84. 雨の足あと [日々雑感『本日もまた混沌と』]
81. ダップンか!? [日々雑感『本日もまた混沌と』]
78. ゼッタイ色 [日々雑感『本日もまた混沌と』]
75. 揺れるユキヤナギやハルジオン [日々雑感『本日もまた混沌と』]
74. フーと温果物とヒトの熱 [日々雑感『本日もまた混沌と』]
73. 上弦のお月さん [日々雑感『本日もまた混沌と』]
70. 電柱でござる [日々雑感『本日もまた混沌と』]
69. 温かい釣銭 [日々雑感『本日もまた混沌と』]
68. 服ヲ着セテ貰ヒ漬ヶ物ヲ欲ス [日々雑感『本日もまた混沌と』]
67. 路地裏の鯉 [日々雑感『本日もまた混沌と』]
66. ドウター [日々雑感『本日もまた混沌と』]
65. ゼロ [日々雑感『本日もまた混沌と』]
64. タコのテンプラ [日々雑感『本日もまた混沌と』]
63. 林檎スター [日々雑感『本日もまた混沌と』]
今年、ジャスト其の日に御他人様から頂いたX'masプレゼントは
“蕎麦ボーロ(ぼうろ?) のヤケにデッカい袋詰め” のみでした! それも郵送で!
「..........。」(笑&汗っ)
1晩で食っちゃいました。
コーラ&ウォッカに、とても合いました。そう思いました。
「蕎麦だから、ま、いいか」と(無理矢理の解釈で)最後は、食欲というより「キリがいいから」という勢いでした。
1袋、全部食っちゃいました!
翌日、“食欲” というものがまるで湧きませんでした。
まるで。
だから林檎を買って食べました。
連日食べて、3日目になってやっと何だかいい感じになりました。
*
果物の中では元々林檎が一番好きです。銘柄はこだわりません。どんなのでも食べます。
どちらかと云えば、蜜たっぷりの甘いものより、青臭いくらいの酸っぱい感じのが好みです。
暖かい時期になってスカスカの古い林檎に当たると残念賞ですが、酸っぱさと硬さが絶妙の林檎に当たるとホント幸せな気持ちになります。
やはり林檎は、よく洗って皮ごと丸齧りですね。芯ギリギリ迄食べます。上品ぶってる場合じゃありません。
皮もまた美味しいのです。根菜類と同じです。
昔住んで居た場所は、自宅から歩いて数分に広い斜景の林檎畑が在りました。
目の前には鳳凰三山と駒ヶ岳が屏風の様に広がっていました。
夜になると色んな獣がやって来て、早生未熟果で勝手に落ちたものや、他の実を太らせる為に切り落とした実を食べていました。
夜中に懐中電灯を手に、よく逢いに行ったものです。
そんな時、暗闇はやはり慣れる迄は怖いものです。街灯なんかありゃしません。
予想してない物音なんかに、ビクッとします。言うなれば◯◯が縮み上がります。
でもじっとして居ればその内に慣れて来て、色んなモノが視えて来ます。
そして直に、強く静かな気持ちになります。
獣や風がたてる音すら心地良く聴こえて来ます。
これからの時期は特に空気が澄んでいて、景色が遠く迄見渡せます。それは日中のみならず夜でも同じ事です。
見上げれば空には無数の、本当に無数の星々です。
何度繰り返し観ても、いちいち驚いてしまうくらいの星々です。でした。
*
寒くなると何処でも安価に売っている一寸いびつな撥ね林檎。
食べると(蕎麦ボーロの食べ過ぎ後でも!)腹の調子も良くなります。
そして一寸ですが、静かな気持ちになれます。
(只今の脳内ミュージック/KEITH JARRETT "Shenandoah" )
61. 隙間に潜む虫 [日々雑感『本日もまた混沌と』]
(一寸久しぶりの更新です。ココに戻って来る気力が湧きませんでした。何となく保てて...何となく書く気になれたのは、或る虫のおかげかも知れません。世の中には其の虫だけ集めた資料館なるものが在ったりするそうですが、きっとカブトムシやトンボの様に親しみをもって其の虫とつきあいたい人は多くは居ないんじゃないかーとも思うんです。ですが!少数派やアンダーグラウンド的な匂いに、つい魅かれてしまうワタシですから、ここは一つ其の虫の為にも “(それなりの)愛を込めてー” 文字にしてあげようと思います。自己テンションを上げる為にも!)
先日、どうしても魚が食べたくなりました。
いつも寄っている駅に隣接した24時間営業のSEIYUではなく、全体的に食材が安いスーパーへ寄りました。
その店では以前に好物の一つ "とんぶり” を買ったところ、帰宅後によく視たらカビが生えていたりして、その日以降は余程でない限りあまり寄らない店でした。しかしSEIYUより鮮魚コーナーが充実しているし、外国産の肉等がいつも安売りしていて、ワタシはついつい味や食の安全より値段に負けて、懲りもせず時々は買ったりしていたのです。
さんざん迷ったあげく、秋鮭の生(塩蔵ではない切り身)を買いました。鮭独特の、とてもいい赤い色をしていました。
2切れで168円と断トツで安く、新鮮に見えたので買いました。
尚、東京で暖かい時期に刺身は殆ど買いません。とかく美味しい物は高いし、ワタシが買い物する時間帯には売れ残りの赤札しか無く、一度も「おいしい!」と思った試しが無いからです。内地で育ち都心部で青春期を過ごし、10数年も山村に暮らしたワタシが、魚についてそう舌が肥えているとは思えません。でも、再上京して数年が過ぎた今も、スーパーで買った刺身を「おいしい!」と思ったことは無い様に思います。
さて、帰宅して鮭の一切れは冷凍しようかと、パックからラップを外しました。
すると、何か動いているのです。太い木綿糸の二倍くらいの生き物が。
寄生虫だと直ぐ判りました。透明の細いミミズみたいで、長さが2.5センチくらいでした。前後1センチ位は伸び縮みしていて...過去さんざん釣り餌でミミズやイソメやゴカイ類を触ってきたワタシも、この時ばかりは気持ち悪く感じました。想定外だったからでしょうか?でも至って頭では冷静に「加熱すれば大丈夫だろう」と思い、「まあ居るさ虫くらい!」なんて強がってもみました。長きに渡って畑仕事もやってきた経験から、「いちいち小さな虫くらいにジタバタしていたら切りが無い」という気構えが備わってもいました。値段も安かったし、先ずあのスーパーだからなあ〜と思い、一旦は我慢しようかと思いました。
切り身をひっくり返し、よくよく観察すると虫は2匹いました。一匹ならともかく、元気が良い奴が2匹居たのが堪りませんでした。
その事は自分の中のどの様なラインを越えたのかは解りませんが、とにかく嫌になりました。悲しくなりました。小さな音を立ててブチっと何かが切れてしまいました。直ぐ何もかもを投げ出したくなる様な、ギリギリの精神を抱えているワタシでしたし... 思えばこの数年、息を潜める様に暮らして来た様なところがあるので、こんな時も“買った店にクレームをつける”とかのパワーより、何故か “我が身のふがいなさ” みたいな自己嫌悪的な方へ...つまりはこんな小さな事件?に、かなり気が滅入ってしまうのでした。
しかしその日は何かが違いました。多少の冷凍食材等はストックしてあるものの、その日は “どうしても魚が食べたかった” のです。この「魚が食べたい!」という純粋な気持ちを、何者にも邪魔されたくはない〜みたいな感じ?でしょうか...
いつも赤札の野菜と肉の炒め物か、豆腐類か、レトルトか冷凍食品か、麺類の繰り返しの食生活の中、やはりどうしても時々は魚や煮物を食べたくなる衝動が沸き起こり、その「食べたい!」という欲求くらいはどうにか工夫して妥協点で満たしてやらないと、自分の毎日の生活なんかは何の原始的な悦びも無い...それこそ “味気ないもの” になってしまうのでした。
一人で煮物を作るのは、過去には作り過ぎたりして腐らせたりして、結局この数年でも2回程しかトライしていません。しかし、魚はフライパンでもどうにか妥協点で焼ける様になったのでした。もちろん焼き網で焼いた魚や、キャンプの際に炭火で焼いた魚に比べたら、足下にも及ばない代物ですが、それでもムニエル風にしたり多少の工夫で「魚が食べたい!」という欲求くらいはとりあえず満たせるのでした。
話を戻しますとー
結局、閉店間際のスーパーに連絡し交換してもらいに行きました。その日の内にどうにかしてしまいたかったのです。
店のヒト曰く「国内産、つまり近海の秋鮭にはアニサキスという寄生虫がよくみられ、細心の注意をしているがどうしても身の隙間に隠れているものは見つけにくい。」「加熱処理すれば人体に影響は無いし、一日以上冷凍すれば死んでしまう。」との事。
こちらは時間と電話代と精神をすり減らして迷惑しているんだから〜!とも思いましたが、僕も元はかなりの釣りキチ三平です。山に住んで居た時すら渓流のみならず磯釣りに出かけていた位の釣り好きです。人も住まない標高の高い渓流で沢山のヒルにたかられたり、磯の魚の腹をさばいたら寄生虫が一杯出て来た〜なんて事は経験済みです。魚の寄生虫くらい、否、生き物の寄生虫くらいでそうジタバタして堪るか!みたいな気持ちも多少はあります。あるのですが....
結局、返金と選択可能でしたが、売れ残りの同じ2切れ入りの秋鮭パックに取り替えてもらい、以降の来店時に使えるサービス券なるものを貰い(苦笑)すごすごと帰りました。
東京23区の外れ閑静な住宅街の暗い夜道を、独りの長髪中年男が秋鮭の切り身2切れ入りパックを手に、10%割引サービス券2枚をポケットに、とぼとぼと歩く図を想像してみて下さい。....まあ、そうゆう訳です。(寂笑)
ところがー!!
取り急ぎ帰宅して、やはり気になり鮭の切り身をよく観察したところ...又居たのです。一匹。それも元気良く這い出して来ちゃったりして。頭なんか持ち上げちゃったりして...
溜め息でした。漫画で喩えるならばーおでこ真っ青で斜め斜線、キャプションはひと言「ガ〜ン !! ....」です。
「もういいや...」と思い、二切れとも冷凍しちゃいました。考えるのも嫌になってしまったのです。
ここで捨てないのが、ワタシです。1切れづつラップして冷凍したのでした。何も考えず、「捨てないのならとりあえずはこうするしか無い」とばかりにそうした、のでした。とりあえずその夜の闘いは終わった(笑)という訳です。チャンチャン。
結局その夜は、冷凍餃子とインスタントみそ汁を食べました。無難な選択とはいえ、やっぱり全然美味しくなんかありませんでしたよ...
*
ちなみに “寄生虫” に関してネットで調べたところー
アニサキスらしき其の寄生虫に於いてはスーパーの担当者が言っていた話はほぼ正しく、「60°〜70°以上の高温加熱か、マイナス20°以下の冷凍保存を24時間以上で死ぬ」そうで、しかし生きたまま人体に入ると胃壁を食い破るケースもあるみたいで。文字だけ読むと、或る意味では結構恐ろしい内容でした。近海の秋鮭に多くみられる。しかし新鮮さと美味しさで売れる物だから、塩蔵ではないものが出回る。かといって遠洋のものに寄生虫は皆無とは言い切れない。特に鮭・マス類やイカに寄生が多く、刺身で食べる際は注意。
たしかに以前、西伊豆に釣りに出かけた際、宇久須の黄金崎のキャンプ場で知り合った方からお土産にいただいた穫れたてのイカには、何匹も寄生虫がいた事を思い出したりしました。虫の外見はかなり違った様に記憶しているのですが....。あ、イカ自体は最高に美味かったです。
イカの場合は真水に漬け洗いすれば寄生虫は落ちるが、魚の場合は筋肉の隙間に潜り込むから見つけにくいみたいです。だから加熱か冷凍が一番無難。神経質になり過ぎたら何にしたって食べれないけれど、正確に知っていて損は無い知識だと、今回改めて思いました。
数年前に中古で買った冷蔵庫の冷凍室が、いったいマイナス何度まで下がるのかは判りません。アイスを入れたらカチンコチンに凍るのは確かですが...
もし彼等アニサキスが未だ筋肉の隙間に潜んでいたならば、どうなのでしょうね...マイナス20°以下にならなかったとしたら、何日冷凍しても生き延びているのでしょうかねえ?仮死状態で生きながらえて、解凍と共に復活!なんて...有り得るのでしょうか?SF映画は全く観ないのですが、なんかありそうな話ですよね...
「人間より下等な生き物だ」と人間が研究&判断していても、人間より太古より生き延びて来た “凄い奴” の1種ですし... 改めてそう考えてみると、ゴキブリやダンゴムシやシミやムカデ等に、或る畏怖or畏敬の念すらも浮かぶのはワタシだけではない筈です。知り合いの連れ合いの或る御夫人は蛾が大好きで、“毛虫の内から飼って孵化させては逃がしてやる” を繰り返していますし、逆に、カブトムシ等の“夏の甲虫以外の甲虫を室内で見ただけで一気に暗い気持ちになって寝込みたくなる”という方も居ました。皆、ヒトそれぞれ “ムチ使い” や “縄師” も含めて(笑ってね。)“色んな趣味・趣向”の御方が居て、どんなモノゴトに対しての見方・考え方にも “色んなドア” が必ず在る筈だろう。だからといって、ここでワタシが「寄生虫君って実はかわいいね...」等と愛しく思って飼うーなんて心理にはなりませんがね。
ちなみにワタシの娘が幼い頃、よくダンゴムシやカタツムリを沢山集めて飼っていました。家の中にいっぱい這い出して来て困るので一寸考えものでしたが、夢中になって喜んでいるので好きにさせておきました。彼女の中で何年間か、けっこう長い間そのブームは続きましたね。映画『風の谷のナウシカ』の王蟲(オウム)を観て「ダンゴムシだっ!」と喜んでいたものです。彼女は思春期に突入した今も、ミミズやダンゴムシは掌に乗っけて触ったり、車に轢かれて潰れて干涸びているミミズを見つけると、草むらや土の或る場所まで「つまんで運んでやって放り投げてやるんだ。アハハ....!」だそうです。
さて、鮭。
少しキモチワルさが薄れて食べる気になったら、解凍してちゃんと加熱して食べようかと思います。
何日も冷凍した上に、しっかり加熱でパサパサになって...きっと美味しくないかな〜
こんな小さな事件も、共有する相手が居ないと苦笑いにも笑いにも還元出来ずに、つい暗〜くなってしまうものですから、あまり気負い無く一気に書いてしまいました。キモチワルイ話題でしたが、まあ笑ってやって下さい。
もう自分では当分の間、近海の秋鮭は買わないと思います。(一応、“当分” としておきます。何故でしょうか、弱気なワタシです。)
夏の終り、閑静な住宅街の暗い夜道を、魚の切り身それも寄生虫付きを手に、一人とぼとぼ歩くのは....ちょっとね...
じゃあ、夏の終りじゃなきゃいいのか?閑静な住宅街じゃなきゃいいのか?昼間明るい時間帯ならいいのか?.....そういう問題じゃないですね。
じゃあ、一人じゃなきゃいいのか?...もしかするとそうゆう問題かも知れません。何故なら天の邪鬼なワタシはきっと、他のヒトが騒げば「ああ、こんなの平気平気!よくあることさ。」なんて嘯いて「でもやっぱりキモチワルイね。」なんて呟きながら、他のヒトが嫌がって食べないのならば全部一人で食べてしまう様な〜そんなニンゲンかも知れないからです。
そうなんです。実の処はそんな程度なのかも知れません。自分の感覚や感情なんて、その時々で揺れ動き移り変わる曖昧でテキトーなもの.....
「絶対無理、受け付けられない。」なんて宣言していたヒトが、丸っきり変わってそれが好物になってしまったのも見て来ました。逆に、ある事に対してそれまでは何ともなく、むしろ喜び勇んで食べていたヒトが、或る日似た食事中に突然発作を起こし救急車で運ばれてしまったのも見ました。以降そのヒトはそれら似た食材に対して拒絶反応が酷く、湿疹のみならず呼吸困難まで起こす程のアレルギー体質となってしまいました。ワタシも食べ物を越えて広く考えてみると、そんな両方の変化を少なからずして来ました。
肉体と精神はいつだって微妙に絡んで、変化しているのですね。動いているのです。だからこそ、何かを、誰かを、“思い込める瞬間” が貴重でもあり、愛しいのです。経験を重ねるに従って、なかなか “思い込める” ことなんてないのが現実ではないでしょうか。瞬間思い込めても、次の瞬間には客観したり迷いが生じるーそれが現実ではないでしょうか?だからこそ、その積み重ねを捉えるしかないのだと思う訳です。
ヒトは “虫の知らせ”とか、虫が好くとか好かないとか、目に見えない “気” の様な何かを虫に喩えたりしてきました。ワタシ達一人一人の人生の隙間に息を潜めて潜む虫が、そんな好い虫だといいですよね。
*
一応今回の題は 『隙間に潜む虫』 でした。
そうですね〜ワタシがもしも映画にするなら....(注/あ、まあ、するならばーの勝手な妄想ですがね....)ポスターは思い切ってピンク・ヌーヴェルバーグ的にしたいなあ。寄生虫とロマンポルノのどこか退廃的な色っぽさ。このアンバランスさがいいんじゃないでしょうか?
監督は世紀末直後の頃の瀬々敬久で。『雷魚』の頃のトーンがいいかな。大塚寧々主演で、母親に宮下順子、脇には、ぜひ烏丸せつ子と美保純と渡辺真起子。友情出演っぽく大楠道代。(なんだか〜唯単に好きな人を並べているだけかも知れませんね...)
“寄生虫” をキーとして、でも虫を語りたいんじゃなくて、誰もの中に "ドウシヨウモナイ虫" が居て、どうにか飼ってゆくしかないーみたいなのがとりあえず核かな...。時間軸が微妙に重なる様な層構成で。お涙頂戴的な人情劇には決して流れない映画。でもいい意味で重い。でも硬いばかりじゃなく、さりげなく柔所もある。だから演技の上手さより、滲み出る ”匂い” のある女優、声に味の在る女優じゃなきゃ駄目。トーン低めで。香水的な匂いではなく、其のヒトの癖のある、元々備わっちゃってる体臭色香。花の香りなんかじゃない、生き物の”匂い”。
男優は昔の森本レオをとことん悪役っぽく使いたいね。SABUとかギリヤーク尼ヶ崎に普通の人をお願いしてみたいな。ピエール瀧も頑張ってくれそう。光石研は欲しいかな。超脇役で石橋連司には出て貰ったら超贅沢だなあ〜。
ああ、こんな配役じゃ濃過ぎるかなあ〜。でも若い俳優で売れてるヒトは使わないで、新人を使ってあげたいね。浅野忠信や蒼井優が幾ら好きでも、今は未だ未だ若いオーラが強過ぎるね。あと、上手過ぎる。あと、彼等は個人的に “好き過ぎ” だから、冷静にいじれそうにないし。そうゆうもんだよ、ヒトは、あ〜ワタシは弱いんだから。 そうそう、マイク・リー監督の姿勢が素敵だと思う。『人生は、時々晴れ/All or Nothing』なんて、なんて素敵な映画かと思う。こうして予算とか無視して子供みたいに空想したって、まだまだ頑張ってる無名の新人を鍵握る役で使いたいと思うな。賭けだね。でも、客寄せ的に顔が売れてるアイドルや俳優を使うなんて最低の話だよ。採算勘定したってさ。
台詞やテロップでは一切説明しなくて、日常の風景や使い古しの小道具が静かに散りばめられ、そういった台詞無しの場面が語りすぎない程度に語る。演出は大袈裟でなく、構図的な問題以外は先ずは演者に好きな様に演ってもらう。演者だとしても、紛れも無くそのヒト自身が演じている訳で、言い換えればそのヒトの生き様が出なければ、その俳優も即ち映画も活きては来ないと思う。配役した時点で自ずと決まっているという事だろう。後は映画って、編集段階の妙でいかようにも成る部分が大きいと思うし。編集は映画の出来不出来の半分くらいを占めるんじゃないかな...
音楽はECM系とメジャーのと両刀使い。音楽だけは国産なんてこだわらない。あくまで音として捉えたいな。ただ、全編に流すのは完全に趣味じゃない。劇中の室内放送やラジオ等のBGMや、役者の鼻歌も含めて、あくまでさりげなく使いたい。気が付かれない位でいい。“寄生虫” もまた、水分が無ければ生きられないだろうし、イメージ的にも湿り気を帯び粘着質な感じを受けるので、水の音は上手く使いたい。雨や川の音のみならず、ヒトの肉体や、家事全般、生活の音の随所に水の音が在ると思う。全ての生き物は或る意味、水分で保たれている訳だし。また、その事を存在自体で感じさせる女優が、上記の方達なのかも知れないとも思う。
随所に話に絡んで出て来る虫が、観ている内に可愛くさえ感じれる様な... んな訳ないか〜!
ところでストーリーは? あ、今回は辞めます。
最後に大きく話が外れてしまいました。
この季節、赤い身の “隙間に潜む虫" にはお気をつけ下さい。
きっとアナタの隙間にだって...
(只今の脳内ミュージック/RADIOHEAD "No Surprises" )
60. サシバの輪舞 [日々雑感『本日もまた混沌と』]
57. アリス,コウモリ,歩道橋etc... [日々雑感『本日もまた混沌と』]
43. 散歩の橋 [日々雑感『本日もまた混沌と』]
42. ネチョ&スーのブルース [日々雑感『本日もまた混沌と』]
今夜も彼女のブルースが泣いている。
路地裏で 目やにを溜めた痩せネコも、
届け先を忘れて 赤い目をしてる伝書鳩も、
ベルトの穴を気にしてる 昔少年今OYAZIも、
生活感なんか否定限定の 元の顔を忘れたオネエちゃんも、
みんな、みんな何処かで、コッソリ聴き耳を立てているものさ。
何処からか風に運ばれて、ブルースが聴こえて来るのを待ってる。
君のお父さんも、きっと何処かで聴いている。
マダムの歌を女のブルースと呼んじゃあ、ちと違うか。
“ストレンジ・フルーツ” ってのも、こりゃ又かなり違ってくるか。
でもビリーのBはブルースのBだろ? 違うかい?俺にはそう聴こえるよ。
第一さ、なまえにホリディが付いちゃってるし。
彼女のLIFEにはさ、ホリディはあったんだろうか...
星に成った どんと なら知っているね。あの、鼻にかかった少し高めのくぐもった声で
「歌ってる最中には、時には在ったんじゃないのかなあ〜」って言うかな?
どんと、今頃は清志郎とジャムってるだろか?KeyはDあたりで。フフ...
いや彼等はとっくに歌って遊んだ後、魚釣りでもしてるだろうね。「さかなごっこ」しようぜって。
きっとそうさ。並んで麦わら帽子なんか冠ってさ。
高い雲の上から釣り糸垂らしてさ。
「どんとくん、向こうの方が釣れるんじゃないかぁ?」
なんてボスは何度も言うのさ。
なのに、ずっと同じ場所に座り込んでるのさ。「一向に釣れないねキミ!」なんて言いながら。
「お、あすこに見ゆるはキース・リチャーズ君じゃないか? お〜いキース君っ!一緒に釣りでもしないかいっ?!早く来いよぉ〜」
なんて呼びかけたりしてさ。
でも...やっぱり俺はまだ釣られたくないな。
何にもやり遂げてないからね。
*
“桃栗三年柿八年、なるかならぬか柿の実よ、なるもならぬも世の常ならん、もちつモタれつ・・・”(『みおろすだぁけ』長見順ブログより拝借)
上手いっ!マダムさすが。幾多の夜を越えて来たね?「お〜い山田君、座布団一枚やっとくれっ。」ってか?
いいねえ〜。羨ましいよ。“円満”。まことのCIRCLE。
「他人を羨んじゃいけねえよ」って寅さんに教わってきたけどさ、
マダムにゃ素直に「ウラヤマシイぜ」って言っちまいたい。
許せ皆の衆。今夜ここだけさ。今、甘えてみたんだ俺。へへ。
ヒトに触れるとさ、なし崩しに壊れてしまいそうなんだ...
守るものなんか何も無いのにね。
メンソレータムからタイガーバームか...
ママからヒトリダチしたかったんだろ?よく解るぜ、その浮気。
オイラも昔は何度か夜間飛行してみたぜ。墜落の歴史だな。星の王子ってやつよ。
オイラの肌もぴちぴちしてた。でもこめかみはぴきぴきしてた。いっつも何かに苛立ってた。
タイガーバームはあの頃、むげん堂に居た舞踏家Sさんから教わったんだった。
元気かなSさん...
マダム。話は戻るけどさー
忘れちゃいけないのはさ、ヴィックス・ウ゛ェポラップにも随分世話になったってことじゃない?
え?そうゆうことじゃないか...(苦笑)
でもさ。ありゃ、CM通りに胸に塗るとベタベタになっちまって大変なんだよ。
けっこうキモチワルイんだな。
調子悪い時に塗るんだから、もう一度風呂に入る気は引けるし、
だからって蒸しタオルなんかで拭いたって、キモチワルサは残るし。
大体、タオルがネチョネチョになっちまうんだ。
他のと「一緒に洗濯機に入れないで!」なんて言われちまう。
アレ言われた時の“悲しい気持ち”は、言われたヒトにしか解んないね。
俺けっこう大問題だったのかな〜この問題...でもさ、作業服どころか靴下も別だぜ〜!(苦笑&泣笑)
頭じゃ解るけどさっ。
外仕事だしさ、大鋸屑だらけだったしさ、土付いたりしてるしさ。解るんだよ頭じゃさ...
でも“あんまり汚れてない日”ってのもあるんだぜ? あるだろ? 誰でもあるだろ〜!
初めなんか、よく「アンタいい匂いがする。」なんて言ってたのによ〜!(お、ノロけか?)
それ言ったら「洗濯物は別ですっ」と来たもんダ。
ココロじゃ“この結婚は間違えたか”って思わざるを得ず、ってか?(笑ってね)
後々になって当人も同じこと言っていたけどね。(やっぱり笑ってね)
やっぱりかみさんはカミサンで、カミサマだったってことか〜!
ねえマダム。“円満” とはそこがポイントだったのですか?
ねえマダム。僕のあの麦わら帽子、何処へ行ってしまったのでしょうか?
ねえマダムそろそろ霧積峠です。僕は今、どうやら峠の手前にさしかかった様です...
あ〜、コレ通じる世代のヒトにしかオイラの味は、わっかんねえだろーなぁ〜(ここ松鶴家千とせネ。イェ〜イっ!)
でもさ〜マダム。洗濯機はキレイにする機械だよね〜!?(まだ言ってる)
でもよ〜マダム。我々の幼い頃と違って、全自動洗濯機なんだぜ〜!!(まだ言ってる)(からんでるんだね)
子供の頃、俺んち脱水機が無かったのかな...洗濯機の横についてる麺棒二つ重ねた様なローラーで、母親が「ヨイショ、コラショ、」ってかけ声掛けながら濡れた服を搾ってたよ。手伝わされたの覚えてるもの。
他所の家では見なかったな、そんな代物。物を大切にする家だったからね。ただ単に貧しかったってことか...
「アンタのズボンが一番大変だわ」って、よく母親は嘆いてた。“嘆きのヒト”だったからね。
あ〜もしかもしか、今俺も嘆きのヒト?参ったな... でもさ、今さマダムと呑んでるつもりなんだからさ〜許しておくれよっ。
んでもさ、“ズボン” って言い方も凄いね。もう死語なんかな?チョッキとかさ。俺つい言っちゃうけどね(笑)
あ、話全然違う方向行っちゃった...
やっぱりマダム。ヴィックス・ウ゛ェポラップ効果だけどさ。(お?その話かい?)
気がつくと鼻は通ってるんだな。やったぜ!って感じ?
やっぱし、鼻は通ってなきゃいけないぜ。
オトコも女も衆生皆、鼻毛を気にする小心より、“鼻通り”を気にしようぜ。匂いって大切よ。
鼻毛もアソコの毛も、人それぞれよ。だってしゃあないでしょが!意味があって生えてんだから。
毛の好きな様にさせてあげなさい!
あ、又全然違う方向行っちゃった...
おお?そう言やぁ、いつの間にやらー
針葉樹の花粉も飛ぶのを辞めたね。梅雨入ったもんね。
でも、いつからオイラの鼻は通っていたんだい?
コリャありがてえ。“スースー現象”って奴かぇ。
こちとら鼻も懐も、ついでにココロって奴もスースーよ。
風が吹いてるぜ、風が。
そこの影と日向の間によ、
各々の足跡と余白の間によ。
(今夜の脳内ミュージック/JOAN OSBORNE "Dracula Moon" )
39. ジョゼ? [日々雑感『本日もまた混沌と』]
38. カンジルの薦め [日々雑感『本日もまた混沌と』]
AさんがBさんのことを語っても、それは、Bさんのことではない。Aさんは気づかないかも知れないけれど、実は、Bさんという鏡に映ったAさん自身の姿なのだ。 「ビートルズ入門」を読んでビートルズがわかるはずはないように、「フロイト入門」を読んでフロイトがわかった気になってはいけないように。新聞や雑誌やインターネットの中での書き込みもそうだ。褒め言葉も悪口も、うのみにしてはいけない。批評も評論も評伝もインタビュー記事も追悼記もそれらはすべて、書かれた人のことではなく、書いた人の作品なのだ。よく知っている分野については、「それは違う」と判断できるけれど、知らない分野については、つい「そうなのか」と信じがちだ。 美味しいお店や温泉紹介もあてにならない場合がある。たとえば、あなたの一番身近にいる親や兄弟や友だちが、あなたについて何か語った時、本当に当たっているだろうか。ましてや、見知らぬ人があなたのことをわかるわけがない。自分でさえ自分をわからないのに。 このことについて、「批評家は何を生み出しているのでしょうか」という歌まで僕は作ってしまった。しかし、まだ言い足りなくて繰り返している。「知る者は言わず、言う者は知らず」という老子の言葉で十分なのに。
29. 鶏,シンプル,悪あがきetc. [日々雑感『本日もまた混沌と』]
25. あゝ鉛詰め [日々雑感『本日もまた混沌と』]
11. 痛いからです。 [日々雑感『本日もまた混沌と』]
書きたくなかったからじゃなくて、
書きたくても書く事が出来なかったからで。
有り難い事に読者が心配もしてくれているようだから、
今日は限界までは書いてみるよ。
でもさ...
書く事はおろか、座る事も立っている事も、
じっと寝ている事さえままならない症状を抱えているんで。
古傷の椎間板ヘルニアからの座骨神経痛に苦しんでてね。
熟睡も出来ない。
痛みで夜中に何回も起きてしまう。
とてもじゃなくて、仕事も休んだ。
今回は久方振りに医者に行った。
なるべく飲みたくないけれど、あまりにも痛くて何も出来ないので
痛み止めも筋肉弛緩薬も飲み始めてる。
けれど今は未だ食事もままならず、
立ったり座ったりしながら、
食欲も無いのに食後のクスリの為に何かしら食べている、そんな状態。
パソコンに向かうのもかなり苦しい。
タイムリミットは5〜10分ってとこかな。
過去この痛みに関しては、
何度もぶりかえしては騙し騙しここまで来たけどさ。
今回のは、酷い。
だからちょっと当分は更新出来ないかも知れないな。
何事も身体が資本だと(コレがほんとの)痛感。
昨年は怪我から左足先親指の根元に髄炎を起こしかけ、
よもや足先切断!?と医者に脅かされる程に紫に腫れ上がり、
今度は右足の太もも付け根からくるぶしまで、
擦り傷切り傷は茶飯事で慣れているけど、
この連続した神経の痛みに慣れる事は無いよ。
味わった者にしか解らぬ痛みだ。
この部分を切ってえぐり出してくれ!と叫びたい位な...
ああ、今は余裕の欠片が無いからね。
病気や怪我の時は独りは辛いね。
けど試練だね。
なるべく早く戻ってくるさ!
再開したら又よろしく。
(本日のミュージック/レメディオス・シルバ・ピサ「Naci en Alamo」)
5. なだらかな坂道の途中で [日々雑感『本日もまた混沌と』]
T線M駅に向かい、なだらかな長い坂道を上っていた。
途中の某コンビニエンスストアに立寄り、ごまあんまんと水を買った。
頭が割れそうに痛くて薬を飲みたかったので、
シカタナク、水を買った。
(まあ、なるべく水は買いたくないーその様な育ち&世代なのである)
終業に向かっておしっこをずっと我慢していて、
現場を出る際も済ませるのをつい忘れてしまった。
駅までの道程、このままじゃワタシの膀胱は「保たないな」と思ったので、
“店員に一言お断りになってからお使いください”
との貼り紙のあるトイレを借りた。
ちなみに、“おしっこがしたくてあんまんを買った”訳ではないよ。
とても狭くて汚いトイレだった。
ホント、コンビニのトイレって否何処のトイレも、
掃除の仕方ー管理っていうのかな?違うよね。
やはり上の人に一人でいい、「清潔にしようよ!」って呼びかける人が居ないと駄目なんかな?そんでその人自らも手を下さんとな。
一度なあなあに成っちゃうと「誰かやれよ〜」とか「どうにかなんないのかしら」って、
“人任せ”になっちゃうんだろうな。
兎角そうゆう事ってある。
自分の家のトイレも誰か他の人に掃除してもらうのかしら...
田舎者で旅好きなワタシは
古さに依る湿っぽさや使い勝手の不便さはむしろOKなんだけど、
清潔に出来るのにしない不潔さってダメなんだな。
汚れを見ているっていうより、その人と也を見てしまった気がして。
表だけ着飾っていても、中身が手抜きというか...
“自分の尻拭いは自分で”
これは生きる基本じゃあないすかねえ。
当たり前の事が出来る者同士だから、尻の穴までいざとなりゃ拭き合える〜みたいな、そんな愛が欲しい...
(すみません。脱線しました。)
でも、ここで書こうと思っていたのはトイレの話じゃないんだ。
トイレから出て薄暗い通路で一瞬立ち止まった時だった。
従業員専用と書かれたドアの直ぐ向こうから若い男の声が聞こえた。
要するにワタシは立ち聞きしたのだった。
「何だか汚たないオヤジでさあ。いかにも肉体労働って感じな訳よ。
そんでなかなか帰んないの。何だかブツクサ言ってるわけ。
“お兄ちゃんはいいよなあ〜暖かい場所で働けて”とか言うわけよ。
ったくよ〜知らねえよ。そんなの。俺の勝手だろ?
あんただって好きでその仕事やってんだろうが。
ぐちゃぐちゃ泣き言なんか言ってんなよって感じだろ?
俺に言われても困るぜっ。な?だろ〜。嫌なら辞めりゃいいじゃんか。だろ?
俺の知った事かよ。全く迷惑な話だぜ。ウルせえっつうの、な。
こっちだって色々あんだからさ〜
あんたの愚痴なんか聞きたくねえっつうの。な?だろ?だろ〜。」
こんな具合だった。
どうやら携帯電話で話している感じだった。
彼は仕事上がりか休憩時間か、ドア向こうで友人に愚痴をこぼしているのだった。
ワタシは胸の辺りが震えた。
気がつくとドアノブを見つめる自分が居た。
自分の衝動を押さえるのに(それはものの数十秒のことであったろうが)
もう一人の理性とか社会性とやらが働く自分が
「いかんぞ...押さえるんだ...ダメだぞ...留まれ...」
そう言って、もう一人の自分に水をかけてなだめるのに必死だった。
ワタシ自身が四六時中建設現場で働く、そのいかにも肉体労働に従事しているからかも知れない。
夏は熱中症と戦い、冬はこの寒さに風邪と腰痛などと戦い、
唯一気が休まるのが、こうしたコンビニや公園やビルの陰だったりするからかも知れない。
もしくは育ってきた環境や放浪や後の仕事の過程で、
年配の人や老人と関わる経験が多かったからかも知れない。
それとも幼い頃“拳を受けた者は拳を振るう”みたいな“負の連鎖”に甘んじているのかも知れない。
理由なんか判らない。
そいつのコトバに無性に腹が立ったんだ。
そりゃあ、皆誰しも色々あるさ。
今あなたの一方的な話は聞けないーみたいな状況だってあるさ。
でもさ、お兄ちゃん。こうは思えないのかい?
仕事に限らない、人が自分の人生を歩いてゆく過程で
自身がその度に選んで踏み出した一歩でもさ、
どうしようもない流れってあるじゃないか。
仕方の無いことって沢山あるじゃないか。
そのオヤジさんはさ、
本当に寒い北風に晒されて働いてきて、
喉も乾いたろうし腹も減ったろうし、
何を買いにきたのかは判らないけれどこのコンビニに来てさ、
「あったかいなあ。いいなあ。あったかいことは有り難い事だなあ。」
「ああ、うらやましいなあ...」
って思ったのかも知れないんだよ。
いいや、郷に残してきた家族ーもしかしたら別れた家族に、
歳の頃が君と近い息子が居たりなんかして、
ただ単に君と一寸話しがしたかったのかも知れないんだよ。
話掛け方がへたくそなだけでさ。
ワタシだって若い青い頃はむちゃくちゃもした。
泣いたり泣かせたり色々あった。
今だって試行錯誤の紆余曲折の真ただ中だ。
でもさ、そりゃないぜ...
したくなくてもやらなきゃ成らない事、会いたくても会えない人、言いたくても言えない事ー
人生イロイロあんだぜ。
愚痴なんか誰にも聞いてもらえない、下手したら誰とも話さずに毎日が過ぎてしまう人が一杯居るんだ。
もう少し他人に優しくなろうぜ。
いいや、人に〜だけじゃない。
ネコやイヌにも、虫にも鳥にもだよ。
木にも山にも、川にも海にもだよ。
もう少し、もう少し、さ。
そんで、ついでにトイレーもう少し掃除しておけよ。
お前がやりだせば世界は変わり出すんだー
勿論ワタシは、騒ぎ等起こさずにコンビ二を後にした。
駅へ向かって長いなだらかな坂道を歩きながら、
いろいろ我慢してる他の事も一緒クタに成った心でかな...
何粒かの涙は坂の下へ転がっていったさ。
(今夜のミュージック/友部正人「一本道」)
2. はじめに [日々雑感『本日もまた混沌と』]
陽射しはどことなく真冬のそれとは違ってきたけれど、
さっき洗濯物を干しに外へ出たらかなり寒かった。
風が刺すように冷たくて、洗濯バサミを摘む時に指先がかじかんでまごついた。
さてと。
夕べの失態を取り戻すべく、当初の目論みを実行すべく、
「はじめに」のコトバを記そー
ワタシは何年か前にパソコンに触れだした。異様な奥手である。
昨年知人に誘われmixiに参加してみた。なんだかよく判らぬままに。
友人は以前からの二人のみ。ほんの少しやり取りした。
二回ほど日記を書き込んだ。
三十数個コミュニティを登録した。
「うわあ、車谷長吉のがあるじゃないか。うはあ、鈴木亜紀のもあるじゃないか。
スナフキンからブルースビンボーズまで!
おっと〜フランシス・ベーコンからアマンダ・プラマーまで...。
モンティ・パイソンなんて幾つもあるぞっ。YBO2も...う、う〜ん、恐るべしインターネット...」
(そんなコトバ在るのかどうか知らないけど)
けれども、それだけのことであった。
平日はコミュニティを覗く余裕など無かったし。
休日に一寸頁を開いたところで
つまりは“消費を促す情報の羅列&若人の集い”的なニオイにうんざり。
「ワタシたち、もっと早くに会えてたらよかったのにネ...」である。
人生時間は限られているのだからね。
たとえこの様なケイザイ的には貧しいMY LIFEであれ
やらない・しない等の “選択の自由”はノコサレテイルのである。
知人と “そうは急がない話” ならメールがあるわけだし。
同時代の流行や情報に「乗り遅れたくない」なんて気持ちは自分ゼロなんだし。
今まで、何故だかきっと必要なネタは、
この足で移動して出会った景色や人や音楽や本から、しっかり頂戴してきた気がするし。
第一、そんなに多くの情報って必要なんかしらって思う。
知りたいときにゃ、やっぱり動かないと。
お手軽に仕入れた情報は、割と簡単に忘れちゃったり
過ぎてしまえば大した影響無かったりするものだ。
少なくともワタシの場合は。
そしてワタシはmixiに興味を失った。
退会する潔さは持たぬままにー
・・・けれどなんだろう、この感じは?
う〜む、残されたこのムズムズは?
以前から日記は時折書いてきた。ホント時折。
その日の事を記すというより、
突然 “針の穴から風呂敷をヒロゲル” みたいな雑文を。
(そんなコトバ在るのかどうか知らないけど)
(あ、そういえば昔「突然ダンボール」ってバンドがあったな〜)
友人のK氏と実妹に勧められていたブログ。
ブログなんてコトバも実態も知り得ず、なんとなくオソロシカッタ私。
でも今、「ワタシ、ブログハジメタイ....」のでした。
街角の奇麗に磨かれたウィンドウにも、占い師の水晶玉にも映らない “ワタシ” を知りたいのか?
“我何処から来たりて何処へゆく?”みたいな?
それとも不特定多(少)数に向けての披露欲?公開欲?発表欲?
まあ、そんなのもあるやも知れないな。
いやあ〜分析は世にいっぱい居る評論家に任せときゃいいやね。
かくして遅ればせながらコレを始めるワタシであった。
何歳になっても“初体験”とは、先ずは恐ろしく、実際は甘く苦く唯ひたすら無我夢中で、過ぎてしまえば哀しい ーそんなもので。
「未だこの世この国に、この様な者がおるのか...」
と御思い下され、皆の衆。(一礼)
1. はじめにの為のはじめに [日々雑感『本日もまた混沌と』]
幼い頃「男は泣くな!」と、親父にげんこつをくらって育ったのに。
青い頃「なんで泣かないの?」と、一緒に泣けるはずの映画を観た女性に問われたこともあるのに。
今、泣きそうになったのだ。
何故ならその理由は“消えちゃった”から。
消しゴムで消したんじゃない。
一瞬で消えてしまった。
「あっ!」と息を飲んだ瞬間にはもう消えていた。
4時間もかかってやっと始めたブログ、第一番の投稿、それもかなりの長文。
間違って消してしまったわけ。
どこか間違った操作したわけ。
それで泣きそうなわけ。
だからパソコンは苦手なわけ。
それでもブログを始めようとしたわけで...
「また初めっから書くんですか〜!それしか無いんですか〜!」
もう気力が無い。
体力が無い。週末だもの。
瞼が落ちてきた。
今夜はこれにて、さらばじゃ。
0. 引っ越しましてヨロシクて [日々雑感『本日もまた混沌と』]
ほんの少し経ったところで突然モデムがクラッシュしまして。
その際、外資系プロバイダーの対応に多いに不満がありまして。
よく考えずに解約しまして。
そうなんです。大変だったのでして。
こうゆう事に疎いワタシも、友人K氏のおかげで新しいプロバイダーに乗り換える(この言い回しはあまり好きでないけどね。)ことが出来まして。
しかし、丁度この時期は年度末で労働の方も忙しくて。
そんで、休日など昼過ぎまで曝睡してしまう始末でして。
そんなこんなで、こうしてブログ再開までかなり間が空きまして。
読んで頂いていた方には御心配をかけまして。
とりあえず疎いワタシは以前のブログから記事をドラッグ&ペースト?してみることにしまして。
今後ともどうぞヨロシク、て?
(今夜のミュージックは「よそ者」RCサクセション)