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58. 白い旗  [詩/『半月と硝子のブイ』]

白い旗

 

胸締め付けられるほどの想い

息苦しいほどにやるせなく

寄り添い 求め合い

与え合い 奪い合う

慣れ親しみ

安らぎも覚える

そして...

馴れ合いのエリアで

擦れ違う

 

いつしか摩擦熱がうとましく

幾つものお座なりの重なりが

恐竜の骨でも出て来そうな

厚く 重い地層と成る

 

争いの果ての静けさと

逡巡の中の小爆発

彼方此方で小競り合いの末

足下に地雷がバラ播かれる

 

小さな自分が

あるべき姿なんてナイモノネダリして

掲げた旗は

何色に染まっていただろう...

 

 

今なら解る やっと少しだけ解る気がする

こんなに遠くまで泳いでから

やっとこさ解った気がしている

危険だけれど視えたんだ

掲げるべき旗など

僕にはもう無いんだ

それでも掲げなければ

前に進めないと云うのならば...

 

今から未来は

小さな白い旗を そっと掲げて

ホフク前進しようかと思う

狡くても それが

僕が消滅手前で見つけた星だから

 



 

 近日作。宣言。8/15も過ぎて白旗振ってみた。当頁を今は亡き祖母に捧げたいと思う。


 いつだって隣りの芝はひたすら青く、花は赤い。ワタシの鼻は呑み過ぎて赤い。隣りや横との比較は時に意味はあれ、より不幸を招く可能性も秘めている。なのに、誰もが知らず知らず、何か見えない呪縛モノサシを基準に、上とか下とか標準とか常識とやらに囚われてしまいがちで、勝手に苦しむ。自ら囚われる。本来は悦びや悲しみとは極めて個人的な感覚で、しかも瞬間的なものの筈なのに、だ。何歳になっても、どんな経験を重ねても、ヒトはちっぽけな存在でしかなく、小さな井戸の中でもがいてしまう。幾ら本人が長時間それを噛み締めている、つまり “苦しい” とか “辛い” と公言していても、それは瞬間瞬間の積み重ねを味わっているだけで、実は常に総ては移ろいゆくものだろう。虚ろに移ろいゆくのだ。ベース生きること、ソレ自体が哀しいことなのに、ヒトはジタバタしてしまう。だから、よ〜く気を付けて噛み締めて、味わう意識を持たないと...まあ、度々書いているけど『光陰矢の如し』って訳だ。「気がつけば今、今コノ時になって立ち尽くす私」って羽目に成る。中森明菜『少女A』をコピーした青年Aも、アレ?気がつけば中年A。気がつけば壮年A。気がつけば老人A。誰もがいずれは、少なからず髪は薄くなり、視力も弱り、歯は脆くなり、背は縮み、おっぱいは垂れ、おちんちんは立たなくなるのだ。哀しいけれど、そうなのだ。


 生きてゆく中で一杯素敵なことが在ったとしても、「長生きするとシアワセが一杯待っている」なんてのは、奇麗事の安っぽいセリフであって、自らが日々意識して気付こうとしなければ、何だって簡単に通り過ぎてしまうのではないだろうか...

 以前、ボス清志郎が某NHK番組出演時に若者に向けてメッセージを求められた際、次の様に言っていた。「オトナになるってことは楽しいことです。素晴らしいことです。いっぱい楽しい事が待っています。」と。10代からずっと彼を聴き続け大きな影響を戴いたワタシは、彼が照れくさそうにはにかみながら、且つしっかりとした口調でカメラを見据えていつに無く凛とした態度で話しているのを聴き、驚いた。そのシンプルな言葉が妙に印象に残ってしまった。当時既に30代後半だったワタシがワタシに問うていた。「オマエはオトナなのか?もしオトナだとしたら、どうだ、楽しいか?楽しんでいるのか?」....その答えは苦しかった。


 ”楽しい”ってどうゆう事だろうか?本当の楽しさとは何だろうか?それは...唯、待っていたって、唯周囲ばかり気にして生きていたって、味わえる感覚じゃないと思ったりする。一体、本気で彼の様に言えるオトナがどれくらい居るだろう。彼は、賜物のアノ唯一無二の声と、シンプルなコードやリズムの中で、感情や考えを母国語で解り易く表現する術を、初めから才能として備えていた。だが併し、ワタシの知る限り、彼を一言で喩えるならば努力のヒトなのだった。へばりつき、しがみつき、もがきつづけるしつこいヒトだった。己に対して、&一人の女性石井さんに対して。彼はイヤミや皮肉をズバッと言い放つ怖いもの知らずな一方、なかなか本心の内の弱音を口にしなかった事実は広く知られている。が、彼が相当にしつこい性格だった事はなかなか知られていない。きっとその事は、この国ではマイナスイメージなのかも知れない。この腐ったビジネス至上主義のいわゆる先進国では。いつだってワタシ達に届く情報は、発信元の利益追求の操作が在って当然な訳だ。でもワタシは思ったりする。 しつこさは生きてゆく上でとても大切な要素ではないかと。好きな世界や好きな人にしつこくなくて、どうして奥まで行けるだろうか?奥まで行けずに、本当の “楽しさ" も "気持ち良さ" も無いだろう。アナタがオトナならダブルミーニングが解るだろ?すかしてたって駄目さ!きどってるなよっ。そんなに氷の上を滑りたいか?ワタシは氷の下、奥の方迄もぐって探ってみたい。喩え途中で心臓が止まってもいいから、そいつを追いかけてみたい。俺だけのそいつを。好きな相手なら内蔵の奥まで触れたいんだ。それって佐川君みたいかな?アベサダみたいかな?他人がどう思おうと勝手だ。他人の目や意見ばかり気にしている人は、きっと心の何処かで麻原彰晃になりたいんだろう。他人をマインドコントロール出来ると無意識に思っていたりするのだ。そんな己の傲慢さは決して鏡には映らない。目には見えない。

 いつまでたっても孤独から逃げていたら、いつまでたっても同じ失敗を繰り返すだろう。どうせ生きるなら違う失敗をしようじゃないか!ヒトは皆、一人で生まれ、一人で死んでゆくのが真理。「それは違うわっ。」と言う奴が居たが、以後ワタシは黙るしかなかった。誰の事もコントロールなんかしたくない。するべきでもない。しちゃいけない。それでも一人では生きてゆけない。深く関わらなければ真の “楽しさ” や “悦び” は得られない事を、きっとオトナのアナタは知っている筈だ。深く奥で関わりたいならば、自然としつこく成る筈じゃないだろうか?勿論ストーカーって意味じゃなくて、だ。ストーカーは最低だ。盲目の極みだと思う。


 兎に角、現代人はクールに決めている(コレも死語か!?)つもりなのか、他者や他世界と深く奥で関わる事を恐れていると思う。恰好ばかりつけてるオトナが多い。若い内に粋がるのは可愛いで済むけれど、いいオトナが恰好つけて虚勢を張ったり気取っているのは、正直ナサケナイ。虚栄は直ぐに見透かされてしまう。得てして長続きもしない。一方では、臆病な姿勢も備えるとか、心の底で畏れを抱くことって結構大切だとは思う。でも、楽してシアワセだけ願ったって、そりゃマスターベーション止まりだ。それはそれで、ソレナリニ気持ちいいんだろうけれど、ずっとじゃ虚し過ぎる。ワタシ達は猿じゃないのだから。(アナタがオトナならココも解るだろ?)そればっかしじゃ世界は広がらないし、待っているだけじゃ、本当の安らぎと興奮、つまり “楽しさ”って遠のいたままなのではないだろうか...?そして個人の安らぎと興奮、つまり ”楽しさ” なくして、平和もヘッタクレも無いんじゃないだろうか?平和という言葉がヒトの概念でもあるならば、平和とは何も起きない “無音の世界” の事では無い筈だ。“楽しさ”とかシアワセ感は、自らの常日頃からの意識が無くては掴めないと思うのだ。ワタシやアナタ、一人一人の意識こそが平和にまで繋がっていることを、今日どれだけのヒトが一回でも意識しただろうか。否、やはりここで他人は関係ない。問題は常に自分なのだから。そう己に言い聞かせ、叱咤激励する或る意味生まれ変わったワタシなのだ。44年間人生やって来て、 "生まれ変わった” と意識出来たのは今、初めての事だ。“初めて”って何でも楽しかったりする。そしてアッとという間に過ぎてしまう....


 相変わらず、いい歳して腐った根性の甘ったれた奴が居ると直ぐ殴り飛ばしてやりたくなる衝動も奥で抱えるワタシだが、表向きにプラカードは掲げなくてもボランティア精神に欠けていても、真の平和こそを願っていたりする。世代的&環境的にギリギリ、戦争体験を身近に聴かされて来たおかげもあるだろう。だが、一番は幼い頃から実家が安らげなかった事に原因があるのだろう。平和とは武器を使わず、ヒトを殺さなければ良しという問題ではない。"平和"....文字にするのも少し恥ずかしいが、夏だから今回は勇気を出して書いてしまおう。

 ワタシは若い頃、暴力を受けたら暴力で倍にして返して来た時代があった。が、娘が産まれた事で確実に違う何かが育った。本当にその小さな命を愛しく感じた。前に亡くした子供が居たのでより一層だったかも知れない。当時愛し合っていた筈の元妻とは長いこと争い別れてしまった。もう金輪際あらゆる争いは二度と懲り懲りだと思う。どんなに求め合っていても、閉じたままの争いから ”平和” は生まれない。互いのココロがひび割れるだけだ。周囲のココロもささくれるのだ。ひび割れたココロはなかなか治せない。だからこそ思う。足下の平和なくして何も始まらないと思う。大切なプライベートを置きっぱなしにして、表舞台でプラカードを掲げても、それはおかしな話だ。会社や外でイイ人や常識人をこなしていても、家庭に帰って無言とか、横暴とか、台所で戦争とか...ありがちだけど全くおかしな話だ。近所でも毎晩ドンパチやっている。季節的に窓を開放しているからよく聴こえる。夫婦間、親子間で罵声が飛び交う。どうかしてる。どうかしてる家庭ばかりじゃないか!だが、ワタシも又、そんな家庭に産まれ育ち、一番憧れて作った筈の静かで温かい家庭を壊した張本人なのだった。 消せない過去はどう背負ってゆけばいいのだろう...?お互いの傷は、娘の傷は、いつか癒える時がくるのだろうか?否、もう解っているんだ。14歳になった娘にも教わった。頑張って生き抜けばいいのだ。それしか出来ないのだから....

 友人、恋人、夫婦、親子、そんな世界の最小単位の社会の中で争っていて、世界の平和は来る筈ない。エコだなんだと地球の環境保護と同時に、否その前に、今日、目の前の大切な一人と仲良くせずに何が始まるというのか。或る言い方をすれば「見つめるべきは、地球や海外や世間の前に自分達。自分達の前に自分。」の筈だ。個人の成績や名声やは本当に大切なことを前に、何の役に立つだろうか?総理大臣も、医者も、教師も、犯罪者も、アイドル歌手も、サラリーマンも、自営業者も、アナタもワタシも、みんな可愛い頃、青臭い頃があった。でも夢見て多感だったあの頃、何を探して必死だったのか....ココロでは何を求めていただろうか....


 

 さて話は様相を変えるがーオトナになってゆく過程でステキなことの内の一つが「段々子供に帰る」ことだと考えてみよう。そこには又見方を変えれば “歳をとること” の一つ老化が含まれ、つまりボケるとか、痴呆の問題が含まれるのならば、それは誰しもにとってかなり大変な事でもある。兎に角、誰かしら他人の世話にならなければ日々の生活が安全に送れないとか、お他人様に迷惑をかけるとか、そんな状態はとんでもなくオソロシイ事でもある。尚かつ誰もに他人事じゃなく、"避けて通れるか否か" が本人に判らないーときてる。

 誰もが避けては通れない老化の問題は、刻一刻、時間の経過と共に近づいて来る。病気や体力、やる気つまり精神力しかり。若い頃はそんな事は全く考えなかった。祖父母を思い出したり、仕事先で老人と関わったりしても、老化等どこ吹く風といった感じで、取り組んでいる事で「成功出来なかったら“魔の27歳”で死ねばいいんだ」と嘯いていた。振り返ると「成功って何?」って思わざるを得ないのだが、そんな生き方をして来た当時にしても「オマエは何かを死ぬ気で頑張ったのか?」と問われたら、胸を張ってYESと答えられなかったと思う。怠惰な性分が多分にあった。直ぐに葉っぱや刹那に逃げてしまう弱さを抱えていた。 そんな自分がここまで生きてしまった。肉体は既にピークは越えた。ここ数年、怪我や病気が続いたからだけではなく、日々の暮らしの中で気力でカバー出来ない何かを感じる。確実に越えた山が在ると意識する。身体とココロは密接な関係で絡み合っているから、体調を崩すと精神も直ぐ不安定になる。逆もある。このリズムや質を、他人や世間と比較しても苦しいばかり、不幸を呼ぶだろう。似たヒトとなら過ごし易いか...

 つまり、先に書いた要所で必要な “しつこさ” と、このドウシヨウモナイ自らのリズムや質との “折り合い” が掴めなくて、ワタシは長い間もがいて来たのかも知れない。“大切なのは結果ではなく過程であり、先ばかり思案していても何も始まらない” ことはとっくに教わっていたのに、ワタシはその過程を楽しめないニンゲンだったと思う。側に居たヒトは大変だったと思う。過ぎた日々に言い訳は効かない。申し訳ない。

 

 

 今、季節は盛夏ってことか。蝉の鳴き方も変わって来たから盛夏も過ぎたか。 先日、指圧院の待合室で老女二人が「もう思い出すだけで嫌になるから戦争番組は観ないんですよ。」「そうですか。まったくねえ。あの頃は...」なんて結局長々と当時の話をしていた。ワタシは最後迄聞いていたかったが、順番になり名を呼ばれたので席を立った。祖母を思い出していた。祖母の事は年中よく思い出すのだが、毎夏15日前後になると特に色んな思いが込み上げて来る。

 祖母はワタシと二人切りになると、よく戦争の話も含め「ジュンちゃんには未だ全部は解らないだろうけれど、お婆ちゃんの話を聴いて頂戴。」(下町育ちの祖母の口調は、今思うと『寅さん』調だった。)と前置きしてから、色んな話をしてくれた。ワタシの母親と祖母は仲が悪かったので、祖母はワタシと二人になるとリラックスして饒舌になるのだった。このヒトにだけは優しくされた記憶しかない。箸の持ち方や姿勢には厳しいヒトではあったが、叱られた事はあっても怒られた記憶が無い。他の大人は皆、己が感情に支配されたままワタシに怒鳴り、怒り散らすばかりのヒト達だった。だからワタシは祖母が一番好きだった。というより、妹と祖母以外の他のヒトが遠かった。

 

 祖母は片目の三味線弾きだった。片方の目は第二次世界大戦の末期、東京大空襲の際に江戸川区にて避難の際、焼夷弾の破片で失ったそうだ。小唄の“お師匠さん” だった。一年中、着物のヒトだった。ワタシが音楽好きになったのは多分に祖母の影響が大きい。彼女は7年程前に逝ってしまった。

  彼女の通夜の灯明守りで、それまで温厚そうで無口な印象しか持てなかった義叔母がわざわざワタシを誘い「二人でロウソクの火が消えない様に見てあげましょうよ。」と言った。ワタシは当時、地方に暮らしていたので遥々飛んで駆けつけた疲れもあり、既に従妹達と灯明守りを23時間はした後だったので、少し休みたかった。儀式は儀式、カタチでしかないという冷めた考えもあったワタシだった。例えば「泣く事や、神妙な顔や、誠実そうに見える態度をする事が大切なのではない。そんなものは自分を納得させる為の行為でしかない。涙は自分に酔っているだけだ。」と考える斜に構えたところも多いにあったし。確実に今より若さもあった。だがその夜、結局ワタシは朝方の2時間程横になった以外は誰よりも長く灯明守りをしていた。結局そのような役回りになったことに不思議な気がしていた。「カタチなんかどうでもいい」と思っていた自分が、何か異質の感覚を覚えた気もした。色んな景色を思い出していた。堪らなかった。

 

 義叔母は実質長年に渡って祖母の世話をしてきたヒトだった。ワタシはそこで何時間かに渡って、いかにボケた祖母の世話が大変であったか、苦しかったかを長々と聴かされた。聴いてワタシは正直その内容に驚いた。或る意味、壮絶なものがあった。静かで強い口調だった。そんな義叔母も初めて知った。ワタシは長きに渡って両親にも祖母にも、当然義叔母にも会わずに遠く離れて暮らしていた。ボケてからの祖母をリアルには知らないのだった。唯、祖母はボケ出す以前に、未だオムツをしていた(彼女にとって初ひ孫の)ワタシの娘を抱きながら、「ひ孫を抱けるなんて、アタシゃ思わなかったよ。」と涙ぐんで呟いた。ワタシは彼女の壮絶なジンセイを聴いているだけに、黙って横顔を見ていた。それが祖母に会った最後だった。

 "看護" の大変さは、NHKスペシャル等テレビで知る限りだった。某県に暮らした時、県の自然監察官で野鳥の鳴き真似が上手い“変なオジさん”と、ワタシが描いた鳥の絵を持って老人ホームを慰問した事があったが、たった数日で知るリアルさ等、実際の看護のリアルに比べたら比較にも成らないだろう。ワタシは「親の看護等、無理だ」と平気で思うニンゲンだし。だからってそれを他人に頼む為の金を貯めるどころか、未だに自分が食べてゆくだけで精一杯だ。好きなヒトが出来てもおごってやる金も無い。そのくせCDやDVDは買ってしまう。葬式ばかり行くが、その際だけ会う親に香典を出してもらったりする。出してくれるものは断らない主義だ。ナサケナイ。或る意味最低だ。従弟や知人の結婚式すら、誘われても行かない。行かない事で疎遠になる事を何処かで望んでいるのかも知れない。親戚は遠い存在だ。経験からその感覚が染み付いてしまった。併し、葬式には何か断り切れないものがあり、出席せざるを得ない。結構悪い事もして来たから、つまりは罰当たりなジンセイだから、行かないと「バチが当たるんじゃないか?」と思ったりして、臆病者のワタシが参列する。全てがノロいから遅れて行ったりする。だが交通費さえ痛い。何と云う告白か... でも今更恰好つけても始まらない。

 

 義叔母の言葉が忘れられない。「兄さん達(つまりワタシの両親)には言えないもの。ジュンちゃんにしか言えないもの。ごめんね。こんな事、聴かせてごめんね。......でも、ヒトが ”生きる”って大変よっ。大変な事よ...」ワタシは従妹達の中で一番上の男子でもあったし、義叔母の中で昔のワタシは"大人の話を聴く優しい子”で通っていたのだろう。だから、解っていた。感じていた。これは宿命だ、と。今この場で、こうして、この “言いたいヒト” の話を黙って “聴くこと” が自分の役回りなのだ、と。ワタシは今日迄、彼女の言葉を誰に話す機会もなく歩いて来た。ヒトが ”生きる”って大変よ、大変な事よ・・・耳の奥に貼付いている。



 生涯忘れられない言葉の内、ヒトの口から聴いたナマの言葉は、得てして難しい文句でもなく兎角シンプルな内容だったりする。他の場所で他のヒトから聴いても通り過ぎて忘れてしまう様な、たわいも無い内容だったりする。なのに予想も出来ない直ぐ側の未来で、不図、或る時、或る場所で、或るヒトの口から突然出た言葉が、聴いた自分の耳の穴を通って、いつの間にか身体の何処かに住んでしまう。良いも悪いもなく、唯その言葉が、この身体の何処かに住んで居る。困るなあ〜と思う時もあるし、噛み締めてちょっと前向きになれる時もある。


 そう云えばー他人の話を聴いて「それは〜ということですか?」と、直ぐ自分の言葉に変えたがる癖を持つヒトは多い。若い内は特に。口に出す出さない関係なく、ワタシもそんなところがあった。自分のモノサシや秤に還元しなければ気が済まない訳だ。併しその癖は治した方が良いと、振り返って思うのだ。頭で解ろうとする一生懸命さで、見失うものは多かったりする。焦るのは仕方無い。でも、急がば廻れ。解らなくても、そのまま抱いてゆけば感じる時もあるだろう。だが、感じれない時もあるだろう。問題の核は常に自分であり、相手ではない。世間や社会ではないんだ。これに気付く事が出来なければ、ワタシは思春期にヒトを殺していたと思う。ワタシは "怒りと不満の塊" みたいな若者だったから... だからこそ今思う。「それは〜ということですか?」と尋ね直す思考の癖はおかしい。損をしている。相手が道具として選んだその言葉が、どこかしら気になるならば、そのまま抱いてゆけばいいのだ。真剣な会話は “闘い” ではない。それも又(先に書いた)生きる “楽しさ” であろうから。この広い世界の中、その時、その場所で、“互いのジンセイ時間を選んでそうして過ごしている” のだから。その交差の点は、或る意味で “奇跡” の点だ。死にそうになってみれば誰でもハッキリと解る(感じる)筈だ。でも実際に死んじゃったら解らない。アタリマエだけど。でも、アタリマエの事を頭で考えるのと、身体中でリアルに実感するのとでは大きく違う。改めて記せばー楽しさ”とは、意識して開かねば掴めない(感じられない)“一瞬一瞬の積み重ね” だと思う

 まあ、ソレ程言葉を選んで会話している場面も、日常生活上そう多くは無いだろうけれど... 四六時中じゃ疲れてしまうだろう。少なくともワタシは、アナタが恰好つけず本気で向かって来た時には、本気で返すだろう。ワタシ自身の為に。アナタはアナタ自身の為に。そこを忘れずに居ようじゃないか。恰好つけるな。臆病でもいいんだ。さらけ出せ。我等は皆どうせ大したもんじゃないのだから...



何かが直ぐ解る程、誰も神ではない。

頭で解ろうとすれば、それだけ見失うものも多かったりする。

空や、海や、森を、頭で理解出来る奴が居るんだろうか? 理解したいとアナタは思うだろうか?

雨の後の空の虹を見上げて、嫌な気持ちになったり、気分が悪くなる奴が居るだろうか?

その時アナタは瞬時に頭ではない扉(door)を開いて、感じている筈だ。

言葉も、絵も、音楽も、全身で感じるのがいい。その方がきっといい。


言葉はツールだ。絵の具や音符もツールだ。

それ自体にイノチがあるとしたら...

それは観たり、聴いたり、読んだりした者の内、

静かに抱き続けた者の内側でのみ、芽吹くだろう。

 

 


      (只今の脳内ミュージック/THE BEATLES "Happiness Is A Warm Gun"



竹山の棹と手.jpg


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