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44. 傘/みんな途中#7 [旅・ヒト・ネコ他/『みんな途中』]

ちょっと久しぶりの更新。
書きかけの原稿?はいくつか在るのだけれど、手を入れる気力が湧かなくて。
まあ、本日の戯れ言を思うに任せて書いてみようと思う。

出先で傘を盗まれた。否、正確に云うと “傘を間違えられた” 。
今日、ワタシは半透明の白い安物の傘をさしていた。そして、或る場所でその傘を置いた。
用事を済ませて、その或る場所で傘を探した。無かった。「傘がないっ!」(井上陽水だね)
代わりに明らかに “女物の傘” がそこに在った。派手な水色の傘だった。他の傘も1-2本在るには在ったが、それはコウモリって感じの傘で、もう何ヶ月もそこに置きっぱなしといった態であり。充分に埃を冠っていて、ずっと「ソコにそうしていたい」と訴えている様でも「誰かここから連れ出して」と訴えている様でもあり。
周りにヒトは居なかった。水色の傘の持ち主らしき女性も居なかった。それらしき女性は先に、ワタシの白い傘をさして行ってしまわれたみたいだ。
「 代わりに置いておきますネ」その水色の傘は、まさしくそんな感じだったのだ。
時間も迫っていた。ワタシは水色をさして歩き出した。

また異なる場所に立ち寄った。傘を傘立てに立てかけた。
用事を済ませてから、傘立ての前で立ち止まった。
キャリアウーマン(なんて、どんな意味かはよくは解らないけれど)っぽい背の高い女性が傘立てから白い傘を取り出していた。取り出すのに難儀していたので、ワタシは自然と手を貸した。幾つかの隣り合う傘が絡み合っていたので、焦らずゆっくり1つづつ外して、白い傘を取り出した。コンビニで売っている様な安物の白い傘だった。
御礼を言われた。
そしてワタシは照れる事もなく言った。
「あのう...代わりに、と言うのも変ですが、もしよかったらその傘とこの傘を取り替えてもらえませんか?」
計画していた訳ではない。とっさにそんな機転が効いてしまったのだ。
ワタシは彼女に背を向けてガサゴソと “自分の水色の傘” を傘立てから引き抜いた。その “女物の傘” は柄の部分がやけに長くて、見つけるのも傘立てから取り出すのも、かなり楽だった。
「はい?」
「あ、いや...実はボクは今日アナタの傘に似た傘を持ち歩いていたんだけど、出先で間違えられちゃって。いつの間にか、この傘になってしまって...」
上手く説明は出来いもので。少し笑ってごまかした。
するとキャリアウーマンもほんの少しだけ、口と目の端で笑って
「私は別に良いですけど...本当にいいんですか?」「何だかその傘の方が高そう...って言うか、私はその方が嬉しいけれど。」
さすがキャリアウーマン!呑み込みが早いし、頭も切れる。
「だったら決まりですね。はい。」そういって水色の傘を真っすぐ彼女に手渡した。
彼女は白い傘をこちらに手渡そうとするのだけれど、なにせ肩から肘から3つも鞄を提げていて、片方の手には買い物袋も下げているものだから、上手く身動きが取れないのだった。
彼女が渡そうとした白い傘は、急いで受け取ろうとしたワタシの手をかすめて、パタンと歩道に倒れてしまった。「スミマセ〜ン。」「あ、いいですいいです。」
「じゃこれで。」「あ、どうも。」お互いに軽く会釈して違う方向へ歩き出した。
彼女は傘に頓着するタイプではないのだろう。いずれにせよ喜んで貰えたのだから、それはそれで良かったと思った。

帰り道、再び雨がぱらついてきた。
普段ワタシは、余程しっかり降っている時以外は傘をささないのだけれど、今日は細かい雨がそぼ降る中、白い傘を広げてみた。
その傘は、自分が何時間か前に無くした傘と殆ど同じタイプの、つまり何処にでも売っているタイプ、そう、一番よく電車の中にポツンと忘れて置いていかれるタイプ。安物のビニール傘だった。要は、戻って来たのだ。少しくたびれた姿となって。「おかえり100円傘。」
別に100円じゃないのに、もう少し高いのに、ワタシはそのタイプのビニール傘をなべて「100円傘」と呼んでいた。そのタイプの傘は文句も言わず、そこかしこに捨てられたり忘れ去られたりしている。そして今またワタシにそんな風に呼ばれても黙っている。

ワタシは空を見た。屋根の部分というか天幕の部分が透明で、そこから薄明るい扁平なねずみ色の空が見えた。
先程のキャリアウーマンから受け取る際、道に倒れて付いたのだろう。葉っぱ屑やアスファルトの砂粒も見えた。
どうせなら、何もかも、いっぺんに洗い流す程の本降りにならないかと、勝手な事を考えた。
土砂降りの雨を望んでいた。


以前地方に暮らしていた際は、台風直後のK川を見に行くのが恒例だった。
一度、台風のさなかにどうしても見てみたくなり、その衝動がとめられず軽自動車の1BOXに(強風に転倒しない様に)重しを積んでまで、荒れ狂う川を見に出かけた。
その際に見た景色、聞いた音、受けた衝撃等は、又いつか別の機会に書こうと思う。
台風や雷や津波や他、自然災害と呼ばれる被害を過去に経験された方に読まれたら、軽蔑されてしまいそうだが...併しワタシも又、幼い頃に実家で夜中の土砂崩れにあったのだ。忘れもしない、ジンセイを左右する様な出来事の一つでもある。
それでも尚、台風や大雨や雷に “血が騒ぐ” のだ。
勿論、嬉しいとか、楽しいとか、そんな感情ではなくて...何と云うのか...もうその時点での “どうにもならなさ” に、小さなイキモノとしてイキテイル実感を覚えると云うのか...
そんな勝手な事を!と言われたとしても、そんな勝手な事を覚えて(感じて)しまうのは、もう変えられない “イキモノとしてのサガ” なのかも知れない。きっと国籍や年齢や性別を越えて、ワタシは先ず、唯のイキモノなのだ。

浅間山の『鬼押出し園』が好きで何度か尋ねたことがある。(1783年の噴火の際に)逃げ遅れて煮えたぎる溶岩にのまれたヒトの跡に立ち、一応静かに手を合わせた。その際に色んな事に思いを巡らした。付近の景観合わせ、恐ろしく、そして美しい場所であり、何年か過ぎると再び訪れてみたくなる “呼ばれる場所” でもある。
数年前に娘と訪れた際、夕闇迫る中、溶岩の凹みの奥の暗闇でヒカリゴケが黄緑の蛍光色に光っていた。娘も「絶対視たい!」と言ったので、その光を見る為にも閉園間際までねばったのだった。本来その広大な地獄絵図のような園内自体が、まるで人魂でもゆらゆら彷徨っていそうな雰囲気なのだが、薄暗闇に浮かぶヒカリゴケの妖しく儚い光を視た時は、背筋に冷たいものが走った。園内に閉園を知らせる放送が流れるまで、ワタシ達は飽きる事なく小さな光を視ていたのだった。
『鬼押出し園』に行く度に、コトバや絵や音楽や、表現等と云うもののあやふやさ、それら道具を使ってのどうしてもの伝承以外は、或る意味では個人の排泄物で仕上げたオモチャでしかないような...何とも言いがたい感覚に陥った。
実体験にしても追体験にしても具体的な事象を前にしては、得てして考えなどはまとまらなくて当然かも知れない。
幾つかの扉を開けて、幾つかの暗い部屋をくぐり、“ふっ” と引いて、ずうーっと離れて視てみれば.....ヒトビトの為だけにある “文化” と括られる世界などは、海の泡の1粒や、風に飛ばされる塵の1粒みたいなものかも知れない。

少なくとも虚栄や嘘のコトバや、お決まりのカタチやスタイル等は、濁流に呑まれたり、溶岩に溶ける前に、きっと本来ならば今日位のぱらついた雨にも流されてしまうだろう。排水溝に消えてゆくだろう。本当はみんなが知っている筈なのだ。

はてさて排水溝から下水に流れた後、それらは何処で処理されるのだろう?
行く末は川に? そして海に?
そして空に?
そして再び雨に!?

Oh No~ それじゃあ傘が必要だ!



追伸/どうだろう?勝手なもんで...
こんな天気が続いていると、傘もつぶれる程の土砂降りの雨が降らないかなーなんて...
思ってしまったりするのはワタシ一人じゃないのでは?


       (今夜の脳内ミュージック/RADIOHEAD "Pyramid Song" )

夜、海への列車/自作イラスト(一部).jpg







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