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60. サシバの輪舞 [日々雑感『本日もまた混沌と』]

今日、一時激しい雨が降った。ぐっと気温が下がった。
とうとう長袖のシャツを着た。靴下まで履いて、まだ足りなくて木綿のベストを羽織った。
そう云えば、数日前からコオロギの鳴き声が聴こえ出した。短い夏だった。

ここ数日遠いところ近いところで、色んな事が起こった。
体調は以前から予兆はあったが、再び不安定になっていた。
そして、今夜は最悪の模様だ。否、それは少し大袈裟かも知れない。以前の底に比べれば全然大した事無い。
だけど、やっぱり、まるでこの世界にひとりぼっちみたいな夜だ。
それはアタリマエの事か... 人は皆、誰でも “闇から一人で生まれて、又闇の中へ一人で死にゆく” んだった。いつも自分で書いていた事だったな...
でも、こんなに、存在していること自体が辛い時は、一体どうしたらいいんだったか...
深呼吸はした。軽く体操もした。ホットミルクを飲んだ。薬も飲んだ。まだ駄目だ。
煙草を吸った。酒を呑んだ。トムを聴いた。ジョンも聴いた。ノラも聴いた。まだ駄目だ。
蒼井優すら観る気になれない。で、当ブログ書き出した。 ....けっこう書けるもんだ。こんなでも。


自分に “自信” など微塵も無い。
自分が木っ端微塵に砕ける前に離婚したが、同時に見えるものや見えないもの、色んなものを捨てた。
捨てたと思っていた以上に、失くしてしまったものの多さを後で知った。
“自分を信じれるか否か” “思い込めるか否か” が “自信” だとしたら、それはワタシが「一番怖いのは自分」なんだとこの数年で気が付いたからこそ、“出来ない事” であり、不得意不得手な事なのだろう。
思えばこんなブログの沢山の文字も、裏を返せば “弱さ” でしかないんだろう。
自分に自信の欠片も無くて、どうして他人を幸せに等出来ようか...
でも考えてみたら、どうして他人が他人を幸せになんか出来るんだ?
幸せとか喜び(悦び)とか、流動的な感覚、瞬間の積み重ね、全て己が感じる “意識の問題” じゃないのか。
“〜であればクリアー出来る幸せ”とか、“〜であれば保証される幸せ” なんか、この世にあるんだろうか?
この世に一人として同じ者など居ないのに、“〜であれば” の最低ラインも、平均値も、本来は無い筈じゃないのか?
崖から飛び降りる気持ちで言おう。「何の為にここまで死なずに生きて来たの?
さんざん旅して曲りくねって来たのは何故?全部ファッション?」  違うだろ...?


何かを心底求めるのに、本来は資格なんか要らない筈なのに、今夜はどうやら、やはりワタシは失格を言い渡されたみたいな夜だ。
でもそれは誰が決めるの?誰かに決められる事なの? その誰かは神? 神が居るの?
...もう自分だけで精一杯、一杯一杯だ。どうやって気を紛らわして逃げたらいいのか、全くワカラナイ。
前向きの “前” がどっちなのか、何処なのか、在るのか無いのか、又ワカラナクなってきた...
明日起きたら平静を装える自分を取り戻しているだろうか...
元々何も解っちゃいないんだ。解っちゃいないから、いつもココで自己暗示をかけてきたんだろう。
解ったフリをして、“言い訳” や “言い聞かせ” や繰り返して来たんだ。
瞬間瞬間、視えた筈だったのは全て、幻なんだろうか?

“こうあるべき” を掲げられるなんて、もう出来ないな。
随分、信念が有る様なフリをして生きて来たんだな...つまりは余裕の証拠じゃないか...
もう、何もワカラナイな。ホントワカラナイ。何も言い切れない。何も決められない。
以前、「タイムマシンがあったなら〜」みたいな文をどこかで読んだ。読んだ時は「?」と思ったが、今夜自分もこう思ってしまった。「同じ苦しい日々でも、昨日でいいから戻りたい。否、出来ることなら、ワタシは初めっから生まれ直したい。」
ならば神の息子でも、親の息子でも、妹の兄でもなく、アナタの前世の片割れでもなく..。ニンゲンじゃないイキモノ。雄でも雌でも、ニンゲンに生まれ直したいとは思えないな。こんなに曖昧で、身勝手で、独善的なイキモノを経験するのは、この一度でいい。
出来れば...深い海の底の魚か、雲より高い山岳地帯の山羊か...ヒトの生息地域から遠い極地で己の生を全うしたい。
でも、空高く飛ぶ猛禽には憧れない。憧れないのだ。(一羽の鷹を唄う「テルーの歌」は、単に好きなだけだ。)


かつてワタシの父は集中治療室のベッドの上で、右手の人差し指を天に向けて立てながら「サシバのロンド...」とうわ言を数回繰り返した。横に居たワタシはそれが何を指すのかが解らなくて、とりあえず脳にインプットした。自分の脳味噌では、「“差し歯のロンドン” って?」と思ったりしたものだ。(苦笑)
かろうじて、うつらうつら意識を取り戻した父の耳元で「サシバのロンドって何さ!?」と必死に尋ねたところ、彼は自らがそう口にした事は覚えていなかったものの、「手帳だ。手帳。」と言った。そして又眠りに入った。
彼の身体には恐ろしい程の管が突き刺さっていた。心電図を映し出す機械の電子音が静かに響いていた。ワタシ自身も除菌され、デカい幼稚園服みたいな恰好をさせられ、頭も風呂用のビニール製の帽子みたいなものを冠らされていた。ドラマや映画でしか観た事の無い世界だった。父が倒れたのは突然の事でもあった。その時だけは恨んでいた父の手を握り、何処かに居るかも知れない神に祈った。未だ何も話していない気がしていた。「困るよ...」と思った。
昔、実家に居た幼い頃、サラリーマンの父の “手帳” に何故だか憧れたものだ。毎年暮れから正月に書けての或る一日、父は旧いものから新しいものへ必要事項の “書き換え” をしていた。
ワタシは一時実家に帰宅し、父の机の前に立った。以前ワタシが使っていた武骨な木の机だった。一番上の引き出しを開けたら、其所にその年の年号が印字された “手帳” が在った。その場で手帳をパラパラとめくった。“父の手帳” は、幼い頃こっそり覗いたものとは違っていた。遥かに余白が多く、文字が雑で大きく感じられた。後ろの方の横線メモ欄にポツンと1ページ、何かが羅列して記されていた。本や映画の題名かと思われたが、全てワタシの知識に無いコトバだった。
その中に『サシバの輪舞』と書いてあった。サシバも漢字で書いてあり、部首に鳥の字が見れた。“輪舞” と共に、上にルビが記してあった。そこでやっと、“サシバ” とは猛禽の一種、鳥の名称である事、そして “ロンド” の意味も、字を見てなんとなく理解した。とたんに、空高くいつまでも旋回するトンビの図を思い浮かべた。
後日父に尋ねたところ、手帳の羅列は何かの題名ではなく、“思いつき” ーとのことだった。
父が昏睡状態の際、ワタシがベッドの横に居た短い時間の中、うわ言でハッキリ聞き取れたのは其のコトバだけだった。たしかに聴いた父のソレは、理屈抜きでこの脳味噌か胸か、兎に角ワタシの身体の何処かに残ってしまった。以降何度も繰り返し思い出される内に、ワタシの中では “父=サシバの輪舞=永遠の孤独=裸の王様=つまりはワタシ自身” の様な、変な構図に固まってしまった。


人が別の暮らしや職業や容姿につい憧れるのは、心の迷いとしては仕方の無い事だろう。“ココでは無い何処かー” に想いを馳せてしまうのは、遊牧民族の血を引いてはいなくとも自然なことかも知れない。そして、誰もが先ずは中庸や平均を狙い、世間一般等という曖昧な尺度で作り上げた “平均” なるものと、似た様な生活体系や似た様な年齢毎の過ごし方に、憧れたり目標とするのは、国民気質や世の流れとしても仕方の無い事かも知れない。
だが併し、アナタが自ら影響を受けたくて “選んでそうしている” のではなく、尚かつ敷かれたレールばかりを歩いて来なかったアナタが、人生の途中に何があったとて、無かったとて、その度にいちいち “揺れ惑う” としたら、その理由は何故だろう? 
きっと...己が生きる上での受け売りではない血肉で得た価値観や感覚、活かすべき己の特徴、その “焦点” を見失っているからではないだろうか?
やはり「何の為にここまで生きて来たの?」「さんざん旅して曲りくねって来たのは何故?」と自らが、静かに問えば解る筈だ。解る?解るような気がする、そんな時もあるだろう...(とことん弱気。)

ワタシの父は結婚や子の出産や、要は家庭生活の安定の為に絵筆を折った人だ。30手前から建築設計を職とし、毎夜遅く迄残業のサラリーマンであった。つまりワタシ達家族の為に懸命に働いた。そのおかげでワタシも高校までは行かせていただいた。併し父自身の人生としては、己がやりたいこと、やっていたこと、やるべきかも知れなかったこと、いずれにせよ “本人が断念し方向転換した” のだ。誰に何を懇願されようが、どんな約束をしようが、皆、自分の意志でそうしたりしなかったりするのだ。誰もが、誰のせいにも出来ない “自分の道” を歩いている。その意識を持たなければヒトは誰でも弱いから、いじけたり、八つ当たりしたり、刹那的になったり、怠惰になったりしがちだ。大人とはもしかすると、そのコントロールが出来る者を指すのだとも思うのだが。(ちなみにワタシは直ぐ怠惰に流される、そのコントロールが下手で困る)
にも関わらず、父のストレスは相当だったにせよ、家族に当たり散らして良い訳は無いだろう。外でどんなに大変な思いをしながら我慢して働いていようが、全ては己の選んだ道、望んだ幸せへの “道の途中” な筈だ。家庭内で威張り散らしたり、暴力を振るったり、ムスッと黙りこくって寡黙なオトコとして君臨し、周囲の家族は腫れ物に触る様に怯えている等ということは全く可笑しな話である。“男性上位は “時代の流れ” 上、当時は仕方無い〜” 等という言い訳は絶対にきかない筈。その解釈は、いつ耳にしても好ましく思えない。いつどんな時代どんな場所に於いても、芯の在る者(本来アタリマエの孤独を意識する者)は、 “優しさという静かな強さ” を持つと思う。それは目には見えにくいだろう。逆に、どんなに言動や外見が強くても、芯が弱い者はいつの時代の何処に居たって弱く、威張って自分を大きく魅せようと虚栄心に溺れ、大声を出したり、力の行使に出たりすんだと思う。
幸せになりたくて築いた家庭が、皆にとって安らげない場所になってしまうなんてのは、それこそ本末転倒でしかない。誰も誰かの為に核心を変えたり、変えさせたりして、丸く納まり続ける事は無い。ヒトは弱い癖に理想だけは掲げる愚かなイキモノだ。焦点” を見失えば、闇に迷い込むだろう。闇は迷い込めばどんどん深くなる底なし沼だ。世間や社会や、家族や、そして自分自身とも、どうにか “折り合い” つけてギリギリ進んでゆけたら良いのだろうけど、“折り合い” の付け方も時代や相手の変化で、時に変わりゆく流動的なものでしかないのかも知れない。“柔軟” であるべき部分と、ぶれてはならない “焦点”。言わば柔と硬みたいなもののバランスだろうか... 。好きな相手と1対1ならば、互いの意識の影響し合いも幸せの一つの筈であり、本来楽しい営みの筈だ。自分を全く変えたく無くて、譲れぬ理想ばかりを掲げるならば、それこそ誰とも付き合う器は無いだろう。焦点は各々自分に一つ、互いの間に一つ位で、あとはどうにでも〜の方が進んでゆけるだろう。


話を戻すがーやはりワタシは猛禽には憧れない。イメージとして凛とした姿、どこか理知的で勇ましく、カッコよく見えてしまう生き物だが...自分とは似ても似つかないからこそ、あまりに良く見えてしまう場合もあると思ったりする。あまりに良く見えた時は、その影を疑ってみた方がいい。より大きな闇を抱えていたりする。
ワタシはやはり深い海の底の魚か、雲の上の山岳地帯の山羊がいい。静かな場所な気がする。其所では風が強くても、流れが激しくても、ニンゲン界で息苦しく感じている五月蝿さに対しては無縁の “静けさ” に包まれている時間が存在するだろうから。
そして正直、“つがい” で居たい。食べて、寝て、交尾してを繰り返す生き物達が “種の保存” のみに生きようが、彼等の辞書に “依存” は無く、“潔さ” に満ちている。みな己が生きるのに必死だろう。岩山羊など急斜面の崖で苔や草を食む日々は、正に背水の陣で、“潔さ” の極みだ。
ところで初めから “依存” や、幸せの “計算” 等という尺度を持つニンゲン様に、深い “生きる悦び” など在るのだろうか...大体、多くのヒトが似た幸せを考えたり望んだり、なんでこうも平均値を求めるのだ?似た様な暮らしぶりを求めるのだ?似た様な家庭で育ってしまうからか?やはりワタシの方が、似ていないおかしな家庭で育ったということか...。つくづく他人と価値観が異なると思う。言葉で合ったとしても所詮は言葉上での事。実際は世間や常識等という曖昧な秤に乗せた “幸せのカタチ” を求めていたりする。


山羊も、雷鳥も、深海魚も、“つがい” は実に仲がいいそうだ。
生き物の中には、どちらかが死んでしまったらつられて後を追う様に死んでしまったり、何も食べず、要は断食の状態に入り、自ら死んでしまったりする種もあるそうだ。なんて美しい話なんだろうかと、溜め息が出る。

そんなつもりは無いのだけど、やっぱりワタシは変だろうか? 頭おかしいかな...もうワカラナイ。でも、たまには思いつきで気の向くままつらつら書く事で、多少は落ち着いたかも知れない。
けれど、これをアップすれば後に残る訳だ。どうしよう? 断っておくけれど、これは “今夜この瞬間のワタシ” だ。世界にひとりぼっちみたいな気分に苛まれて、もがいている。(「藻書いている」といった感じか...ワケワカランか?)
なのに、“つがい” がどうのこうの...書いている。まだ求めている。ナイモノネダリって奴か...寂しい奴だ。諦め切れないのは未だ若い証拠か...寂聴さんを羨ましいとは思えないのだ。
寂しい夜だ。財布も、そして心迄も。実に寂しい。存在が。希薄だ。

それを認める。
もう、認めざるを得ない。
誰からも、本当に必要とされてはいない自分...

格好良く「全然平気、平気〜」なんて、ここでまで言いたくない。平気じゃない。

されどー寝なきゃ起きなきゃ、だな。明日の為に?



参った。








      
       (今夜の脳内ミュージック/THE ROLLING STONES "Wild Horses" )


何処迄も続きそうな道.jpg






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