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59. 夏の終りの明るい夜 [詩/『半月と硝子のブイ』]

『夏の終りの明るい夜』

大型の台風が去り
珍しく空気が澄んだ夏の終りの夜
まん丸く こんなにも鮮やかな月は久しぶりで
否が応でも君の顔を浮かべてしまう

たくさん寝ないとダメな君だから
今頃は もう寝ているかも知れないね
それとも無理して夜更かしをして
お気に入りの物語でも読んでいるのかな

もしも本当にまだ起きていて
その部屋の何処かには
あの頃に僕が描いた下手くそな
でも君が好きだったあの絵が
黙って掛けてあるとしたら
どうだい 今夜は
僕の云うことを聞いてくれないか

ほんの少しの間でいい
灯りを消して
窓の外をじっと見てごらん
暫し 其処から見ててごらん
ほら 今夜は外がこんなに明るくて
昼間はうなだれていた花や木も
まるでお喋りしている様で...

草陰では
気の早い虫達が
勝手気ままに唄っているし
林の方からは
何匹か獣の子供達の
じゃれ合う様な声も聴こえて来る


あゝ
やっと少し 涼しい風が吹いてきたね
まだ寝付けそうに無いけれど
そろそろ 僕も横になるよ


この地上に
君が居ないなんて...



明月に
おやすみ




2003年作の改訂。当たり前な話だが、内容は創作を含む。否、創作でしかない。が、地方に暮らしていて確かにこんな明るい夜があった。月明かりにキツネの子供達が田んぼのあぜ道で踊る様に遊んでいるのを見た。そして、ワタシはギスギスした美人より、月の様な人がとても好きなのだ。かなり甘ったるい感アリだが、コレも又己の一部分。季節的に掲載時期かなと思った。涼しくなってゆく感じは、嫌いじゃない。

つい先日迄、このアパートの近くでは “夜の” が鳴いていた。
真夜中に「ジー、ジー」とアブラゼミが鳴いていた。つまり寝苦しくて布団の上で寝返りを打ちながら、夜中のワタシがそれを聴いていた。

今朝、目が覚めたらもう蝉が鳴いていた。一瞬「今日もかい!?」と思ったが様子が違う。
一昨日辺りからの夜風はどことなく涼しくて、今朝にしてもタオルケット一枚かけるだけでは足腰が冷えた気がした。だから、気が付けば鳴いていた蝉は、ツクツクボウシだった。オーシンツクツク、オーシンツクツク...って奴。

地域標高によって環境によって、生き物の行動体系の時期的なズレはあるものの、例えば蝉の種類その成虫発生というか鳴き声の聴こえ出す順に大差はない様だ。近年ミンミンゼミは減っているかと思われ、特に上京してからの夏はもっぱらアブラゼミの声ばかり目立って感じられる。ジージーという彼等の鳴き声はやはり子供の頃からの夏の記憶と重なって、年齢を重ねた分その身体の記憶も積もってしまった様だ。あの声を聴くと、暑ささえも倍増倍増されて感じられる。目を閉じると、夏っ〜!って感じに。(まあ、目を閉じなくてもいいけど。)
そして、直ぐにアイスキャンデーが食べたくなる。ワタシの場合小豆アイスが。小豆ならカップのかき氷でもバニラ風味でも、或は水ようかんが出て来ても、一気に機嫌が良くなってしまう自分。というか昭和40年生まれのワタシの時代、育った地域の駄菓子屋等のアイスボックス内にそれ程の選択肢は無かったので、その内に「僕はみんなより小豆が好きなのだろうな」と自ら呪文にかかった気もする。他の子が殆ど選ばない人気のないそれを選んで食べる方が、何だか嬉しかったし、オトナっぽかった(と思い込んでいた)し、事実美味しかったのだ。水ようかんは御中元に届いた物を一日一個と決められて食べた御馳走だった。缶の端っこの寒天の透明な部分やほんの数粒入っている小豆を、貴重な気持ちで食べていた。
ワタシはホント天の邪鬼で、心は『豆の木ジャック』だったと思う。そして、今のところ『切り裂きジャック』にはならずに済んでいる。ナイフでさばく獲物は魚だけでいい。他で刃物使用の予定も無い。唯、コトバの刃傷に苦しんだ経験が有るから、自分でも注意したい。このブログも数年迷った末恐る恐る始めた。いつ辞めてしまうか判らない。尚、アイスは小豆味、かき氷なら宇治金時だ。ここは浮気しない。不倫しない。


都会の “” は室外機の温風とアスファルトに蓄熱された熱たちが、逃げ場が無いあまりに漂っているーそんな感じがする。あの生温い風に当たりたいとは思わない。なのにどんな風でも無いよりあったほうがマシ、となってしまう事態。これこそが盛夏。真夏である。だからといってサザンやザ・チューブ等一切聴いて来なかった人生だ。後者等名前を書くのも恥ずかしい。なのに書くワタシ。けっこう自虐的?...かも知れない。M?No。じゃS?No。否、どっちもYesってことで。そうだな、一度位は気心知れたヒトを縛ってもみたいが、自身が縛られてもみたいかな。でも止められなくなったらドウシヨウ...ワタシの場合、どんどんエスカレートしそうだし。以前、図書館で拷問や猟奇事件関係の本にのめりこんだ。「昔の道具は美しかったし、人の行為の何処からが異常かの線は難しい」等と、いつだって言い訳や説明なんてものは言い様があるものだ。ワタシが本のページをめくる時に、原始的或は本能的な興奮が無かったとは決して言い切れないと思う。拷問の道具ばかりを一枚の絵に閉じ込めたことがあった。そしてその後に2つの詩を書いた。絵の中には分度器やコンパスも描いた。描く時は線も色も、ソレ等道具一個一個のカタチや色のを見つめようとして、詩を書く時はソレ等の道具で行われた具体的な行為ではなく、人が人を裁くという歴史の繰り返しの中に今日が在り、又何処かで人が人を裁いている事実だけを見つめたつもりだった。いずれにしても犯罪という視点は何処かに置いて創作していた。兎に角、はまった世界は結構追求するタイプだから、緊縛は簡単に始めない方がいいだろう。大体が相手が要ることだ。(しまった...書き過ぎた...苦笑。な〜んて。こんな事は別に大した事じゃない。)

以前地方で暮らした家は標高も高い地域にあり、地形的にも南向き斜面で陽当たり100%。何処もかしこもアップダウンのきついクネクネ道で東西南北へ伸びるどの道も標高差最低100メートルあったので車は一人一台持たないと暮らしてゆけなかった。徒歩で行ける場所に清流は無かったが、車で10分の距離に大きな一級河川が2本流れ、そこからの風や水蒸気によって、よく霧が発生した。一年に何日かは車の運転がおぼつかない位に前が何も見えない程の霧が出た。併しその霧は時期的には作物によい作用が多かったし、室内に居て眺めている分にはなかなか良いものだった。簡単に “幻想的” 等と表現仕切れない位に、なんだか不思議で素敵だった。
そんな場所に家があったから一日中風を感じない日がなかった様に思う。付近は林だらけ、そして休耕畑と休耕田だらけだったので、そこかしこに緑が溢れかえり、季節によっては気持ちが負けて滅入りそうなくらいの、むせ返る緑であった。緑、緑、緑。だからがあった。
は気温差で起こる。木の陰や水辺で、目に見えない色んな作用が働いて、或る言い方をすればその摩擦が風を引き起こす。差があるからこそ、そこに風が産まれる。高温と低温。光と影。陽と陰。明と暗。風が産まれるには違いが必要なのだ。風を感じられた時は、それ以前に何処か上(かみ)の方で、何かの差によって摩擦(良い争い)が起きていたのだ。それはまるで恋の様なものだ。違うから好きになる。似ていて、違うからこそ好きになる。仕事でもなんでもそうだ。永遠に差や違いがあって、摩擦が起こり、風が産まれる。“新しい息吹” が其処に在る。新しい事をしたり、新しい製品を開発する事がスバラシイと言っているのではない。 『ツィゴイネルワイゼン』他、名作を撮った映画監督、鈴木清順はかつて記している。「テレビと車がニンゲンを駄目なイキモノにした」と。ワタシもそれらが在ってアタリマエの世の中に、あっという間に成ってしまった流れの一端を見て来た世代の一員。失くしたものはとてつもなく大きいと思う。「今更何を言う」と考える御仁は多かろう。唯、ワタシは口だけオトコじゃない。テレビは自分の人生から抹殺したし、車も手放して久しい。在ってアタリマエなんて事物はこの世の何処にも無いのだ。空気さえそうだ。守らなければ足りなくなる。アナタやワタシ一人一人が、意識しなければ色んな物が一つずつ消えてゆく。否、どんどん失われてゆく。でも都会を離れたらやっぱり車は欲しい。これがワタシだ。1BOXに乗ってからは他の車に興味が湧かない。旅先で寝泊まり出来るのはいい。車での遠出も好きだが、常に畏れは隠し持っていたいとは思う。

“新しい息吹” という言葉にワタシは何を託したかったのか?それはきっと見えない部分、いわばココロって奴の問題だろう。“楽しい” とか “涼しい” とか求めるならば〜の話だ。言わばココロの涼しさ。夏だからって訳ではない。近松門左衛門の作『曾根崎心中』で主人公の“とくべえ”が命をかけて追い求めたものもコレなのだろう。ココロの涼しさ。濁り無く。難しい。でも「有り得な〜い!」と言ってしまったら、その時点で負けだろう。世間や社会にではなく、自分に負け。本来は、他人に負けるのなんてどうってことない問題なのだと思う。そんなことを死の間際に悩まない筈だ。悔やむとしたら、それは己から逃げたか否かーだと思うのだ。 問題は、自分に負けて良しとして生きるのか否かーなのだと思う。併し、「私は勝ち続けている」と意識されたならば、それはその時点で自惚れ(傲慢)だろう。人生のアレコレは全て、決して “勝つのが目的のゲーム” じゃないのだから。ボッス作『7つの大罪』に於いても、絵を観る限り“傲慢” はかなりの罪の様だ。

昔、友達の家で人生ゲームは夢中になった。併し、いい歳した大人が「人生はゲームだっ!」とか言い放ったり、“恋のゲーム” を楽しんでいると思い込んで、結果自らを安売りしている色オトコ色オンナは、正直ナサケナイ。傲慢だ。恋はゲームなんかじゃない。逆にそれは格好悪い。格好良きゃいい訳じゃないけれど...
そして、「面倒臭いから」との言い訳をちゃんと用意して、異性に興味が無いフリして独りの気楽さに逃げ込んで良しとしている独身貴族勤め人もナサケナイ。金だけは地道に貯めていて、自分への投資と称して海外旅行ツアーなんかに行かなきゃならないと思い込んでいたりする。他人に深く関わるとか、恋愛とか面倒臭いって?そんなの勇気がないだけじゃないか!はっきり言うが、そんな人は自信が無い訳じゃない。何様かになっちゃっている自身に気付けていないだけだと思う。或る見方をすればそうなのだ。下手に理想なんか持つから、初めの一歩が進めないのだ。全ては相乗効果であり、好き嫌いではない陰陽の全てを絡みながら越えてゆくからこそ絆が生まれる(育まれる)という事が、やはりレールを外れず転ばず歩いて来た者にはワカラナイのかも知れない。そして、何よりもっとナサケナイのは...秋葉原をうろつかなくても自室にてバーチャルな世界だけ生きて、アニメの異性にイっちゃってるオタク。キャラクターに憧れるヒトビト。ワタシには到底信じられない。はっきり言ってキモチワルイデス。
この国の一億総ロリコン主義傾向は、或る意味、法に触れなくても罪だと思う。予備軍製造工場だ。ワタシはつんくなんて犯罪者だと思っている。法に触れないだけで、彼が先導した功罪の罪の方は大きいと思う。ホリエモンや小室哲哉だけじゃない、今もそこいら中に、悪知恵を流行やセンスという言葉で化粧して、本性を隠したまま世の中を悪い方へ悪い方へ引っ張ってゆくオトナ達が居る。
アイドルを “カワイい” からって奉ったり騒ぎ立てる行為も、もしくは家族中で夕餉の団らん時にテレビは点けっぱなしで、そんなバカアイドルや芸能人が騒いでいるバラエティ番組を観ている等という行為も、本当に愚かの極みだ。親は「仕方無い」と言い訳しないで欲しい。そして、お母さんの愛情がこもった手料理を前にして、ろくに皿も眺めず食べさせてもらった感想も言わずくちゃくちゃしながらテレビを観ている子供が居たとすれば、その子供には罪は無い。間違っているのは、それを許してきた親たちでしかないのだ。その家の大人が無責任過ぎる。強いては若けりゃ良い、つまりは “中身より見た目” って事を、或は明るければ良し、或は面白ければ良し、つまりは重く無く軽く速攻で反応するのがベターだと、知らず知らず子供に教えてしまっている構図だ。それは誰もが皆、歳を重ねて老いてゆく上で、時間はあらゆる者の上に等しく流れるのに、その事実を否定している構図なのだ。時間は止まらない、その事実からの逃避だ。考えなきゃ解らないだろうと思う。併し、子供を作ったのなら、親に成ったのなら、オトナならば、考えなきゃ駄目な事は一杯あるんだと思う。考えるフリじゃ変わらない。実行しなきゃ。でも一人じゃ無理。側に居る一番大切な者であるべき家族が話し合ったり協力し合ったり出来ないのは、それまでの親一人一人の生き方が “他人まかせ” だったからに違いないのだ。結局は自分の人生を前向きに生きたく無いのか?そう思えてくる。そんな筈は無い。食べ易く美味しいものを食べる事が毎日のストレス解消だったりして、それで本当にいいのだろうか?老化のたるみ以外で、ブクブク太った己の醜さを、エステだダイエット食品だなんて金をかけて、本当におかしいとは思わないのか?ついでに、“飽食(暴食)” も『7つの大罪』の内の罪の一つだと記しておこう。
話が外れたか...?ワタシの暴発 “憤怒” によって。それも又7つの罪の一つだった。併しホントそんなものでいいのか?そんなで皆さん満足なのか?本当に楽しいのか?世の中を悪くしているのは法を破った者だけだと思うのか?法律なんてニンゲンがいつだって後手後手につくった振り分ける為のモノサシでしかないんだ。
今からそんな毎日で、幸せを感じるのか?せっかく生まれて来た子に、そんな軽薄な楽しみしか与えてやれないのか?時々高くて贅沢なもの食べさせて時々何処かお決まりの施設に連れて行って、いったいそんな楽しみを教えたくて子供を作ったのかい?唯、流されているだけじゃないのかい?簡単に子供なんて作るな!「少子化に歯止めをかけているんだ。」なんて嘯いて何人も子供を作って、放任主義なんて言い訳を用意して、結局は老いた親に面倒をみさせて夫婦共働きしている御二人が居たが、ちょっと違うんじゃないかと思った。
呼びかけてもテレビの音がウルサくて聴こえないんだろうな...。喩えとっさに消したところで、日々の積み重ねで汚染されたテレビ脳は、なかなか治せないらしい。パチンコ中毒と同じ症状らしい。本当の話だ。

多くの者がやっている事が正しいのでは決してない。世の中が今こうだから仕方無いなんて事はとんでもない。ワタシ達の国民性には、どうしても横並びの線から外れる勇気が無く中庸安泰に甘んじる傾向が有り、孤独な時間・行為はまるで寂しく、良くない悲しいものと捉えがちな傾向が有る。一番極端な例をあげれば...この国を大きく大きく変えた戦争への流れは、一部の先導者だけが悪いんじゃない。ましてや、天皇が悪いんじゃない。戦後にアメリカから戦犯として裁かれた者だけが悪いんじゃない。この国の民みんなが止められなかった、つまりは止めなかったーそれが事実なのだ。
ここでワタシは良い悪いを書こうとしているのではないんだ。“自ら流れる”のと、“あまり考えずに流されてよし”と生きるのとの違いが、強いては社会全体、つまり世の中を善くも悪くも、楽しくも悲しくもするんじゃないか?と問うているだけなんだ。生きていれば、自らのチカラではどうにもならない事や、唯受け入れるしかない出来事は必ずやってくる。隕石が落下するかのごとく、突然やってきたりする。けれども、だからこそ毎日のセイカツが一番大切なのだ。大切なヒト、好きなヒトと、御飯を食べたり、並んで寝たり、並んで歩いたりする...唯、それだけの事、普段アタリマエだとさえも認識出来ない様な日常を、どうか後悔の無い様に精一杯噛み締めて欲しいのだ。そうした方が、皆が、社会が、この国とかじゃなく世界がシアワセに近づくと真面目に思うのだ。
報道されない戦争の全て、各家庭、そこいら中のカップル間、総てのヒトビトの間の悲しい摩擦=争いは辞めて欲しいのだ。楽しい摩擦は心地良い風を産む筈だろう。
これが、親の不遇な生い立ちや祖母の障害によって、規模の大小関わらず戦争(争い)について身近に感じざるを得なかったワタシが、自らの以前の家庭生活への反省や後悔も含めて、今思う小さな叫びなのかも知れない。
さて、NHK&深夜番組等大好きだったワタシは苦労しなかった。テレビ本体を抹殺したから。テレビを殺しても法には触れないのだ。意志が弱い者は余計に、時には或る潔さを発揮して進まなければならない。


川風、谷風、山風、木陰からの風....思えば長いこと、色んな風を感じて暮らしていた。そういった意味では、本当に贅沢な暮らしだったと思う。風は、種や色んなものを運び、又は洗い持ち去る。植物も、動物も、人間のワタシも、その恩恵を受けていた。“” によって活かされていた。

小さな事だが、自分にとっては大きな事の一つ。上京して3回目の7月の頭、アパートの軒先に風鈴を吊した。
遠くからお客が尋ねて来てくれるのを前に部屋を大掃除した際、何か要り用で100均ショップに行った。広い店内の一角に格子状のじゅう器が吊され、そこに5種類の風鈴が何十個も下がっていた。ワタシは衝動的に買い求めた。今年の夏迄は気が回らなかったのではなく、何かを拒絶していたのだと思う。ここの処を上手くコトバに出来ないし、する必要もないだろう。
どこにでもある南部鉄風鈴。否、正確に云うと南部鉄風に細工した風鈴なのだけど。緑青の具合は彩色によるものだ。それでも、ワタシのこの性格だ。同じ買うならとばかりに、その店のそのタイプのを全部鳴らして一個を決めた。値段じゃないのだ。値段が100円だろうが、1万円だろうが、こんな時の決め処は一言で云えば “相性” だろう。ピンとくるものがなければ絶対に買わない。幼い頃からこんな性分の様だ。これは教えないのに娘にも遺伝した。遺伝子に組み込まれているという訳だ。

吊した風鈴は大した余韻はないものの、チリンチリンと昔ながらのどこかチープで儚げな、花火で喩えたら線香花火の様な音色だと思う。お客は直ぐその音色に気が付き、いい音色だと言っていた。何度も言っていた。
その後に娘が遊びにきた際、彼女も「ああ、いい音じゃん。」と言っていた。
安っぽい音なんだけどね、線香花火だからね。好きなヒトには好ましく聴こえるんだろう。ワタシ自身も毎日聴いていて、その度にいいなあと思う。
この夏、ワタシはこの風鈴にけっこう助けられたんだと思う。目に見えないところで。目に見えないところが。
線香花火...結局は好きなのである。


同い年の知人で、この国のビジネス至上主義の音楽業界に華々しくデビューして以降20年もの長きに渡って未だ活躍している強者ドラマーが居る。彼はその精悍なルックスから、映画俳優としても多くのインディペンデントな邦画に出演していたり、そのキャパは広い。なのに原点をちっとも忘れていない、否、忘れない努力をおこたらない熱い奴だ。未だにトイレと風呂が共同だったアパート跡地に何度も立ち寄るらしい。ちょっとでも己の日々が生温く感じられるとその付近を歩くらしい。やはり食べてゆくのは相当に大変らしいけれど、別な意味での生温さはかなりあるらしい。気をつけていないと「幾らでも自分が腐っていける世界だ。」と言う。けれどそれはどの世界も同じかも知れない。
或る意味ココロの故郷を尋ねても、彼の場合は郷愁に浸る為ではなく、ましてや癒しなんか求めては居ないだろうと思う。その事は音を聴けば解る。目を、顔を、見れば解る。40も過ぎると不思議なくらい、それこそそいつの “生き様” が顔に滲み出てしまう。彼は丸くなんかちっともなっていかなくて、歳を重ね益々、何と云うか...激しい。しかもロックからジャズ迄どんどん交流を広げながら進化している。或るイキモノの進化だ。ワタシは心から敬服している。
ワタシはここで彼の宣伝をするつもりはない。しなくても充分頑張れている。本人がパートナーやカミサマから恩恵を与えられ与え返していたならば、元気ならば、もうワタシにやるべきことはない。ワタシがワタシの為に真っすぐ生きるだけだ。では何故にココに書き連ねるのか?それは以下を書きたい為かも知れない。
彼の叩き出す音を聴くには覚悟が要る。「まだまだオヌシ甘いぞよ」と迫られる。“己を生き抜け” とばかりにパンチをくらう。技術を越えたタマシイのジャブだ。だからこそ癖だらけのミュージシャン間でも人気があるのだ。なのに食べてゆくのが大変なのだ。贅肉等つかない暮らしなのだ。結婚等責任持てなくて出来ないと言うのだ。世の中にはそんな奴も居る。「いつ死んでもいい」位に生きている奴が。それは決して日々忙しくしているとか、今の時代や流行を掴んでいるといった意味ではない。いざという要所の “向かい方” と、初志貫徹上の話だ。残りはどうにかこうにか、折り合いつけて生きてりゃいいと思う話だ。けれど彼だってテレビなんか観てはいない。そして、個人にも社会にも自分にも八方美人はいけないと、彼はイキザマで教えてくれる。八方美人....そこから熱や深さは産まれないだろう。産まれても、けっこう濁り気味だろう。いつだってその水は自分が飲むのだから。それはNOだろう。

その彼が自分のhp内の日記に「の様に生きれたら、どんなにか潔くてスバラシイことかと思う。」と突然数行書いていた。驚いた。彼がそんな事を思い、書いてしまうとは(以前の彼からは)なかなか想像出来なかった。そして、その短いコトバの中に、彼の秘かに抱える思いや、抱きながら紆余曲折してゆく軌跡を見た気がした。「お互い予想以上に長く生きたんだなあ」と思ったりもした。そして「まだ生きるんだよなあ」と思ったりもした。考え直して「まだまだ生きたいよな」と思ったりした。

あと少し暦が進めば、で夕方になると蜩(ヒグラシ)が鳴き出すだろう。カナカナカナ...ってやつ。
そして夏が過ぎてゆくのだ。


ヒトは、喩えば風鈴の音色にを感じているのだろう。
の声の移り変わりに、喩えば蜻蛉(カゲロウ)の命の儚さを想う様な感覚で、もしかしたら時間...つまりはヒトの命の儚さを想っているのかも知れない。否、想う以前に、どこかで感じ取っているのだろう。生きた分、夏を重ねた分だけー


風鈴と、蝉と、ワタシと、読んでくれているキミの、2009年夏が過ぎてゆく。
これから残り時間、キミと幾つの夏を越せるだろうか...
幾つも越せたらいいよな。 風の中で。


何処から何処へー    



2009年夏が過ぎてゆく...






            (今夜の脳内ミュージック/BOBO STENSON "Send In The Clowns" )

君の梯子を/自作イラスト(一部).jpg


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