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74. フーと温果物とヒトの熱 [日々雑感『本日もまた混沌と』]

更新していなかった間、暦としては如月に突入。
春が立ち、雪が舞い、そこかしこの庭先に梅が咲いていた。
だから、今日はいつも以上にあまり考えず突入宣言!

自分の内外に想定外の事件が起こり動揺していた。とてもじゃないけどパソコンのキー等打てなかった。事の内容は他人が絡んでいるので今は言葉にならない。
見る為の夢ではなく至極個人的に向かう夢も、昨年にM島へ渡航した際の話も他も、ワタシはリアルタイムにブログに書けない。好きなヒトや好きな事やモノについても、自分にとって本当に大切だったり、敬っていたりすると、言葉に還元してしまうのがとても恐ろしくなる。意識が強ければ、言葉の曖昧さと怖さを思えば、臆病になる。
或る意味肝心な処はいつだって、文字に託すボキャブラリーや勇気が湧かないのだ。唯単にいくじなしなのか...
当ブログ内の過去の長文は、いつだって何年も過ぎて言葉に成った。何年間か、雑記帳に走り書きしてきた文章を組み直して味付けし直しただけのことであり、つまりは何年も成長はしていないのかも知れない。
けれどワタシは過去に書いたものを全部嫌悪している。ネット上で公開し、そのまま今日まで消去ボタンを押してはいないのだから、抹殺はしていないという訳だけど...数日以上はそう振り返ってもいないから、時が過ぎてから読んでくれた方に「あの時この様に書いてあったけれど私も〜と思った」等と連絡を戴くと、とても嬉しいと同時に何だか申し訳なくもなる。本人は書いた詳細等忘れていたりするからだ。書いたり描いたりして、唯一寸づつ進んでいるだけなのだ。
催しで公開するにしてもネット公開であっても、出したものは一人歩きする。言葉なんて色やタッチや音に比べれば、とても判り易い共通ツールに違いないけれど、時にたった一つの名前や文章が受け手の琴線に触れて、笑いを誘ったり怒りを生んだりする。でもそれは君のソレであり、僕のソレではない。楽しかったり嬉しかったり、そんな都合の良い感覚だけを望んではいないし、出来れば誰もが素直に開き合って摩擦熱が起きた方が、何と云うか...ジンセイは豊かになる気がする。だから例えば当ブログをきっかけにコメントや連絡をもらえたりすると、かなりの張り合いになって元気が沸く。スタミナドリンクのごまかし元気じゃなくて、じんわり湯たんぽみたいな元気が沸く。
ワタシは “忘れん坊” の人に “記憶力の人” と呼ばれて来たけれど、そんな性格に依って何かを創ったりして、決して鏡には映らない自分を映し、一瞬のヨスガとして来たりしたのだと思う。でも “忘れない” のではなく “忘れられない” ということは、時に苦しく重荷にもなってしまう。ビートルズの事実ラストアルバム『アビーロード』のB面で彼等の最高傑作とも云えるメドレー中に、Carry That Weightという曲があったのを思い出す。けれど忘れたい逃れたいからといって、例えば映画『My Blueberry Nights』のN.ジョーンズの様に旅に出た処で、何かは必ず変わってゆくけれど何も変わらないものも在る。彷徨わずにシュミレーションだけで書いてはいないから、後悔があって書いている訳で、言葉足らずの所は読む人の方で補って欲しい。
無責任と言われても、自分の吐いた言葉も書いた文も描いた絵も、自分から出た澱や垢や便と同じ様に、愛おしむなんてもってのほか、だからといって全否定すべくもなく、唯モウシワケナイ感を抱えながら歩んでいる。
ブログなんて「誰もそんなに重く捉えていないよ〜」と言われてしまえばそうであろうし、事実ワタシ自身も決して “重く” 捉えているつもりはない。でも自ら選ぶ “作業” には気持ちを込めたいじゃないかーと思ったりする。全てはみな生きてゆく作業なのだと思う。刻一刻減ってゆく人生時間の潰し方なのだと思う。
第一何かに取り組む時、否日常の家事にしたって、“普通は〜” とか “多くの人が〜” なんて大した問題ではない筈だ。常識や慣習を直ぐ持ち出す者は、世界の何を知っているというのだろう。かく言うワタシが囚われの身だからこそこうして騒いでいるのだろうけど...
不器用さはもう、どうにもならん性格上の問題なのだと思う。ネガティブ・シンキングと思われても仕方無いし、ワタシの中にも刻一刻揺れて移り変わるポジとネガがあり、日々戦っている。意識して長いことパソコンすら始めなかった自分や、ブログを思い立ってからも数年始めなかった自分は、そう...相当に蝸牛な質であり。キーを打つ時はキャンバスやスケッチブックに向かう時に近い姿勢なのかも知れない。
だからこそ、こうして、再び “書ける” という事がありがたく...書けている状態はとても良い状態なのだ。いつも以上に今この時に感謝している。ワタシにとってこの2週間は、およそ雪国の1冬位の長い闇であった。
何を書いているんだか自分でも訳が解らなくなってきた。ので話を戻そうー

事はいつだって想定外だ。予想や願い通りに事は運ばないから、或るヒトは嵐が過ぎて一段落した時に「だから人生はおもしろいのだ」なんて達観したりするんだろう。そして文字にしたり、映画にしたり、歌ったりするヒトが居て、それを読んだり観たり聴いたりしたヒトが涙を流したりする。助けられたりする。発信する側と受け手は巡り巡って、全ては相乗効果なのだと思う。
けれど、闇まっただ中の本人は辛い。その渦中は火炙りだ。(今の季節だから寒攻めかな?)

一旦離れてみ見ようにも、息を抜こうにも、どうしても一定の角度からしかモノゴトが見えなくなってしまったりする。自分1人の力だけでは離れようがなかったりする。なにせ客観出来ない状態なのだから、距離感やバランスなんて判らなくなってしまうのだ。
心と身体は全て繋がっているから、当然内蔵の状態もより一層悪くなる。身体の内側が悪くなれば外側の筋肉や皮も悪くなる。腰も痛い、首や肩もバキバキ、皮膚もガサガサしてきて髪もばりばりしてくるし、目もかすむ。動作も人相も悪くなる。そして益々セイシンの状態も悪くなる。ワタシの場合酷い時は、永遠の船酔いみたいな症状になる。
今回は “気の持ちようだ” なんて言い聞かせようにも、そう諭し続ける “もう片方の自分が居なくなってしまう” 程に、一気に底まで落ちてしまった。
後に残された道をとことん突き詰めれば〜 “全部辞めるのか、辞めないのか” の二者択一となったりする。
けれど「未だ全部辞めたくはない」と心底思えたならば、もう這い上がるしかない。思えなかったら?の場合は知らない。借金に追われても、人と別れても、人が死んでも、怪我や病気が何度重なっても、ワタシも結局は図太くここまで生きて来れた。 “みなさんのお蔭です” なんて言っておこうと思う。

今はこう思えるまで回復した。
全部一気にどうにかしようとするのではなく、先ずは元の自分の並の健康受状態を取り戻すべく、一つ一つ治してゆくしかない。日々の小さなリベンジに、独り悦びを見いだすしかない。我を「愚かだなあ〜」とほくそ笑むしかない気がしている。
そして再出発しようと思っている。〜さようなら昨日までのワタシ、こんにちは今日からのワタシ〜という具合に、自分を叱咤してゆくしかない。

       *

けれど真面目に今回は酷かった。
何か良い薬があったら、この太い静脈にでも打ちたかったが、そんな薬は今のワタシの知る世界には何処にも売ってはいないし、とにかく地元成増や赤塚辺りには売ってはいない。喩え売っていたとしても、ソコへ這ってでもゆく気概も無かった。
弱い方のワタシが勝っていた。自分の中に悪魔が見えた気がした。
食べては吐き、食べては吐いていた。丁寧な料理等する気力など湧かず、トイレに行くのも苦労だった。
林檎とバナナばかり食べていた。冷たいままだと、喉の辺りで「オ、オエっ〜...」となってしまうので、考えた末に電子レンジで温めてみた。すると、かなり食べやすくなった。林檎を擦りおろしたかったが、そんな気力も湧かず、いつもは皮ごと食べるのに、今回は皮も「オ、オエっ〜...」となってしまうので、皮は剥いた。
皮を剥いている時に手が震えた。今回は自律神経にもドカンと症状が現れ、丸二日間に渡って、両二の腕から先がガタガタと震えが止まらなかった。刃物の扱いはお手の物の筈なのに、ガタガタにいびつな林檎が出来上がり、それをレンジでチンして食べた。果汁が身体中に染みる気がした。林檎様々だと思った。ちなみに黄緑の林檎だった。林檎好きなのに名前が覚えられない。そう何種類も無いのに、簡単な事が全然覚えられなかったりするのは子供の頃からだ。
果物だけじゃいかんと思い、うどんを柔らかめに茹でて簡易カツオだしをのばして食べてみたが、凄く不味く感じられ最後まで食べれなかった。大好きなネギが苦くて苦くて、まるで食べれなかった。昔、家庭を持っていた頃、丁寧にだしからとって作ったうどんに目の前の森で採った山菜の天ぷらを乗せて食べたことが思い出されたが、感傷的に泣くことも出来なかった。身体がカスカスで、涙なんて水分は無かったのだろう。
酒も断ったのではなく、まるで呑む気になれなかった。ここで呑んでは確実に駄目になるとも思ったから、一応自分に禁酒宣言もしてみた。’07年に上京して以来初の試みだ。否、試みなんて甘い話じゃなかった。当然の成り行きだった。
ちなみに禁酒して既に2週間が過ぎようとしている。凄い、奇跡だ...

最悪の数日間は、世の中の音という音を嫌悪している自分が居て困った。他人の声や音楽ですら、うざったかった。そんな状態はジンセイ初めてのことだった。音楽が流れているのが辛いなんて、物心ついてから初めての経験だった。
一昨年左足の怪我で入院した際、夜中に自動販売機の前の長椅子に独りで座っていた時よりも、耳も喉も胃も最悪だった。かなりやばかった。

P。スミス/GONE AGAINジャケ一部.jpg

けれど又性懲りも無く帰って来ました。帰って来れました。
嬉しい。ありがたい。“みなさんのお蔭です” なんて言っておこうと思います。でもその通りなんだと思います。こんなに謙虚な気持ちになれたのは初めてかも知れません。少し奇麗事を書いているのでしょうか...

一時は立ち上がることさえままならず、「どうなってしまうのか...」と不安な客観すら出来ず、所謂ドツボにハマってもがきながら自分のゲロで泥沼状態というより一人泥レスみたいな状態でしたが...待っていたってワタシの場合、誰も来てくれやしません。誰も知らないのですから。
これが他の誰でもなく、ワタシ自身が選んだ道でした。....でしたか? いいえ。「こんなんじゃない!嫌だっ!」と思いました。自己嫌悪の域じゃなく、自己否定ギリギリまで落ちると、もう無表情です。自らを、あざ笑うことすら出来ません。
おでこの周囲の髪の毛が幅2センチ程に渡って、真っ白になってしまいました。数日ぶりに鏡をのぞいた時、ソコに居る自分があまりに年老いて見え、つくづく何と云うか...参ってしまいました。
「おい、どうすんだ?」「このままじゃどうしようもないだろ?」って声に出してぶつぶつ言ったりしてました。蟹が泡を吹いている様にぶつぶつと1人で喋っていたのを、何となくですが覚えています。ワタシは蟹に変態していました。
何とも滑稽な話ですが、本当のことです。

でも、道の “成れの果て” ではなくて、“途中” 。そう...「すべては途中じゃないか〜!!」と思い至りました。
これ以上自分を嫌いにはなりたくなかったので、勇気を出してほんの少し発信しました。あまり考えずに〜というより、もう何も考えられずに漏らしました。コップの水が表面張力を超えて、自然にこぼれたのです。漏らしたのは、大昔のおねしょ以来初めてかも知れません。
「いつでも何でも言っていい」「何でも聴く」という人のコトバの温かさに、この歳にして初めて触れた気がします。そんなことを言って貰ったのは初めてでした。
それはきっと、ワタシが長いこと “閉じていた” からかも知れません。実際に言うかどうかは別として、そんな人間関係を築けなかったのは、やはり他でもなくこのワタシ自身が問題なのでしょう。
もう、そう言ってもらえるだけで、嬉しくて仕方が無かったのです。“感謝” という文字が自然と、おでこの裏側に浮かびました。冷えきった身体の芯が、まるでカイロの種火の様にじわじわと温かくなってゆくのが感じられました。

そして2年半の間、読むのを逃げていた一冊の本の存在も大きかったのです。ティム・ゲナールの『ぼくは3歳で路上に捨てられた』(橘明美訳)という本です。
今からおよそ2年半前に、初めて娘がワタシに会いに来た際に「これ読んでみて」と(メモに書いて)薦めていたのですが、それはまるで娘の心を代弁しているかに思われ、“読まず嫌い”ではなく “読むのが怖くて” 避けてきたのでした。
その本を読みました。今読まなければ、きっとこの先にワタシは読まないだろうと思えたから。だから読みました。立て続けに2回読みました。一回目は途中何度もこみあげるものがあり、読み終わった途端にもう一度読みたくなったのです。
驚きました。やはり身体の芯が、まるで蠟燭の灯りの様に、ぼわ〜と温かくなってゆくのが感じられました。
本当に読んで良かったです。娘は自らの為に言ったのではなく、ワタシ自身の為に薦めてくれたのだと、読み終えて理解出来ました。感謝です。「とっくに読んでおけば良かった」とは思いませんでした。娘には謝りたくなりましたが...
今回も勉強させてもらいました。“先入観に囚われて盲目になるのは不幸なことだ” と、改めて思い知った気がしています。普段は其処の処を気を付けて生きているつもりですが、やはりかなりちっぽけで弱い人間のワタシでした。恐ろしく間違った先入観に囚われていました。
ワタシは実に愚か者だと思います。

       *

あちこち出かける事が出来るまで復活し、アパートに居る際ここ数日はウォルター・サレス監督『モーターサイクル・ダイヤリーズ』のサントラ(Gustavo Santaolla)ばかりエンドレスに流していた。
彼の演奏はいいね。チャランゴの音色大好きだな...風景が立ち上がってくる。ECMらしからぬスティーブ・ティベッツの『Big Map』を聴いた時の衝撃を思い出す。狭い部屋に居ながらにして、こんなに広く寂寞とした風景に連れて行ってくれる音楽も好きなんだ。これを聴いても寂しくはない。
何故って...世界は今この時もー「男って〜」とか「女って〜」とか(ワタシはその言い回しが嫌なのです!)、社会の枠や人種やでくくって語るどころか、「私は〜」の視点で “声を発することも出来ない” 立場の人や、今日の食料に困っている人達の方が断然に多く... それに、ヒトなんてイキモノが住んで居ない場所の方が断然に多く...う〜ん今日ここで上手くは書けないのだけど、地図の白い場所ばかり旅して来た自分にとっては、こんなに広く寂寞とした風景に連れ戻してくれる音楽を聴けば、決して寂しいどころか心が落ち着いてゆくのだ。
何と云うか、「あっちがアタリマエでこっちが異常だな。でも確かにワタシは大概こっちに居て、このままイロイロを抱えていくしかないのだな...」みたいな感覚に戻ることが出来るのだ。(あ〜今日も全然ボキャが足りなひ...)

が、昨日突然に “ニキビ面の中学生の頃の自分が、スピーカーを前に真剣に歌詞カードや付属ブックレットを観ながらザ・フーの『Quadrophenia(四重人格)』LP2枚組を、まるで正座して拝む様に聴いていた姿” が、何のきっかけもなく不図脳裏に浮かんだ。
だから聴いた。素直に聴いてみた。こんな或る意味で激しいロックを聴くのは、実に久し振りのことだった。
目頭が熱くなってゆくのが感じられた。Gustavo Santaolla〜The Whoの流れで(笑)スウーっと影が立つ様に元気が滲み出て来た。奥の方から、蠟燭の灯りくらいだけど...
ありがとうミュージック!(偉大なる破天荒ドラマー、キース・ムーンよ〜君はいい時に死んだんだと思うよ!)「この名盤二枚組とあの頃に出逢えて、あの頃に夢中に聴いておいて、ホント良かったです。」と、何か見えないものに感謝してしまった。こんな話、昔ロック少年少女以外の人には伝わらないんだろうな...
単純単細胞だなあ〜と笑う者は笑えばいいさっ。だってワタシはジュン。字は違うけど、過去「単純のジュンじゃないの?」とよく言われて来た。その通りなのだ。振幅というか浮沈が激しいだけなのだ。幾つになっても自分とつきあうのに慣れないだけなのだ。


でも大丈夫。もう大丈夫です。
温めた果物と、ヒトの温かさ(誠意)に触れた気がして、自分に足りないものが見えてきた気がしています。新しい一歩を踏み出せそうです。自分はこの3年間、実は冷血動物に変態していたのかも知れません。寒かったのです。
でも、もう以前の様な超長文は書かないと思います。或る意味ポジに寄った強い文章は、相変わらず書けるかどうか判りません。これからは至極つまらない唯のつぶやきが増えそうな気がします。
それでも忙しい毎日に、多くの方が色んなものを流して、流れ流されて、夫々の道をゆくだけなのでしょう。消えて無くなるその日まで、そんなものなのでしょう。「忙しい」という言葉を隠れ蓑にして逃げたくはないなあ...とは思います。
各々の道か川か、何処かで交差することも、混ざることもあるやも知れませんね。
どうぞ今後とも宜しくお願いします。


“みんな途中” です。
時計や暦や納期や逢瀬に別離、色んな枠や檻に区切られていてもーです。
言い訳じゃなく、改めて今そう思うんです。
以前近くに「セイシンは自由だ!」と声高に叫ぶ(作品に刻んだりする)アーティストが居ましたが、ワタシはその台詞の意味も、自由という言葉の意味も、未だにリアルには解らないのでこう言ってみますー
「セイシンは不自由だ!つきあってゆくのが大変だ!だけど、みんな途中だ!」


雪や雨の後には気温も上がり風が吹き、
あちこちの庭先から紅白の梅の香が届くでしょう。
そして直ぐに桜の季節ですね。
桜は、実はワタシには悲しい思い出ばかりで、あまり好きではないのです。
けれども今年は過去になく、待ち遠しい気がしています。

(今回はいつも以上に語尾や流れがぐちゃぐちゃな気がします。読みにくい点はお許しを。頭の中が未だ混沌としているので、これで精一杯なんです。けれど、文字に置き換えた事でほんの少し、ノウミソに風が通った気がしています。)



     
            (只今の脳内ミュージック/THE WHO "The Real Me" )

スティル(自筆イラスト/一部.jpg



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yuuri37

生きているんですね・・・
by yuuri37 (2010-03-04 00:43) 

リュウタ

リュウタです。おひさしぶりです。
最近更新されていないので少し心配しています。体調が良くないのではと思ったりしています。

本当にお久しぶりです。ふだんいい加減な生き方しかしていない自分にとってgemini-doorsさんの書く文章はひどく重い内容だから、その余韻が何日も続くことがある。そこから逃げ出したくなって避けていたのかしれない。でも、やっぱりぼくをひきつける何かがここにあり、また戻ってくる。決して避けてはいけない何かがここに書き込まれている。ここはそういう場所です。今後ともよろしくです。
by リュウタ (2010-03-21 20:20) 

みちこ*

桜の花、見ましたか?
寒くて荒天続きで、桜の木もキツかったろうなと思うけど、今年もちゃーんと咲きましたね!
季節や気候は、まもなく暖かになることでしょう。(今日はちょっといい陽気ですね)
人の身も心も、ほんの少しでも一緒に暖かになると良いなぁ・・なんて思っております。
by みちこ* (2010-04-06 15:53) 

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