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56. 奥へ /みんな途中#10 [旅・ヒト・ネコ他/『みんな途中』]

 以前暮らした山村では、夜になるとキツネや鹿やイノシシが現れた。アナグマやイタチも時々現れた。早朝の林ではリスや野ウサギに会った。日中もキジの親子やタヌキが現れ、フクロウ等の猛禽類から渡り鳥や小さな野鳥まで、出逢ったイキモノの種は数多い。

 家の食料の野菜の殆どを畑で育てていたので、自分達の生命線を守る意味で、獣対策は “静かな闘い” だった。色々と難儀した。被害対策っていうのか...そのイタチごっこを思い出すと、半分は獣の為に育てている様なものだった。

併し、現在となって思い出してみると....野生のイキモノは実に美しかった。季節毎に変わる毛波の色、姿全体のフォルム、その動作他総ては、一言で云うなれば唯ただ、美しく...それは喩え様の無いオドロキでもあった。高い金を払って動物園や外国に行かなくても、都心から車や電車で数時間の場所に、ワタシ達よりずっと美しく勇ましい野生のイキモノが今日も生きている。母国のイキモノが必死に生きている。唯、生きている

 

 そんな中で、山猿だけは好きになれなかった。はぐれ猿1匹と遭う分は互いの様子を窺いながらのコミュニケーションも楽しいが、何十匹という群れとの遭遇は思い出すだけで身の毛がよだつ。渓流釣りで突然下流から沢沿いに走って来たカモシカに遭遇した時や、ガサガサと揺れる熊笹の斜面の中から本当にツキノワグマの黒い身体が現れた時も、確かに身の毛はよだったけれど、その際は知識があったので割と冷静な自分も居た。或る程度の距離も有ったことで、腰を抜かしそうになりながらも其の自分を観ている自分も居たのだ。だが、猿に関しては何の予備知識も無かった上、度々のオソロシイ体験から、ワタシはすっかりあの “赤い顔” が苦手になってしまった。これは今後、もし申年の方がワタシに優しくしてくれた処で、そう簡単に治る生易しいトラウマではないのだ。興奮した野生の猿の集団に囲まれ威嚇された恐怖は、味わったものにしか解らない。

 

 一回目の体験は1993年頃だったろうか...ワタシはその地で糧を得る為に木造大工を勤めていたのだが、H町の深い森の中で別荘建築中に気がつけば猿の大集団に囲まれ、威嚇され続け、かなりの恐怖を覚えた。夕刻の定時が過ぎ、辺りが暗くなるまで、20数歳上の親方と二人で現場に(釘付けというより、缶詰めというより、)言うなれば、軟禁状態だった。その土地に何代も暮らして来た親方が「彼等のこの状態はちょっとヤバい。下手に動かない方が良い。」と表情固く言うので、ワタシもつられて表情固く、きっと苦笑いを越えて「参ったな...」とかなり引きつった顔をしていたと思う。「親方...どうするんですか?!」「どうもこうもしねえ。こっちが教えて貰いてえくらいだ。」え?ええっ〜!.....まさしくそんな感じだった。

 その後の或る夏の日、2回目の体験だ。同県M村にて、地図にも記されていない渓の滝壺辺りに当時の家族と涼みに出かけた際、ワタシが忘れ物を取りに少し離れた所に停めた車まで戻ったほんの15分程の間に、元妻と娘が猿の集団に囲まれ威嚇され大変に怖い思いをした。(当時は携帯電話等持たない生活をしていたので異常事態を知る由も無く)その際はワタシが戻り次第その異変に気付き、とっさに手頃な倒木を手にブンブンと振り回し、大声で吠えて暴れて見せた(魅せた?)ところ、事無きを得たのだった。それはNHKの動物番組等を好んで観ていたおかげか、記憶にあったゴリラの生態を無意識に真似た気がする。元妻は、自分達が少し動くだけで赤い顔の猿が歯を剥き出しにして威嚇して来るので、一時的に声も出なくなってしまったし、娘は初め「あ、お猿さんだ!」とは思ったものの、母親が血相変えてうろたえているのを見て、「変だな。」と思ったらしい。父親(ワタシ)が自分達の所へ近づけないのではないだろうかーと思ったらしい。帰路の車中、母親は恐怖から開放されたのか、いかにオソロシカッタかを雄弁に語りながら涙を流していたが、小さな娘はまるで泣かず、唇をきりっと閉じて真剣な顔をしていた。ワタシはと云えば「やっぱり猿はオソロシイな...」と思いながら、動悸の治まらぬ心臓を黙ってなだめていた。

 他にも飼っていた中型犬タムが襲われそうになったこともある。そんな経験をワタシは計4回程しているので、野生の猿はどうも苦手なのだ。ワタシ達に一番近い哺乳類、赤い顔、モンキーが怖い...

 

 併し考えてみれば、H町もM村も大自然ど真ん中とは言えずとも、標高3000M級の南アルプスの裾野にあり、元々は彼等の場所だ。そして、文明...否、そこまで大きく語らずとも、合理化や利便性の向上の名の元にないがしろにされてきた自給性や、イキモノ本来の食べる・寝る・子孫を増やす等の極めてアタリマエの営みの変化の末、かつては山と密接に暮らして来たヒトビトの暮らしも大きく急激に変わってしまった。跡継ぎの全く居ない森は荒れる。ひとたびヒトが手を加え管理しようとした自然は、ヒトが手をかけなくなれば、元通りに戻る訳ではない。増して一瞬で壊したものが、一瞬で癒えることはないのだ。ヒトの心と似た様なものだ。見えない所のバランスが崩れたならば、誘因はおろか原因の根本を探り、根こそぎ変えたり元に戻したり等と、そうトントンとは上手くはいかないのだ。ソコには合理主義も利便主義も効かない。どうにか折り合いをつけて、抱いてゆくしかないのだ。

 かつて生活と密着していた猟をする者は激減し、山に入るとしたら渓流魚を追う釣り人か、春秋の山菜採りか、はたまた自殺者か、くらいなもので。(これは冗談ではない。ワタシは幼少期に暮らした東京の端の山と、ここに書いている地方の山で、合計4人の自殺体を見てきた。観光地図にも載らず、国土地理院の地図なら真っ白な場所で、見も知らないヒトの自死した姿を視てきた。喩え名前も知らないヒトであれ、その遭遇も又、自分の人生に強い影響を与えたと思う。そこから考える事もあるので、いずれ書きたいと思っている。)ハイカーや登山者含め、観光客は決まったルートしか通らない “短期旅人” だ。何かしらのゴミは残しても、森に於いての輪廻に参加はしていない。旅人だから見えるものはあるだろうが、逆に旅人には見えないものだらけとも言えよう。そして、生き残った数少ない猟師もどき達は県からの委託指令で、作物やヒトが被害に遭った地区のみを重点的に銃をぶっぱなすだけで、山の奥深い所での異常事態を日々の暮らしの中、ひしひしと肌で感じる者は、広い目でみても僅かだろう。


 何かの折にワタシがこの様な話を地元の方に話出せば、そんな事を言ったって「仕方ねえズら」「時の流れっちゅう事ズら」等と台詞を仰るばかり、話題を変えることに努力を惜しまぬ御方ばかりだった。明確な答え等出せる筈も無いと分かっている事を、それでも唯事実として淡々と情報交換する事も時には大切だと思ったりする。まして大人がすぐ側に居る子供にしてやれることの一つは、命令調の理屈ではなく、唯暮らしていて気付いた事のアレコレだとも思う。逆に子供の気付きから教わる事も実に多いのだから。そうして視点は視点を呼ぶし、絡み合う。パートナーとも同じ筈だ。なのに大人同士は直ぐに好みで判断する。好きだの嫌いだの苦手だの...そんなレベルは大した問題じゃないんだ。黙ってこなしていれば、そんな域は越せる。自分にとって本当に大切なことを見つけたら、気が付けばそんな“好き嫌い”の域は越しているものだ。何もかもエキスにしている筈だ。良い意味でどん欲になれる筈だ。

 「それは私には関係ない」ーそんな事は無いのだ。全てが関係している。或る意味では、ありとあらゆる事象がアナタにもワタシにも関係している。逆にアナタもワタシも全てに関係している。だからここは“清き一票” をダメ元で「投票に行こう!」等という話ではなく、たった1人の己の今現在の存在の全てが、山、森、川、海に繋がり、生きとし生けるもの全てに繋がって影響し合っているんだ〜と日々の暮らしの中で時に意識する事が、ニンゲンだからこそ必要なのでは?と思うのだ。ヒトは孤独を感じて内省するイキモノだが、決して自分1人では存在していない。アナタやワタシのコレ迄も、実に微妙なバランスの上に成り立って来た筈だ。鬱に陥ると、それが意識されなくなり、まるで真っ暗な世の中に自分1人でポツンと居る様な感覚に覆われてしまう。苦し過ぎて線を越えてしまえば、死んでしまったりするのだろう。


 乱暴な物言いをすれば...ワタシは極端な都会の生活と田舎の生活と、両方を十数年づつおよそ同じ期間だけ体験して来た。計画してではなく、たまたま流れからそうなった。今再び、都会に住んでいると “ヒトの身体と本来の自然の微妙なバランスやサイクル“ というものを、日々リアルには感じられないことが、改めてよく解る。街のヒトが言う環境問題は、とかく卓上理論であり、購買意欲をかき立てる為の奇麗事羅列の雑誌の見出しよろしく、そのレンズのズーミングは偏っている気がする。(併しかく言うワタシとて、何処から何処へ流れようが、行動も思考もたかが知れているから、永遠に偏っているだろうけれど...だからこそ)唯、すぐ側に行くとか、暮らしてみるとか、食べるとか、話すとか、文字や絵にしてみるとか、色んなアタリマエの事がお互いに必要だと思うのだ。アタリマエの事をアタリマエと思わずに、立ち止まってみたり、ズーミングを変えてみるとか、色んな窓から覗いてみるとか。“お互い” とは、対ヒトでも対森でも海でも同じことだ。短期旅人では、都合の良い解釈しか得られない事が多いと思う。併しそれなりの小旅の充実感も知っている。第一、旅に呼ばれる心情は止められないものだ。恋の様なものだ。でも“深く刺したい・刺されたい”なら、アタリマエの事を実践しなくてはリアルは掴めないだろう。上手く言えないがワタシは改めてそう思うのだ。

 太古のヒトはそんなアタリマエの生き方をしていた筈だ。多くの人がアタリマエの事をもっと大切にしたら、よりリアルを求めたら、きっと現代人以外の全てのイキモノがみんな喜ぶだろう。”スローライフ” とか “ロハス” とか、何故に看板が必要なのか?企業戦略に乗せられてる場合じゃないよ。ちょっとソコの奥さん&お嬢さん、関連商品の消費じゃないぜ。なんで先ず買おうとするんかなあ...それにしてもみんな好きだよね買い物!呆れちゃうよ...。看板でもいい、もし多少なり気になるなら、先ずは自分の内側と会話するんだよ。黙って向き合うんだよ。過去と向き合うんだよ。「誰も教えてくれなかった。」じゃない、アナタが逃げているだけの事だよ。ソレ無くしてアカルイミライは無いよ。そう思うよ。(こうゆう事言ってると、いずれ再び今度は独りで仙人の様に山に籠るんだろうな〜)

 胸の内は夫々多様なものを抱えていて当たり前であり、“好き嫌い” も胸中のどこかで感じていれば良い事。ワタシも音楽や映画や服の好みが顕著だ。例えばハリウッド映画は好まない。例えばJポップは聴かない。ワンピースに弱い。蒼井優が好きだ。夏なら小豆アイスだ。ところてんだ。生クリームプレイがしてみたい。(あ、スイマセン。調子に乗り過ぎました。一寸反省。一寸だけ。)あと、絶対にポテトサラダにリンゴやミカンを入れないでくれ!別々に食いたい...だが、こんな戯言ではなく、身の回りのあらゆる事象に対して ”好き嫌い” を判断基準として、いつも口に出して出していると、そのうち自分が自分の言葉で呪文にかかると思う。そして時には大切なものまで見失ってしまうのではないだろうか? いつまでも物事を “好き嫌い” で判断している主は、ザ・自信過剰に過ぎないと思う。そっと教えてあげても「だって嫌いなものは嫌いなんだもん!」ときたら俺は呆れて引いてゆく構図だ。好き嫌いの触覚だけを堂々と掲げる者は “裸の王様” だ。王制には王制の良さもあれど、少なくともこの国は王制ではない。恋人関係も夫婦関係も王制なんておかしいだろ?おかしいよね?(はたまた脱線しまくりだ...)


 (話を過去に戻そうー)悲しい事に、そんな “唯、話す” 事ーそれが出来る方は、得てして他所からの移住者の内の1匹狼的な方ばかりだった。見かけが変な奴、変わり者と呼ばれたりする奴、一見で何屋だか判らない奴ばかりだった。その内、森の奥深くに入ってゆくヒトは極々一部だった。行かない理由を挙げれば、行きたいけれどヘビが、熊が、イノシシが、鹿が怖い。ダニが、ヒルが嫌だ。蚊やブユに刺される。薄暗くて何となく怖い。忙しい。行きたいけど、そんな「時間が無いから行けない」etc...  多くの方は、自分の住居敷地内に居ながらにして感じる美味しい空気や美味しい水、多くの緑や広く青い空を求める。半自給自足的な ”本来あるべき姿とは?” みたいな思考で、”田舎暮らし” に憧れる。良い頭で描いて飛び込む。それでも、少なからず過去のしがらみを断ち切って実際に移住に踏み込んだ人達は、或る意味では勇者だ。憧れるだけなら誰でも出来るのだから、何にしても実際にやった者は勇者だ。実行者は頑張り屋が多い。だから、いざ笑えば皆さん笑顔がいい。シワがいい感じだ。味のある顔をしている。男も女も味のある顔は素敵だ。その後の生活が過去に思い描いていた理想と大きくかけ離れていたり、夫々の悩みは必ず抱えていたとしても、自らの意志で思い切って人生の舵を大きく切った者には “或る潔さ” が滲み出ている。或る意味で “捨て身の孤独” の匂いがする。それって悪いもんじゃない。むしろイキモノっぽくてイイ。顔や手指には必ずイキザマが出てしまう。その造りや皺の話じゃない。立ちのぼるオーラの様なものだ。誰からもそのヒトなりのオーラが出ている。オーラが魅かれ合い仲が深まったりするのだと思う。気を付けていても無駄だ。それは長い積み重ねが滲み出てしまうものだから、化粧や仮面ではコントロール出来ないのだ。


 自分達の飲み水の水源を実際に見てみたいとか、歴史に消えてしまった(直ぐ近くについこの間迄ヒトが息づいていた)廃村を訪ねてみたいとか、道無き森を行ける所まで探索してみたいとか、動機はどうあれ実際に行動してから考えるーそんな者は “変わり者” と見なされるか ”暇人” と呼ばれるかどちらかであった。世間は狭く、田舎もソレは同じ、否、田舎の方が他人の厳しい目がそこかしこに潜んでいる。或る意味田舎とは、つげ義春の『ねじ式』の目玉の看板だらけの絵みたいなものだ。自分から知らせないのに、ワタシの行動なんて直ぐに知れ渡ってしまうのだった。(実に怖いよ、田舎の他人を観察する目は。例えば...車で30分のホームセンターで買い物後に、他家の奥様と仲良く話そうものなら、それはワタシ自身が忘れてしまう位の事なのに、数日後には何故か元妻から「〜さんと随分仲良く話してたんだって?」とニヤニヤ尋ねられて、逆に妙にドギマギしてしまうーなんてのが田舎のオソロシイところの一つなのだ。例えば、最高の天候条件の或る日、仕事を早引けして自宅とは逆方向の溪で釣りをした後、夕闇迫る県道を時速60キロ位で車を走らせていると、数日後には元妻から「この間、変な時間に〜の辺りを走っていたんだって?」と尋ねられ、「え、ソレ話したじゃん。〜川に釣りに行って来たんだよ。釣って来た魚、食ったじゃん!」「そうだったっけ?」等という始末。何処に居ても悪い事は出来ない。嗚呼、話が変わってしまった...苦笑。)そんな時間の使い方は、「あいつは変」で、「暇だから〜」と見なされる。みたいだ。否、見なされた。(苦笑...)でも別にいいのだ。そこら辺の他人にどう思われ様が知ったこっちゃないセイシン” で行かなきゃ、自分のジンセイは歩めない49. 黒いサングラスはもう要らない(2/2)』でも記したけれど、誰でも理解者と思い込めるヒトが1人でも居るならば、どうにか生きてゆける筈だ。問題はお互いの折り合いだ。メリとハリだ。

 

 そう云えば...ヒトの話を聞いていて、いつだってこっそり溜め息が出てしまうのは「時間が無いから出来ない」という言い訳。其処かしこで耳にする。ワタシも言ってしまう時がある。で、いつも思う。時間は作るもの” じゃないだろうか? そいつは ”出来ない” のではなく ”やらない” のだ。自分のジンセイ時間の近いところの管理は、他でもなく自分がしている筈だ。会社に指示されようが、家族に合わせようが、"自分が決めてそうしている” のだから。“したくてしている” のだ。“やらない” のも自分だ。その道を選んだのは自分。なのに現実には、ここを間違える甘ったれが実に多い気がする。ここを間違えるから、自分以外に責任転嫁したり、争いの元に成る。今日も世界の何処か、お隣りご近所で、大小の差はあれ戦争が勃発している。原因の一つはココに在ると思う

 こっそりと誰か大切なヒトに、時には「仕方無くてさ〜」なんて言い訳をしたっていいだろう、許してもらえるならば。そんな苦しい胸を少し告げ合い、それで深まる共感・培う関係もあるだろう。けれど "総て己が選んだ道である” その事を自分自身が忘れたらアウトだろう。 ジンセイは一回こっきりなんだ。光陰矢の如し。歳と共に時間の経過はどんどん早くなるんだ。ワタシだって思い切り甘えたい。損得抜き、虚栄も羞恥も脱ぎ捨てて、どうせなら後先考えず甘えてみたい。そんな温かい胸があるならば。でも甘えるのは布団の中だけがイイ。他人のせいにする責任転嫁の甘えは、ステキな何をも産まない。冷静さが有ってこそ、冷静さを潔く脱ぎ捨てられる時も在るのだと思う。でもでもでも、やっぱり時には無防備な迄の ”不冷静さ”(凄いねコノ言葉。笑!)もなくちゃ....そう、生きている甲斐も無いしね。ケースbyケース。メリとハリがいい

 

 

 犬のタムや娘と道無き森を無計画に歩き回る時、思わず強い何かの力(気)を感じてしまう様な巨樹や、ひっそりと可憐に咲いた草花に出逢う歓びは大きかった。観光地図に無いお気に入りの場所を何カ所か持つ事は、生きてゆく力になる。ヒトやヒトが作ったモノの見当たらない風景の中で、思いっきり底の方から呼吸が出来た時、身体中の細胞が声をあげているのを感じる時がある。其処には、販売機も椅子もソファもテーブルも、まして遊具等何一つ存在しない。だが、娘は行きたがったし、いつだって「そろそろ帰ろうか?」と呼びかけても、粘りに粘るのだった。保育園での目つきとは別人の娘がソコに居た。まあ本人は『もののけ姫』を観てからは、ヤックルに跨がったアシタカ(男の子だね...)に成り切っていたーだけのことだが....(泣笑!)凄かったんだから、あの映画の影響は。長い間、娘はダンボールの筒で作った鞘を背負って木の枝を振り回し、ワタシが竹と凧糸で作った弓を肩から下げて、大人には見えないヤックルを連れ歩き....それは凄かったんだな、長いこと....。完全に「負けた」と思ったよ!

 きっと、子供はテレビが好きで仕方無いーのではない。子供がゲーム無しでは生きれないーのではない。その様に大人(親)が仕立て上げるのだ。 昔、知り合いに「私って何も無い所って駄目なのよね。」という女性が居た。「キミの言う"何も”って何?」とは尋ねなかったが、このヒトには絶対に近づけないと思った。「きどってんじゃんねえよっ。」と思った。それ以上仲良くしている暇は無いと思った。消費に翻弄され、いつも化粧仮面を被っているヒトは、ワタシのエネルギーを吸い取っても、パワーをくれる事は無い。ギブ&テイクが成り立たない。男女とも八方美人の調子良さにも我慢ならない。信用成らない。みんな、ワタシには嘘をつかないでくれ。嘘なら嘘で、死ぬまで騙して欲しい。ワタシも又、不器用なのだ。否、ワタシこそ、もう極端に頑なな部分と柔軟な部分と、異種混合競技が常に胸中で開催されている。それでいいと思っている。きっと壁を作って、何かを守ろうとしているのかも知れない。そうしないと、いざの時に開けなくなる気がするのだ。ここもメリとハリだ。

 

 (話を戻そう。)一方で、荒廃してゆくばかりの渓流や森の姿に、何とも言えない気持ちを常に抱えていた。ワタシがその地に暮らし始めた1990年代から、たった16年の間に、悲しいばかりの凄まじい変貌は本当に数えきれない。地元のヒトは「仕方ねえズら」「仕方あるめえし」と溜め息まじりに呟く他は、子供達がみな街へ出てしまった静かな家に残り、狭く痩せた土地を耕しながら、ゴルフ場やレンズ工場を誘致し、ついには共有財産であった7町歩の山を東京都のS区に売っぱらった。ワタシが移住して数年後にその大規模工事は突然始まった。ワタシは組の仕事には早朝からかり出されるものの、氏子でもなかったし、ましてや共有財産は関係なかったから、何一つ知らされていなかった。何一つ知る由も無く、或る日突然、デカい音をたてて重機が動き出した。目の前で直ぐ近くの山がどんどん姿を変え、ついには消えてゆく様を見たのだ。ショックだった。実にショックだった。それは幼い頃、昭和40年代に育った土地で何年にも渡って見て来た事でもあった。「又かよ....」と思った。否が応でも受け入れるしかない目前の事実。ドウニモナラナイ事。これも又、或るリアル。

 そして、共有財産の山を売って得た札束は、各家に過去のなにがしかの都合に比例して分配された。或る家は茅葺き屋根をぶっ壊し何処にでも在る木造と漆喰のコロニアル屋根の家に建て替え、或る家は屋根だけコケの生えかけた瓦からピカピカの銅板に張り替え、或る家は立派なブロック塀を高く積み上げるのだった。仲良くしていた隣りの一人暮らしのお婆さんには幾ら入ったのだろうか...縁の下が腐って多少床が抜けて開け閉めが出来なくなった押し入れを、地元出身の大工に頼んで修理していた。数日の木工事だった。お婆さん、残りのお金は子供達や孫達に少しずつやるんだと。子供5人も居てみんな出て行っちゃって、小遣いでもチラツカせなきゃ尋ねても来ないんだと。

 

 S区は広大な土地に生えていた素晴らしき雑木の殆どを切り倒し、根を引っこ抜き、山を削り、平らにならし、赤松ばかりを薄っぺらい林の列で切り残し、他各所は造園デザイナーの描いた通りに(その土地に等生息していなかった)白樺やイチョウを植えた。何年かに渡っての工事中、その一部始終を目にする事は胃が痛くなる様な思いがした。大木がどわーんどわーんと倒される振動を感じる度に、言葉に成らない怒りに似た何かが育っていった。テレビや本で得る環境破壊等の情報より、或る生々しいリアルが其処に在ったのだ。併しそれは同時に、ワタシ自身が「オマエは何処から着て何処へ行くのだ?」と、まるでゴーギャンの大作の題名そのままを己に問うことでもあり、きっとその問いは、今もこの身体の中を止め処無く流れている。

 直接的な被害の話をしよう。禿げ山となった土地を日々こねくり回すブルドーザーの舞い上げる土埃が、700メートル程離れた我が家の家の中にまで飛んできて閉口した。洗濯物は茶色くなった。窓が開けておけない日々が続いた。我が家はその現場より南に位置し、そこから約2キロ先は標高差100メートルのフォッサマグナの断層、その間は地下水の道があまりに深く、別荘も建たない森だった。7町歩の山が消え、追いやられた動物達の殆どがこの森、つまりワタシの家の目の前から始まる森に逃げて来たのだと思う。この大工事が始まって以来、冒頭に書いた様な畑に於ける問題が急増したのだった。急増なんてものじゃなく、以前は問題なんか無かった。せいぜいカメムシやヨトウガの幼虫等の害虫対策に工夫が必要なくらいだった。以前は県道でキツネやタヌキが車に轢かれる等という事も無かった。そんなにトロい奴等じゃない。以前は夕方や早朝に、我が家のポストの前で巨大な鹿と鉢合わせ等という事は無かった。(鹿はデカいからやはり驚く。デカい鹿は角の分もあってもの凄く巨大に見える。こっちも固まる。急所なんか縮み上がっちゃう。向こうは背筋をピンと伸ばして固まる。鹿は必ず姿勢よく固まる。必ず睨めっこになる。揉め事にはならない。直、向こうが立ち去る。残されたこちらは、心臓の音を感じる。自分達の構図、その絵を思い返し、後で微笑んでしまう。畑を荒らされるのは堪らないが、鹿も又とても美しい。抜け落ちたツノを集めていた。)

 タマムシやミヤマクワガタをはじめ昆虫・小動物の或る種の激減や、山間大型動物との遭遇機会の増加をはじめ、記憶に残る事象や事件を書き上げたら先ず一冊の本には成るだろう。そしてこの問題はどんな視点から鑑みてもワタシの能力では一冊の本に等まとめられない。いつだって、長い長い輪廻のサイクルを、ニンゲン様が大きく急激に壊すのだ。ワタシ達など存在するずっと以前からの静かな営みを、ワタシ達がほんの一瞬でいとも簡単に壊すのだ。利益を産む為に、ボタンを押したり、スイッチを入れたりで、つまりは破壊するのだ。この事を理想論だけで短いスパンで語ったり、逆にあまりに俯瞰し達観し、或は極論をぶったところで意味は無いだろう。と云うより勇気も無いし、せいぜいがこんなものだ。脱線しながらの自己確認が関の山だ。無理したって自己嫌悪が進むだけだろう。難しい。なるべく出来る範囲で邪魔しない様に生きたいけれど、近くには居たいと思う。輪廻の。

 

 そう云えば...ワタシは天然記念物の上、この地域では絶滅宣言が出されたニホンカワウソに出逢った場所を娘以外には伝えなかった。周囲にイキモノ好きが何人か居たので、(ワタシの中の子供の部分が)話してしまいたくて仕方がなかったが、話さなかった。ニンゲンが一人でもその地に足を踏み入れないことの方が大切だと思ったからだ。独占欲も強いワタシだった。自分と娘と二人だけが、カワウソの住む溪を知っている、その 「“秘密” がいい」と思った。きっとワタシ以外にも、その溪でカワウソをたまたま目撃した者も居るかも知れない。だが、梅雨の晴れ間の早朝、未だ朝日が昇らぬ頃、川霧が立ち込める中、渓流魚を求めて車止めから何十分も無名の沢を登る者はそうは居ないだろう。居たとしても秘密を大切に生きれるヒトであって欲しい。いつだって秘密が育てるものは多い(大きい)のだ。

 太古の歴史スパンから鑑みれば、ニンゲン様が中途半端に手を入れたり、管理してきた森や林は、永遠に手をかけてやらねばならないだろう。富士山麓の樹海に足を踏み入れれば解る様に、多種多様に渦巻き、絡み合い、微妙なバランスの上に成り立つ混沌の森にしてみれば、誰の手も足もかけて欲しくはないだろう。ワタシは申し訳ない気持ちを抱え、とても都合よく自分だけは許してねみたいな傲慢さを抱え、或る程度のハプニングに備えた装備で山奥や溪に分け入った。きっとニンゲンのワタシ等、そこに居る総てのイキモノは歓迎してはいなかっただろう。

 けれどもその時間とは、野山で遊んで育った昭和の子供時代の延長でもあり、常日頃から肩なのか背中なのかピッタリ貼付く息苦しさを、気がつけば忘れて夢中になれる貴重な時間であった。だから時間を作っては、何度も足を運んだ。10数年の間に仕事以外で尋ねた場所の殆どは、名前等無い、地図では白っぽい場所だ。“何も無くて全てが在る”ーそんな場所ばかりだった。

 

 ワタシは(格好良く申せば)いかにお金をかけないでセイカツをするかを実践する為に移住した様な者だったので、どんなものでもなるべく作ったり、修理したり、代用したり、応急処置の連続でごまかしたり(ごまかしが多かったかな?)そんな姿勢で長らく生きていた。勿論、富良野麓郷の黒板五郎の影響は大きかった。が、元々昭和40年代の東京の端っこの田舎に育った自分は、実家が貧乏だったのが幸いして、そんな 創意工夫ごちょごちょ作業しながら暮らす事が、極普通の事であったのだ。『北の国から』は、ロックバンドに明け暮れ “乱暴なセイシンで乱暴に暮らしていた” ワタシに、新鮮な風をくれた訳ではなかったのだ。単に思い出させたきっかけに過ぎなかった。

 そして今は何故だか東京に暮らしている。いつまでも居るつもりは無いが、さしたる予定も無い。オソロシキ無計画。大敗から退廃の道か?生産すりゃいいってもんじゃない事は解っている。生きる事自体の罪ばかり見つめていても始まらない。併しこの旅はとっくの昔に始まっていて、気付けば半分以上こなしてしまった。やはりワタシは少し生産もしてゆきたい。育てたい。何を?......それは愛? 何言ってんだか....歌謡曲じゃあるめえし。

 

 

 例えば絵を描いたり、文を書いたり、歌を歌ったり、舞台で演技したり、釣りをして獲物を捕ったり、家をセルフビルドしたり。又は自然や環境について、己の排泄や食事について違った角度で考えたり。そんな行為は決して素晴らしいことでも大それたことでもなく、本来は御飯を食べたり、身体を休める為に寝たり、本能として異性と抱き合ってまさぐり合ったり、或る見方をすればそんな行為と何ら変わりはない様に思ったりする。何の為でもない、唯そうやって、そいつが生きているだけ、人生時間の或る過ごし方のだ。

 総ては唯、生きて、いずれ死ぬその時までの時間を過ごしている。お金持ちも貧乏人も、どんな肌の色のヒトも、男も女も中間のどこかのヒトも、何処の国のどんな家庭で産まれどんな道を歩こうが、イキモノは皆生まれた時点で “死への旅” へまっしぐらだ。道がどんなに曲りくねっていようが、己のゴールはその身体が消えて無くなるその時であり、時間軸にのっとって進んでいるだけだ。後戻りや、もしも〜は絶対に無い。

 

 ワタシ個人が森や海について考えたり、何かしたところで...等といじけた考え方は持っていないし、かといって一切あらゆる集団や運動に加担するつもりはなく。もし課題を掲げるとしたら...素直に己を開放して向かってくれるヒトには、素直に開放して向かうだけだ。あえて掲げる事でもないのに課すのは何故かと問えば、虚栄心や羞恥心にまみれた過去の自分が小さ過ぎて、結局は損をしてきた気がするからかも知れない。

 柔軟な開放。意味を求めず味わう。樹や魚や蝶や花がそうであるように、また、ワタシ達の胃腸や目や耳等それぞれの器官の働きが本来はそうであるように、それは本当は極々当たり前のことだと思う。そんな当たり前の事が一番難しいなんて...。 ワタシは死にそうになったり、死にたくなったりして、帰って来た気がしている。どうにか此処で立っている、弱くてだらし無い唯の中年。だけど何故か、どうしても好きな絵や、音楽や、ヒトが、確かに居る。けれどもそんな好きなものやヒトや “〜の為に生きる” なんてのは安っぽいドラマの台詞であって、ワタシは私の為にしか生きれない。ワタシがワタシの為に真っ直ぐ生きる事で応えた方が、きっといいんじゃないかと思うし、本来はそうとしか出来ない気もする。少なくとも努めるべきは其処だと思う。

 素直に開放。対応。向かい合う。唯生きる。ーそれはニンゲン以外が極普通に、当たり前にやっていることなのに、なんてワタシ達は不器用でひねくれているイキモノなんだろうか... 。「ココロという厄介なものが在るから仕方無いよ」ではなく...それが在るからこそ、諦めたくないよね。

相手が恋人でも、夫でも、妻でも、魚でも、鳥でも、樹でも、そして自分でも、少なくともその相手を大切だと “感じる” ならば出来る筈だ。皆、稼いだり、化粧したり、悩んだり、泣いたり、結構自分自身を大切にはしているのだから、それくらい出来る筈だ。己が今後もイキルならば、出来る筈だ。

 今回、以前暮らしていた地方の山村付近の話を、何故書き出したのだろう?何を確認したかったのだろう?きっとこれも又、唯この様にしてジンセイ時間を潰しているだけの事なんだろう。選んでそうしている訳だ。

 ワタシはこれから何処へ行くのだろう....

 

 

走って通り過ぎず、立ち止まってしばし佇めば、ほんのちょっと解る。解った様な気がする。併し、解っちゃいないんだろう。ノロくていい。もう別にいい。溜め息も出るが、又元気にもなる。結構強い。弱くて強い。

同種族、同業者、クラスメイト....井戸の大小あれ、横ばかり気にしても不幸に成るばかりなんだ。茶色や緑色や青色を気にしていたい。赤い色は嫌でもココに在るから。

キミもそのまま、群れず、独りで触れれば解る。孤独から逃げても始まらない。ヒトは永遠に孤独なイキモノなんだ。孤独をしっかり抱いてゆく時、初めて愛を知るのだろう。身体で、そう思う。

何にしても金を払って表面を撫でてたって、リアルを掴む前に時間ばかりがどんどん過ぎてく。

掴みたければ、虚栄なく、素直に。もっと素直に。素直に奥へ。

陽水の『夢の中へ』じゃない。『奥へ』だ。己の森の奥へ。

 

 

どうせアナタもワタシも、いずれ尽き、朽ち果てる身なんだ。

奥で消えたっていいじゃないか。

 

 

 

 

       (只今の脳内ミュージック/TOM WAITS "All The World Is Green"

ピーター・ドイグ「閉ざされた峡谷への旅館」(一部).jpg
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