩が言っていました。聞いた時は「そうかも知れないなあ〜」と思ったりしました。でも今は改めてこう思うのですー あまり観れなくても仕方の無い時期はあってもいいけれど、いい映画に出逢えた時のシアワセは捨てがたい。学歴や師の無い自分のジンセイには “必須科目だよな〜” と。

 『ジョゼと虎と魚たち』の様に、エンディングの “その後” が観る側に委ねられている場合、感想どころか、ストーリーの解釈までもが様々に分かれたりするものです。ワタシやアナタや観る側の、過去の経験、背負っているもの、現在の体調や精神状態等に依って、大切なラストの捉え方が変わってきたりするものです。そして、再び観る時には又変わったりもします。やはり ”エンドレス” なのですね。
この様に、ワタシたち衆生は揺れ動いて生きていて当然な訳であり、そんな風に考えてみると....

   
 喩え “大嘘” であっても、”エンドレス“ に触れるっていいものです。
 
 いずれはワタシも、アナタも、この身は灰と煙になるのですから。
 
 確実に "ジ・エンド" があるのですから。  

 


              (今夜の脳内ミュージック/斉藤和義  “天使の遺言” )

ジョゼと虎と魚たち.jpg

 



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島の木こり

私の好きな映画ではなくあえて
私が感じた映画を挙げてみました。
イージーライダー
ワンフロムザハート
パリテキサス
ソフィーの選択
信頼
復讐するは我にあり
ダウンバイロー
ハーダーゼイカム鬼畜
フルメタルジャケット
ノーマンズランド
ファニーゲーム

等々数え切れません。

ちなみに「寅さんシリーズ」には思い入れがないのは関西生まれの関西育ちだからでしょうかね。


by 島の木こり (2009-06-24 17:54) 

gemini-doors

島の木こりさん。コメントありがとーです。
お元気ですか?雨が多い季節、お仕事で怪我に気をつけて下さいね!

うう、忘れていました。
挙げて貰った作品はおよそ8割方観てきましたが、緒形拳の主演した『復讐するは我にあり』を!
アレは来ましたね〜!間を開けて4回観ましたよ。緒形拳の怖さと女優たちの女っぷりに、若者心?がドキドキしたのを思い出します。倍賞三津子がラストで位牌を崖から撒くシーン&骨の欠片を齧るシーンが忘れられません。

実は....ワタシは大好きだった婆ちゃんが死んだ時にそれを思い出して真似しようとして、お骨を拾う際に「コレ一つ戴けますか?」と控えめに喪主に訪ねたら、「オマエっ、それはどうゆうことだ!?」と興奮してエラい怒られちゃって...親戚中の前で大恥をかいた経験があるんです。(もう10年以上前の事ですがね。)
そんな意味でも(どんな意味じゃ!)この映画は特別な一本です。

ワタシは冠婚葬祭大嫌いです。カタチばかりの親戚ってのも。
カタチも確かに大切だとも思うこともあるにはあります。でもケースBYケースが効かないカタチって、一体誰の為に存在するんでしょうかね?
婆ちゃんは三味線弾きで一年中着物のヒトで、ワタシはかなり影響を受けたのでした。いずれこのヒトの話も書く予定ですが、少なからず血の問題に関わると何処まで自分が書けるか、何の為にそこまで書くのか、難しいものです。
車谷長吉という作家をご存知でしょうか?彼の賞を獲り出すまでの作品にワタシは甚く敬服するのですが、なかなか彼の様に"生きている親類(親兄弟含む)を言葉で描く”のは並大抵の決心じゃ出来ない事です。どんな扉から取り上げても中途半端否めませんね。まあ、何に関してもそうですが。
結局ワタシはいつだって逃げながら、照れたフリしてごまかしごまかし書いているので、いつも欲求不満が残っています。まあ、そんなものかとも思いますが。

緒形拳はNHKのドラマで『破獄』って作品もビデオに録画して飽きる事無く見返したもんです。このあたりを黙って一緒に観れる(もしくはカンジル映画だと言う)ヒトは性別問わず、波長が合うんじゃないかなと思ったりします。
でも緒形拳死んじゃいましたね...けっこうショックでした。
或る意味やっぱり不器用な武骨俳優だったと思います。
“書”が好きで、本人も味の在る字を書いていました。

いやはや映画の話から何から、書き出すと止まりませんわ。パソコンにかなり慣れてきたのかしらん?
これくらいにします。 ではでは。
by gemini-doors (2009-06-24 21:51) 

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