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84. 雨の足あと [日々雑感『本日もまた混沌と』]

(以前より愛読させて戴いている或る御方のブログに “傘”についての考察がありました。ワタシ、触発されました。)

傘といえば、思い出したのは学生時代の頃のことです。
年月を越えてそれなりに皺も刻まれ、きっとその辺りを「思い出したい」のかも知れません。


府中の多摩川沿いにある高校に通う頃、カップルは帰り道に通称 "けもの道" を通るのでした。
けもの道 ー 今思い出しても笑えるそのネーミング!
通常の通学路と異なり、途中に神社や林が点在し何処となく薄暗かったり、土が露出した部分も多い道でした。
先輩から後輩へ自然と受け継がれるその"道行き"?は、それは伝統とも云え。
何故か学校からも騒ぎ立てられることもなく、静かに日々流れてゆく光景だったのです。

彼女、彼氏が出来た者たちが二人並んでゆっくりと歩いてゆきます。
カップル同士が誘い合わせることもなく、互いが或る程度の間隔をもってその道を帰るのでした。
駅までのおよそ20~30分の、ゆるやかな登り坂の薄暗い道。
雨の日は特に暗く...
川も近かったし、田畑の用水路もそこかしこを流れていたので、時には霧に煙る "けもの道" だったのでした。

今、目を閉じれば、その道すがらの相合い傘を思い出したりします。
「もっと**君が濡れない様にさしなよー」
「あ、俺は平気だよ。」
なんて会話してたのかな...
「もっと真面目に授業出なよ〜。単位平気なの?」
「そうだね...」
なんて会話もあった筈です。
カップルそれぞれが "二人だけの世界" の歩を進めながら、きっと女子はこの人と付き合い続けてゆくべきか冷静に前も視ていたことかと思います。
そんな時にきっと男子は、片側が濡れる冷たさをもいとわず、一所懸命に彼女が濡れない様に無理してたのでしょう。
男なんてそんな馬鹿なもんです。


   *


以降、20代にデスクワークを4年勤めた時期以外、僕は傘というものを持った経験があまりありません。
元々東京の外れの田舎育ちで、よく夕立の中をびしょぬれで遊んでいた子供でしたし、
趣味も釣りですから、雨の日は雨具着用での釣りに良い結果が出たり。
20代後半からは転職するも、ずっと肉体労働の範囲でしたから、雨の日は雨具着て "追い込み" なんてザラで。
そして今は林業に従事しています。つまり現代の樵の端くれなんですね。
山の天気は変動が激しいので、日々リュックには雨具が入っている訳でして。

街の雨と違って、自然の中で多少濡れるのは気持ちがいい時もあるもんです。
とかく体力は奪われますが、けむる雨の中の森の妖気漂う風景や、天からたゆまなく落ちてくる雨つぶをふと見上げる時、
.....自分も生き物のひとつなだけであり、この世界にとっては小さな存在で、されど今の目の前の選択(たとえばコノ木を切るか切らないかーとか、アノ人にどう応えるか応えないか等...)はそれなりにとっても大きなことで.....
とか何とか、色んなことを考えさせられたり。


     *


人生の半分は越えた今、残りの時間に傘を苦なくさす道行きがあるのだろうか...と、ふと思ってみます。
わかりません。今は何も見えません。
いいえ、今までも何も視えてはいなかったのかも知れません。


あなたの傘の下には何が見えるでしょうかー
繰り返す怠惰な日々でしょうか?
思わぬ隕石衝突ぐらいの出逢いでしょうか?
いえいえ。そんな両極端の間こそが、寄せては返す波のような "日常" というものですよね。
そんな日常に、時々存在するRAINY DAY。
他でもない、たしかにあなた自身が歩いている道の上に降る雨。
さす傘の下にはいつだって、 "雨の足跡" があったのではないでしょうか...

雨の日がありました。
これからもあります。
されどあがらぬ雨はなく、いつしかその足跡は消えてしまうものです。
土中に染み込んでしまったり、下水管に流れてしまったり。
はたまた蒸発して天に昇ってしまったり。
そこに、今ではめっきり姿を消してしまった "水たまり" が在ったとしても、
もう僕らは何かと理由をつけて、靴のまま(あるいは裸足になって)飛び込むことはためらってしまう...

      *

「忘れたくないことや、大切だと思うことは、何度でも思い出して日々の一部にするしかない」
これは好きな漫画『蟲師』で主人公のギンコが言う台詞の一部です。


雨を毛嫌いする必要はないのです。
草も木も僕らもみんな、濡れながらここまで歩いて来たのですから。
濡れながら、ここからも歩いてゆけばいいじゃないですか...





   (只今の脳内ミュージック/WORLD'S END GIRLFRIEND "水の線路 / 生命は")

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81. ダップンか!? [日々雑感『本日もまた混沌と』]

今回はお下劣な題名でアイスミマセン。
けれどもこのタイトルが一番ふさわしく、だから仕方ないと思ってお付き合い下さいな。その代わりと言っちゃあ何ですが、今回ワタシのブログにしては短いですから!
って言いますか、そんなに長く書く問題でもないものでー



今、寝床を整えようと敷き布団を広げたら思い出した。
思い出したと云うよりか、タオルケット地のシーツの茶色い染みを見て思わず笑った。

今の現場は秦野市北矢名の弘法山。朝は6:30に螢田の寮を出る。
現場に出る日の朝は一番に起きる様に自ら課している。何故なら自分は冷え性で寒がりで、起きて直ぐにホット珈琲牛乳が飲みたくなるし、リンゴやトーストやお茶漬けや何かしら食べないと脳が働かず、必ず忘れ物をしたり他人の言っていることが正しく理解出来なかったり...と、とにかく大変なのだ。
それに加えて、朝に一番大切なのは腰痛体操!要はストレッチだ。これこそはもう10数年続けている朝の日課だ。山梨での大工時代に椎間板ヘルニアに苦しんで以来欠かさず、である。当時、教育テレビの講座で覚えたヨガに段々と自分なりのストレッチを加味というか、マアごちゃ混ぜの上、忙しい朝だから致し方ない消去法で、効果的面とばかりに残ったポーズ等々。腹式呼吸で10種類程のポーズをとるのだけど。この体操、やるとやらないでは大違いなのだ。

他に昼飯の支度やらナンヤカヤもある。こうして自分にとって朝の支度には最低45分かかる。これに冬時間としてノロノロ&グズグズタイム(苦笑)を15分プラス、要は一旦ファンヒーターを点けてから布団の中に再び潜り込んでいる時間だ。往生際悪し。(A.だって寒いんだもん。)
占めて1時間。かかるよ、かかる、1時間!
朝、出勤に1時間かかるオトコは嫌ですか?(誰に尋ねてんだか...)

       *

5:30に携帯アラームがバイブの振動と共に『ディア・ハンター』のテーマを奏でる。(ここ数年はこの曲で起床してきた。もう何回観直したか忘れた位観てきた当映画についてはいずれ熱く?斜に構えて語ろうかと思っているが、なかなか叶わない。って色んな映画について同じことを宣言しながら、一向に叶わない。)
『ディア・ハンター』でオハヨウゴザイマス。(デ・ニーロに言ってるんじゃないよ。朝の空気に言ってるんだ。)
今朝も、この切なくも哀愁漂う併し悠久の山河の様な曲によって、ワタシは起きた。
起きて上着を羽織り、寝ぼけ眼で先ずは部屋を出て、共同ダイニングのファンヒーターを点け、それからトイレに行き、そして再び寝床に戻って来た。
それから、これはいつもしていることなのだが、電灯を点けた。深く二度寝しない為に。
ここで異変に気がついた。
「な、なんだあ!? ...?......?............!!!」

茶色くて、丸っこいもの...。否、楕円っていうか、そんで少しつぶれてグニャッとなってるもの...。はだけた上掛け布団とシーツの隙間に。コロッと転がってる。否、転がってない。グニョっとつぶれてる。シーツも汚れてる...。
「おや?一体なんだろう〜?」
なんて悠長な気分じゃなかった。一気に焦りまくり、それも寝惚けてる上の焦りだから、
「なんなんだ!え?なになに〜!?」
っと、唯只同じ文句が脳裏をかすめるばかり。

もうこれ以上引っ張るのは辞めましょうかね。ここらでハッキリ言いましょう。そう...
「“うんこ” に違いない」
と、一瞬にして思ってしまったのでした。どう見たって、只の“うんこ” でしたから。
だから余計に焦りまくったのでした。

Q.じゃあワタシは過去にうんこを布団に漏らした経験があるのか、無いのか?
A.そりゃあ無いです。
Q.じゃあ、おねしょは?
A.ああ、それは得意技だったネエ。当ブログ『50. エレクトーンの音色』に書いてあるね
Q.じゃあ夕べ、初めてうんこを夜中に漏らす様なことをしたのか?何か思い当たる原因があるのか?
A.それも無いです。と思います。

だんだん冷静になってきました。隣の部屋では先輩や同僚が起き出して朝の支度を始めた音が聞こえてきます。
「どうする?どうする?どうすんだ俺っ!」
そこでワタシがとった行動は....
先ず、指で “摘んでみる” でした。
次に、鼻で “嗅いでみる” でした。

Q.何を?
A.茶色くて楕円っぽいグニャッとした物体を!


       *


その物体は、いい匂いでした。
カカオの香りの “うんこ” だったのでした。

換えのシーツなんて持ち合わせていないので、なんてこたあない。次の休日の朝にでも洗濯するまでは、この甘〜い香りの中で眠るとしましょうか。
背中に付いたっていいさ。
身体に付いたっていいさ。
服は毎日洗濯してるし、風呂にだって入るし、何の心配もないさ。
だって、だって、うんこじゃないんだもんっ。

嗚呼、一瞬、ダップンしたかと思ったぜ...


よかった、よかった。"アーモンドチョコ" で!
唯単に、夕べ食後に寝転がって何粒かボリボリ食ったのを、スッカリ忘れてたのでした〜
苦笑いもいいとこ、でしたナ。一粒で100倍驚いちゃったぜ。
まったく。忙しい朝に、なにやってんだか〜って感じですナ。

       *

Q.なんで思い出せなかったの?(ここは『アイデン&ティティ』での麻生久美子風の天の声でネ)
A.それはね、朝は大変な人だからさ。



追伸/でも、マジ焦りました。だって、歳重ねると男も女もマア色々あるし、ネ。
課題/ぜひ皆さんもトライしてみて下さい。寝床に寝転がってアーモンドチョコをボリボリ食べてみて下さい。
一粒コロッと転がって、明日の朝にはダップンかと...焦ること間違い無し!


但し、もしアナタが “朝は大変な人” ならば。









       (只今の脳内ミュージック/Robert Plant & Alison Krauss “Nothin' ”)







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78. ゼッタイ色 [日々雑感『本日もまた混沌と』]

「人生には白とも黒とも決めつけられない、見分けもつかないことが沢山ある。ほとんどがそうだと言ってもいいくらいだ。 けれど、私にも一つだけたしかなことがある。それは...」
或る映画の中にそんな台詞を聴いた。よく耳にする、使い古された言い回しかも知れない。
でも、そうだ。生きているといつしか、何もかも灰色ばかりなことに気がつく。
外側も、内側も、だ。

      *

絵の具を混ぜて中間色を作ったことが誰しもあるだろう。思い出して欲しい。
白と黒を混ぜて作る灰色は、実に幅広いトーンを魅せてくれた。
例えば赤と青で紫。青と黄色で緑。それはそれで、実に多層な色合いが出来るもので。
濁ってしまったり有毒な反応をおこしてしまう組み合わせの禁忌色を避ければ、絵の具の混食は新しい驚きに満ちている楽しい行為だ。
パレットや小皿の上で産まれた新しい色はまるで「こんなんでどう?もういいんじゃない?ぼくを使ってみなよ!」と声を発してくるようで。興味の無い人には通り過ぎてしまう作業かも知れないけれど、そうして混色しながら何かの拍子にハッとした人も居ると思う。

子供の頃から絵を描く事と釣りが好きだったのは、もしかすると絵の具をいじっている時間や仕掛けを作ったり浮子を見つめたりの時間が好きだったからかも知れない。
幸い小学校で図画工作(懐かしいこの名称!)の杉山ボン先生(ごめんなさい。漢字が見つかりません!)を通して、自分が作った物を人に “誉められる(認められる)悦び” を知ることが出来たし、昭和40年代の浅川は上流に遡ればヤマメやカジカ等食べて美味しい魚が沢山釣れた。つまり結果の満足度も高かったということだろう。だから夢中になれたのだろう。
けれど今になって思い返せば、それらに取り組んでいる “静かなーけれど能動的な時間” が好きだったのだと思う。時が止まってしまったかと錯覚させてくれる、その時間が好きだった。いつまでもそこに居たい、いつまでもそうして居たいなんて思えることはそれだけだったから...

何も起こらないかの静かで集中出来る時間。他の問題を全部忘れて、そのとき僕は幸せだったと思う。やもすると集中しすぎて口が半開きになり、実はよくヨダレを垂らしたりしていた。一人の時にはホントよく垂らしていた。(苦笑!涎を垂らす程の集中、涎を垂らす程釘付けの状態...とんと最近はご無沙汰だ。)
そんな静寂のなか変化は突然訪れる。川面をプカプカ流れていた筈が、突如水中に引き込まれる浮子。脈釣りで、見えない川底から竿を通して手元に伝わるビクビクッというアノ感触!そして机の上でゆっくり混ぜていた絵の具は、ほんの一滴ひと混ぜで驚く程の化学反応を魅せた。そんな瞬間に僕の心は跳ねていた。一瞬で。一瞬で舞い上がり、まだ薄い胸の中で心臓は高鳴っていた。

     *

"灰色" は視覚的にトーンが判りやすいからなのか、一粒の絵の具の滴りを加えただけでガラッと表情を変える場合があったと思う。そう、実にいろんな灰色が在る。
都会のコンクリートジャングルを灰色の世界と呼んだり、灰色と聞くとあまり良い連想をしない人も多いかも知れないけれど。
そこで思うのがーモノゴトを「白黒決めつけた時点で必ず見落としたり “ないがしろ” にされる部分があるもの」だと仮定したらば...どうだろう?逆に結論を灰色のどこかのトーンに浮遊させておくことは、実は次の一手や過去の検証の為にはむしろ得策かも知れないんじゃないかな?ただし、これは曖昧にして忘れてしまえという話ではないのであって。
ちゃんとそのグレーを、美しいとか醜いとか、その時点での好みや狭い現代の常識良識とやらではなく、つまりは判断ではなく、自分自身が “感じる” ことがいいのかなと思ったりする。黙って感じるのが。
それは一つじゃない筈であって。たった一面たった一個の感想しか持て無いなんてあり得ないんであって。真剣に向かえば、それだけ色んな感覚が産まれて当たり前だと思うのだ。

誰しも自分という人間を、ゲームや通信機器のボタン数個の組み合わせで「この人はコノヨウナヒトです」と一刀両断に表されて「ハイおしまい!」では決して満足しない筈。
一個の文句、一行の文をもって断罪出来るほど人間はそんなに単純ではないし、裁きの大王エンマ様ほど偉くはない筈。
この世の中も私達一人一人の内側も、グレーゾーンは多相って話...かな?(そんな話か?)

ああ俺は何が言いたいのだろう...? 一寸書く間を空けたらワカラナクなってしまった。
ちゃんと考えて書き出したりはしていないし、下書きとして読み直して構成し直すなんて気力は湧かないし。
ま、誰もそれほど真剣に読んじゃいないだろうしさ...考えて書けば、それだけ重くなりがちだしね。
やはりこれだけ更新休んでいると殆ど連絡来なくなってしまうんだね...当たり前か!? 
それでも何かを誰かに伝えたいんだろうか?誰でもいいから訴えたいんだろうか?
何年も大きな声出していないから、本当は叫びたいのかな? 
叫ぶとしたら何?なんて言う? .......。
「イキテルヨ〜!」「ダカラサビシイヨ...」そんなものかな?    




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絶対的な神を崇められる強い信仰心を、少しだけ羨ましく思う時がある。
信仰にのっとって暮らすことは、何かの事情で異集団の中に閉じ込められたりしなければ、日々揺るぎない指針に基づいて “守りの姿勢” を貫くことこそが美徳となるのかな?何よりも、その者の自信になるのかな?
人の心の純粋さは、“守る” ことを “続ける” ことを通して、“生きてゆく自信” も加算しやすいと思う。
それが無い自分は時々信仰心を羨ましく思うのだと思う。思うだけに留まるのは、昔知人が新興宗教にハマったり、地方在住時に某真理教信者に間違えられ嫌な思いをしたりーそんな経験からのトラウマだけではない。
幼い頃は小さな教会に通っていた。あの空間は好きだった。賛美歌を歌い、カミサマの話を神父様から聴いていた。病弱でよく寝込んでいたし、子供ながらにしてもカミサマについて考える機会は沢山あった。(この話はまたの機会に)

そう...規律や規則、教えにのっとって動くことは、実は容易いことかも知れない。
学校であれ会社であれ対個人であれ、約束に縛られるって、その時は息苦しくても。
しかしながら過ぎてみれば「ああ結局は楽だったんだな」と気付いたりする。“楽”ってのは広い意味で、です。


絵の具の話に戻すけどー
“中間色” に対して両極の色、つまり白や黒だったり赤や青だったりは、一体「〜色」と呼ぶんだろうか?
勉強してこなかった俺は(好きな世界の事でさえ)名称や理論なんかは知らないことばっかり。
ところでソレがもしかして“絶対神”(そんな言葉あったかなかったか知らないけれど、俺の中ではアリでね。)みたいに “絶対色” とか呼ばれたりネ。
だとすれば(否、だとしなくてもなんだけど...)俺が好きな色、落ち着く色は “中間色” だなあ。中間のトーンの何処かに落ち着く場所があるみたいだ。
それは大人になるに従って、酸いも甘いも経験してきての変化って話じゃない。第一、幼い頃か “絶対色” を好まなかったんだよね。絵の具を混ぜるのが大好きだったワケだから。

そう云えば...どんどんいろんな色を混ぜてゆくと、それがどんな順番であれ、何とも言えない茶色というか濃い灰色になったと記憶している。多くの子は「汚っねえ色〜!!」だと言っていた。僕もそれを “うんこ色” だの “泥” だの言って、訳も無く面白がって何度も作っていた気がする。
せっかく綺麗なピンクや紫や黄緑が出来たところで、塗りたいところにその色を塗った後は、必ずその “うんこ色” を作っていた。
作った後はノートのふちに塗ったり、掌にハンドクリームみたいに塗ったくって手形をつけたり。そして度が過ぎて先生に怒られて廊下に立たされたりした。
(余談だが、今思えば日々の “うんこ” があんな色をしていたら相当病です。医者に行った方がいいです。けれど赤ちゃんの “うんこ” は色んな色があるもので。その前に食べたものが顕著に色に影響するんですよね。“うんこ” だと思わなければ、我が子の “うんこ” なんて「なんて綺麗な色なんだ」と思うことさえありました。あ〜全くの余談でした!忘れて下さい。)

        *

なのに? 人生には “絶対色” で決めなくてはならな場面が度々あるから困る。
「白か黒かはっきりさせなさいよっ!」って、時間制限アリで詰め寄られたりする。
その答えは、決してうんこ色やアースカラーではならないのだ。マークシートで四角い枠と枠の間を塗りつぶしても駄目なのだ。
世界の自然物の総ては必ずや直線で出来ておらず、独自の “中間色” であるにも関わらず!

そして、もっと困ったことには...誰に問われなくとも己の内側でも葛藤があって、とりあえずでもハッキリした答えが欲しい時があることだ。それが出なければ一歩も前に進めない気がしてしまう時があるのだ。
現実には何の明確な答えを出さずとも、時間って奴は止まらないし、総ての事象はどんどん進んでゆくのだけれど。
それに進むってことは、一歩一歩最後の時に向かって、つまり死に向かって “残り時間が減っている” に違いない筈なのに。
なのに前に進みたがってしまう。早く答えを欲しがってしまう。ハッキリさせたがってしまう。
(しつこいけれど、)世界は何かしらの中間色で出来ているのに!
少しよく見れば、考えれば、こんなにも不確かで不確かで、混沌とした世界なのに!

      *

混沌とした世界に一輪の花。僕もあなたもそれに魅せられる。
でも赤い花だってみな同じ赤じゃない。白い花だっていろんな白があるよ。
木々の緑は、新緑の萌える季節以外だっていろんな緑に満ちているもの。

無茶だ、俺には無理だっ〜って思う。しょっちゅう思う。
こんなスピードこんなテンポじゃ、息の根の前に “気の根” って奴が狂ってしまいそうだ。
不特定多数や一般って奴に比較されて “弱い” と烙印を押されても仕方ない。けれども、烙印を押す方達が尻を吹いたりパトロン的行為をしてくれたりした試しは無いもの。


しかしだ。話戻すとー
そんな "中間色" な自分でさえ、例えば冒頭の台詞にあるように一つだけ “たしかなこと” って奴が欲しい時がある。"絶対色" を旗にド〜ンと掲げたい時がある。だから困る。すがる何かが欲しい。弱い心が、そんな波に長期に渡ってを苛まれる。
仲の良い友人には、「人は多重で多面的だよな」なんてのたまう自分自身が、そのことに苦しむ。
たった一個の石を懐にしまい、大切に温めながら、信じて止まず、ブレずに歩んでいけるような....
そのまま死んだっていいから...
健康ばかり考えてダラダラ余生を生きるより、信じれる何かが欲しいと強く思う。


自分にとって、昔たしかだと信じて止まなかったことが、気が付けばいつしか霧の向こうに...
第一に、そんなものが在るんだか無いんだか...
自分にとって、たしかなことって結局は何だろうな...
恥ずかしいけれど、またワカラナクなってしまったよ。
あんなに強く信じていた頃があったのに、中年期にこんなにも揺れて不安に襲われるのか...

自身を信じるって自分には、とても難しいことで。だから当然他人も信じる事が出来ないのか...
自分を励まし続ける疲労に効く合法の(笑)サプリメントが欲しいデス。そんなものが在ったらきっと値が張ることでしょう。悪い事をしたりゴミを増やしたりして現金を稼ぐより、“手間返し” でお返ししたいなあと思います。
否、いけないいけない。薬に頼ってちゃあいけないよね。You Tubeで『ゴミ捨て場の子供達』を観ても判る様に、世界には病気になっても薬を買えない人達が沢山居るのだから!


       *


海図を失くした船乗りは
星を読むんだったか? まず南十字星を見つけるんだったか?
あいにく俺は星座に詳しくないんだった。そう云えば自分の星座すら、どの季節にどの空に輝くのか知らないな...
けれどいつだって雑踏の片隅から、どんな空をも見上げている。夕方になれば、あれは一番星かと無知な視線で探している。アスファルトばかり見下ろしてはいないんだ。
ただね、一寸ね。
 “星を読めない船乗りには "絶対色" をー” ってね...



いつだって揺れ惑ってばかりだ。
あーだこーだと書いたところで、まあサビシイには変わりない。







 (今日の脳内ミュージック/KING CRIMSON "Islands" /K.ティペットの運指間違いまで美しい曲です。)


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75. 揺れるユキヤナギやハルジオン [日々雑感『本日もまた混沌と』]

随分と間が空きました。今日までどうにも書けませんでした。
パソコンに向かう時間も、せいぜい明日の天気を調べるくらいしか持てない “イソガシイ日々” でした。
“イソガシイ” というコトバは都合の良いもので、実は悪魔の様に “言い訳のジンセイ” を呼び込むと思うので、本当は使いたくは無いのですが...
しかし、ココで使わなければいつ使うんだ!?って位の日々だったので、今回は堂々と?書いてしまおうと思います。

『半月と硝子のブイ』に遊びに来てくれるだけでなく、コメントやメールまでくれる方々には、とても感謝しています。本当です。
大丈夫、ワタシは生きてますから。何もかも忘れる為に?がむしゃらに働いておったのです。金も必要だったのです。
が、何もかも忘れることなんて出来ないのですね...
いろいろ背負いながら、いろいろ流しながら、イソガシクしておりました。そう、数年振りに再びゲンノウをふるっておったのです。
以前の長い田舎暮らしから離れる際には、もう二度と大工にもなるまい...と思ったりしたものです。
が、この3年間の間にやっぱり色んなことがあり、決して一つの心で邁進している訳ではないのですが、まあ収入源を2番目に得意な事に定めるしかない状況となりまして...
1番得意で好きな “創作” をこのまま続けていては、ワタシのジンセイの残り時間では、別れた娘のチカラにも欠片もなれないし、ワタシ自身もいつまでもこのまま独りで生きてゆきたいとも思えないのでして...
本音の片端を言いますと...やっぱりね、寂しくて仕方無いのですよ。寂しくて、寂しくて、仕方無いのです。ナサケナイと言われても、事実そうなのです。
みんな一人一人、独りでイキテイルとは思います。誰と居たってどうあっったって、みんな孤独です。孤独が育てるものも大きいのです。いつも誰かに頼って、誰かに依存して生きていたら、見失うものは大きいものです。けれど、ワタシはやっぱり、誰かと日々共に同じ飯を食べたり、同じ空や、花や、猫を、静かに眺めて生きたいのです。極々アタリマエの筈のセイカツを取り戻したいのです。
家族ごっこでいいんですよ。昔から家族に縁が薄いのだけど、やっぱりこのまま歳をとりたくはないんですよ。結構な叫びですコレは。
勿論そこには融通や妥協やといった、他人同士の摩擦やすれ違い回避の術や、目に見えない色んな工夫が各々必要なのは解っていますから、一言で云って「大変だろうな」とは思います。
けれど、そんなアレコレは何処に於いても四六時中必要であって、実はむしろそんなーアレコレは素敵なことなんじゃないか? そんな面倒な濃い人間関係がいいんじゃないか?ーと、今になって改めて思ったりするのです。
まあこの辺りはかなり気恥ずかしい話ですので、今回はこの辺りで辞めておきます。


話を戻しますとー
ワタシは店舗や個人宅の改装工事一式請け負い会社に、造作大工として就職したのでした。社員としての就職は20代に4年間経験して以来のことでした。実に18年振り位のことでした。
給料が極端に安く、拘束時間が異常に長く、全く創作の時間は持てません。それどころか殆どアパートに居ません。数時間だけ寝に帰っているだけです。
なのにこの選択をしたことの本意...それは上記の思いだけではありませんでした。それは又の機会に書くかもしれません。
唯、一つハッキリ浮かんだ(浮かんでしまった)コトバがありまして。生まれて初めてかも知れません。こんなコトバが浮かんだのは。ハッキリと"負け"を認めたのは...
「俺は負けたんだ」と初めて思ってしまいました。思ってしまったんです。
それでも、いろんな嵐を通り過ごしてきての到達地点だったので、虚しく、悔しく、哀しくもありながら、或る味で妙に清々しくもありました。
だからこそ舵取り出来たのかも知れません。無理矢理に荒療治といった感じもありました。「えいっ!就職してやる!」みたいな...
こんな御時世で、就職出来ただけアリガタイとも思ってはいます。思う様にしています。

仕事内容ですが、正確に云えば日々インパクトドライバーを握っとります。自分が27歳で山梨に移住し、弟子入りした頃は釘やノミ仕事が未だ多かったのですが、時代の流れと云うのでしょうか...今ではこの業界はすっかりビス仕事が占領普及し、8割がソレみたいな感じです。
どこもかしこも、結局はスピードや便利さが要求されるこの世の中。「それはおかしいんじゃないか?」と個人が思っていても、企業や政治家が利益利潤を追求し続けなければ次へ進めないという構造が変わるわけ無いですから、結局はこの社会の一員である限りは、そのスピードやサイクルにかろうじてでも乗っからなくては上手にオマンマは食えない訳ですね。
ロハスだスローライフだなんだかんだと言っても、庶民が今のまま便利さや奇麗さや安さばかりを求め続けるならば、例えばワタシの地味な技術や、驚かそうとはしていない創意工夫なんて、一向に活かされはしないかも知れません。きっとワタシが働ける残り時間は、20年も無いのですから。
それでも迷いに迷ったあげく、数年振りに大工に戻ったのです。

一日平均12~14時間拘束で、平均睡眠4時間半の毎日です。帰宅後はアパートの中を走る様に家事してます。実際にガクガクの膝でドタドタ走っている始末です。数日前などは、引き渡し前の数日は36時間ぶっ通し(途中1.5時間程仮眠)勤務でした。
トホホ...です。泣きたい位、しかし泣く暇もない位、イソガシイ日々です。
賄い婦が欲しいです!が、それにもお金がかかります。贅沢で、我が儘な願いですね。だから、睡眠時間削って自分でやるしかないのですね〜
しかしコレも又、自分の人生でしかありませんのですな...

既に横浜スタジアム前のレストランや、銀座6丁目の隠れ家風のバー等、幾つもの現場に携わりました。先週は練馬区役所前のレストランの改装に通っていました。今は四ッ谷の居酒屋改装に悪戦しています。何故って現場に朝の6時集合ですから!なんと始発出勤です。一部お店は営業してるので、夕方5時には何も無かった様に奇麗に掃除して撤退せねばならず、依って午后3時までしか仕事が出来ないのです。昼休みはホント食べて胃を満たすだけ。食後の昼寝なんてもってのほかです。ワタシは地方で「昼飯食ったら昼寝。10時と3時の休憩には御茶と煎餅とお新香っ。」みたいな大工を続けて来たので、この飯食って直ぐ仕事にかかるってのが特に辛いのですね。
仕事の後は広いお店全体に業務用の掃除機かけてぞうきんがけです。改装部分は仮囲いをして覆ってしまいます。そして高速をぶっ飛ばして新座市の会社に帰り、残材を降ろし、明日の準備をし、現場で出来ない細かい加工があれば工場で残業です。そんな日は2-3時間しか眠れません。他大勢の職人との流れ作業でもありますから、手を抜いたり自分一人の都合で遅らせたり一切出来ないんですよね。
色んな現場、色んな仕事があるもんですね。

創作の道の方は当分おあずけです。自分はどうしても、一つのことしか出来ないんですね。
0から、いいえ、色んな意味でマイナスから再スタートって感じですかね。“生き直し” です。
抱きしめる対象の猫も、ヒトも、ココには居ないので、当分はまだまだ自分の内側に吹く風を抱きしめるしかないみたいですね...

ビジネスであれ、他人に「ありがとう」と御礼を言って貰える事を有り難くは感じます。昔より、確かにそう感じている気がしています。

        *

内装工事一般何でも受け付けます。ご相談も承ります。
ギャラリーや凝った催事場や、一般住宅のリフォームも承ります。
関東一円、高速に乗って結構遠くまで伺います。泊まりもアリです。宿泊費か場所を提供して戴けたらば、何処へでも伺います。
対応の細かさや工夫の提案や仕上がり具合等は、当ブログを通してワタシというニンゲンを計って下さい。
出来ない事は出来ないとお伝えします。しかし予算の中でのより良い提案は惜しみません。
何かの際はご用命下されば幸いです。
ご相談から承ります。先ずはプロフィール頁記載のPCアドレスの方へメールをお願いします。


その内、ブログも(以前のトーンで書けるのか否かは判りませんが...)再開したいとは思っています。新しいリズムを掴みたいですな。
まあ、仕事のことは滅多に書かないワタシですから、今日だけは異例です。色んな方に御心配かけているかと思い、発作的に「書かなくてはー」と思ったのでした。

         *

今年はあちこちの桜を観ました。高速道路からのトラック車窓越しですが。
でもワタシはソメイヨシノが苦手です。良い思い出があまり無いからでしょうか...
桜の樹の下には、封印した過去が眠っています。巨大なイカの触手に絡めとられるかの様に。
あ、でも点在する山桜は好きです。崖や斜景に生える薄紫のモチツツジや、白にうっすらと桃色をさした位の山桜には見蕩れます。
しかしもう何年も観ていませんな〜

いつも会社の車で通る笹目通りに、道すがら一瞬意識がトリップする風景があるんです。渋滞でスピードが落ちて嬉しいのは、この風景に会えるココだけです。
国道が切り通し状になっている場所がありまして、崖っぷちに数十メートルに渡ってユキヤナギが揺れているのです。あんなに凄いユキヤナギの群生を見たのは、上京して初めてですね。小さな白い花が満載の、まるで蛸の触手がスローモーションで「おいでおいで」とコチラを手招きしている様で...
この花には幾つもの深い思い出が詰まっているので、胸が詰まる思いがしました。頭の中も胸の中も一瞬でクウーっとトリップしてしまう感じです。ハンドルを握りながら涙が湧いて来るのです。
同乗の誰にも気付かれない様に、思いも涙もしまいこみました。

そして又、インパクトドライバーでダダダダっとビスを打つのです。
でもワタシはゲンノウで釘を打っていた古いニンゲンなのです。
モチベーションを保つのが大変です。
ま、いつまで続くか判りませんな...

数年後には出来れば都会を離れていたいです。
公園の桜より野生の草花の側に暮らしていたいのです。
食べれる魚の釣れる水辺に近く暮らしていたいのです。
もう一度やり直せるでしょうか...
きっと、かなり時間がかかります。
ですが、“NOリスク, NOゲイン” でしたっけ?何もかんも適齢期なんて過ぎちゃってますから、今やれることで道を切り開くしかないんですねー

Cさん...僕も又、舟を漕いでいます。
改めて、新たな舟を。
でも、結局はずっと前から、初めからの同じ舟かも知れません。
いいえ、皆ずっと自らの舟を漕いでゆくんですよね...


(勢いつけて書いたらば、やっぱり何書いているか判らなくなってしまいました。アップしようか迷うところですが、コレも “旅の恥は書き捨て” ってことでupします。 )

       *

付記/4月7日は娘の誕生日だったので、欲しがっていたBUMP OF CHICKENの3rd.を贈りました。
ワタシもコピーして焼いて貰い、けっこうハマってます。歌詞がとってもいいんです。
でも胸騒ぎがしすぎて就寝前は聴けません。
1人で現場に向かう時に会社のトラック内でボリューム上げて聴いています。
ワタシは彼等の唄を「若いなあ〜」とか「青いなあ〜」とか一生言いたくありません。
しっとりしたジャズピアノも、此処では無い何処かへ連れて行ってくれる異国の音楽も、トム・ウェイツやニーナ・シモンやUAの歌声も大好きです。
けれどバンプ・オブ・チキンにも、この昭和40年生まれの中年は心打たれてます。
素敵なものはステキですね。勿論、国籍やジャンルや流行や、そんなものワタシには一切関係ないです。
勝手に縁を感じたならば誠意をもって接するだけです。
昔、マグカップに珈琲牛乳(カフェオレなんてコトバを知らない頃!)を満たし正座して祈る様にスピーカーに耳を傾けていた様にーです。
合間合間、直ぐに白けたり腐りそうになったり弱いワタシですが、夢中にこの生を生きるしか “他に道はなし” ですな...



あなたの白い花は揺れていますか?

それとも
セピア調の写真の中に止まっていますか?

それとも...





    (只今の脳内ミュージック/BUMP OF CHICKEN “ハルジオン


Paul Motian Band ジャケ一部.jpg




74. フーと温果物とヒトの熱 [日々雑感『本日もまた混沌と』]

更新していなかった間、暦としては如月に突入。
春が立ち、雪が舞い、そこかしこの庭先に梅が咲いていた。
だから、今日はいつも以上にあまり考えず突入宣言!

自分の内外に想定外の事件が起こり動揺していた。とてもじゃないけどパソコンのキー等打てなかった。事の内容は他人が絡んでいるので今は言葉にならない。
見る為の夢ではなく至極個人的に向かう夢も、昨年にM島へ渡航した際の話も他も、ワタシはリアルタイムにブログに書けない。好きなヒトや好きな事やモノについても、自分にとって本当に大切だったり、敬っていたりすると、言葉に還元してしまうのがとても恐ろしくなる。意識が強ければ、言葉の曖昧さと怖さを思えば、臆病になる。
或る意味肝心な処はいつだって、文字に託すボキャブラリーや勇気が湧かないのだ。唯単にいくじなしなのか...
当ブログ内の過去の長文は、いつだって何年も過ぎて言葉に成った。何年間か、雑記帳に走り書きしてきた文章を組み直して味付けし直しただけのことであり、つまりは何年も成長はしていないのかも知れない。
けれどワタシは過去に書いたものを全部嫌悪している。ネット上で公開し、そのまま今日まで消去ボタンを押してはいないのだから、抹殺はしていないという訳だけど...数日以上はそう振り返ってもいないから、時が過ぎてから読んでくれた方に「あの時この様に書いてあったけれど私も〜と思った」等と連絡を戴くと、とても嬉しいと同時に何だか申し訳なくもなる。本人は書いた詳細等忘れていたりするからだ。書いたり描いたりして、唯一寸づつ進んでいるだけなのだ。
催しで公開するにしてもネット公開であっても、出したものは一人歩きする。言葉なんて色やタッチや音に比べれば、とても判り易い共通ツールに違いないけれど、時にたった一つの名前や文章が受け手の琴線に触れて、笑いを誘ったり怒りを生んだりする。でもそれは君のソレであり、僕のソレではない。楽しかったり嬉しかったり、そんな都合の良い感覚だけを望んではいないし、出来れば誰もが素直に開き合って摩擦熱が起きた方が、何と云うか...ジンセイは豊かになる気がする。だから例えば当ブログをきっかけにコメントや連絡をもらえたりすると、かなりの張り合いになって元気が沸く。スタミナドリンクのごまかし元気じゃなくて、じんわり湯たんぽみたいな元気が沸く。
ワタシは “忘れん坊” の人に “記憶力の人” と呼ばれて来たけれど、そんな性格に依って何かを創ったりして、決して鏡には映らない自分を映し、一瞬のヨスガとして来たりしたのだと思う。でも “忘れない” のではなく “忘れられない” ということは、時に苦しく重荷にもなってしまう。ビートルズの事実ラストアルバム『アビーロード』のB面で彼等の最高傑作とも云えるメドレー中に、Carry That Weightという曲があったのを思い出す。けれど忘れたい逃れたいからといって、例えば映画『My Blueberry Nights』のN.ジョーンズの様に旅に出た処で、何かは必ず変わってゆくけれど何も変わらないものも在る。彷徨わずにシュミレーションだけで書いてはいないから、後悔があって書いている訳で、言葉足らずの所は読む人の方で補って欲しい。
無責任と言われても、自分の吐いた言葉も書いた文も描いた絵も、自分から出た澱や垢や便と同じ様に、愛おしむなんてもってのほか、だからといって全否定すべくもなく、唯モウシワケナイ感を抱えながら歩んでいる。
ブログなんて「誰もそんなに重く捉えていないよ〜」と言われてしまえばそうであろうし、事実ワタシ自身も決して “重く” 捉えているつもりはない。でも自ら選ぶ “作業” には気持ちを込めたいじゃないかーと思ったりする。全てはみな生きてゆく作業なのだと思う。刻一刻減ってゆく人生時間の潰し方なのだと思う。
第一何かに取り組む時、否日常の家事にしたって、“普通は〜” とか “多くの人が〜” なんて大した問題ではない筈だ。常識や慣習を直ぐ持ち出す者は、世界の何を知っているというのだろう。かく言うワタシが囚われの身だからこそこうして騒いでいるのだろうけど...
不器用さはもう、どうにもならん性格上の問題なのだと思う。ネガティブ・シンキングと思われても仕方無いし、ワタシの中にも刻一刻揺れて移り変わるポジとネガがあり、日々戦っている。意識して長いことパソコンすら始めなかった自分や、ブログを思い立ってからも数年始めなかった自分は、そう...相当に蝸牛な質であり。キーを打つ時はキャンバスやスケッチブックに向かう時に近い姿勢なのかも知れない。
だからこそ、こうして、再び “書ける” という事がありがたく...書けている状態はとても良い状態なのだ。いつも以上に今この時に感謝している。ワタシにとってこの2週間は、およそ雪国の1冬位の長い闇であった。
何を書いているんだか自分でも訳が解らなくなってきた。ので話を戻そうー

事はいつだって想定外だ。予想や願い通りに事は運ばないから、或るヒトは嵐が過ぎて一段落した時に「だから人生はおもしろいのだ」なんて達観したりするんだろう。そして文字にしたり、映画にしたり、歌ったりするヒトが居て、それを読んだり観たり聴いたりしたヒトが涙を流したりする。助けられたりする。発信する側と受け手は巡り巡って、全ては相乗効果なのだと思う。
けれど、闇まっただ中の本人は辛い。その渦中は火炙りだ。(今の季節だから寒攻めかな?)

一旦離れてみ見ようにも、息を抜こうにも、どうしても一定の角度からしかモノゴトが見えなくなってしまったりする。自分1人の力だけでは離れようがなかったりする。なにせ客観出来ない状態なのだから、距離感やバランスなんて判らなくなってしまうのだ。
心と身体は全て繋がっているから、当然内蔵の状態もより一層悪くなる。身体の内側が悪くなれば外側の筋肉や皮も悪くなる。腰も痛い、首や肩もバキバキ、皮膚もガサガサしてきて髪もばりばりしてくるし、目もかすむ。動作も人相も悪くなる。そして益々セイシンの状態も悪くなる。ワタシの場合酷い時は、永遠の船酔いみたいな症状になる。
今回は “気の持ちようだ” なんて言い聞かせようにも、そう諭し続ける “もう片方の自分が居なくなってしまう” 程に、一気に底まで落ちてしまった。
後に残された道をとことん突き詰めれば〜 “全部辞めるのか、辞めないのか” の二者択一となったりする。
けれど「未だ全部辞めたくはない」と心底思えたならば、もう這い上がるしかない。思えなかったら?の場合は知らない。借金に追われても、人と別れても、人が死んでも、怪我や病気が何度重なっても、ワタシも結局は図太くここまで生きて来れた。 “みなさんのお蔭です” なんて言っておこうと思う。

今はこう思えるまで回復した。
全部一気にどうにかしようとするのではなく、先ずは元の自分の並の健康受状態を取り戻すべく、一つ一つ治してゆくしかない。日々の小さなリベンジに、独り悦びを見いだすしかない。我を「愚かだなあ〜」とほくそ笑むしかない気がしている。
そして再出発しようと思っている。〜さようなら昨日までのワタシ、こんにちは今日からのワタシ〜という具合に、自分を叱咤してゆくしかない。

       *

けれど真面目に今回は酷かった。
何か良い薬があったら、この太い静脈にでも打ちたかったが、そんな薬は今のワタシの知る世界には何処にも売ってはいないし、とにかく地元成増や赤塚辺りには売ってはいない。喩え売っていたとしても、ソコへ這ってでもゆく気概も無かった。
弱い方のワタシが勝っていた。自分の中に悪魔が見えた気がした。
食べては吐き、食べては吐いていた。丁寧な料理等する気力など湧かず、トイレに行くのも苦労だった。
林檎とバナナばかり食べていた。冷たいままだと、喉の辺りで「オ、オエっ〜...」となってしまうので、考えた末に電子レンジで温めてみた。すると、かなり食べやすくなった。林檎を擦りおろしたかったが、そんな気力も湧かず、いつもは皮ごと食べるのに、今回は皮も「オ、オエっ〜...」となってしまうので、皮は剥いた。
皮を剥いている時に手が震えた。今回は自律神経にもドカンと症状が現れ、丸二日間に渡って、両二の腕から先がガタガタと震えが止まらなかった。刃物の扱いはお手の物の筈なのに、ガタガタにいびつな林檎が出来上がり、それをレンジでチンして食べた。果汁が身体中に染みる気がした。林檎様々だと思った。ちなみに黄緑の林檎だった。林檎好きなのに名前が覚えられない。そう何種類も無いのに、簡単な事が全然覚えられなかったりするのは子供の頃からだ。
果物だけじゃいかんと思い、うどんを柔らかめに茹でて簡易カツオだしをのばして食べてみたが、凄く不味く感じられ最後まで食べれなかった。大好きなネギが苦くて苦くて、まるで食べれなかった。昔、家庭を持っていた頃、丁寧にだしからとって作ったうどんに目の前の森で採った山菜の天ぷらを乗せて食べたことが思い出されたが、感傷的に泣くことも出来なかった。身体がカスカスで、涙なんて水分は無かったのだろう。
酒も断ったのではなく、まるで呑む気になれなかった。ここで呑んでは確実に駄目になるとも思ったから、一応自分に禁酒宣言もしてみた。’07年に上京して以来初の試みだ。否、試みなんて甘い話じゃなかった。当然の成り行きだった。
ちなみに禁酒して既に2週間が過ぎようとしている。凄い、奇跡だ...

最悪の数日間は、世の中の音という音を嫌悪している自分が居て困った。他人の声や音楽ですら、うざったかった。そんな状態はジンセイ初めてのことだった。音楽が流れているのが辛いなんて、物心ついてから初めての経験だった。
一昨年左足の怪我で入院した際、夜中に自動販売機の前の長椅子に独りで座っていた時よりも、耳も喉も胃も最悪だった。かなりやばかった。

P。スミス/GONE AGAINジャケ一部.jpg

けれど又性懲りも無く帰って来ました。帰って来れました。
嬉しい。ありがたい。“みなさんのお蔭です” なんて言っておこうと思います。でもその通りなんだと思います。こんなに謙虚な気持ちになれたのは初めてかも知れません。少し奇麗事を書いているのでしょうか...

一時は立ち上がることさえままならず、「どうなってしまうのか...」と不安な客観すら出来ず、所謂ドツボにハマってもがきながら自分のゲロで泥沼状態というより一人泥レスみたいな状態でしたが...待っていたってワタシの場合、誰も来てくれやしません。誰も知らないのですから。
これが他の誰でもなく、ワタシ自身が選んだ道でした。....でしたか? いいえ。「こんなんじゃない!嫌だっ!」と思いました。自己嫌悪の域じゃなく、自己否定ギリギリまで落ちると、もう無表情です。自らを、あざ笑うことすら出来ません。
おでこの周囲の髪の毛が幅2センチ程に渡って、真っ白になってしまいました。数日ぶりに鏡をのぞいた時、ソコに居る自分があまりに年老いて見え、つくづく何と云うか...参ってしまいました。
「おい、どうすんだ?」「このままじゃどうしようもないだろ?」って声に出してぶつぶつ言ったりしてました。蟹が泡を吹いている様にぶつぶつと1人で喋っていたのを、何となくですが覚えています。ワタシは蟹に変態していました。
何とも滑稽な話ですが、本当のことです。

でも、道の “成れの果て” ではなくて、“途中” 。そう...「すべては途中じゃないか〜!!」と思い至りました。
これ以上自分を嫌いにはなりたくなかったので、勇気を出してほんの少し発信しました。あまり考えずに〜というより、もう何も考えられずに漏らしました。コップの水が表面張力を超えて、自然にこぼれたのです。漏らしたのは、大昔のおねしょ以来初めてかも知れません。
「いつでも何でも言っていい」「何でも聴く」という人のコトバの温かさに、この歳にして初めて触れた気がします。そんなことを言って貰ったのは初めてでした。
それはきっと、ワタシが長いこと “閉じていた” からかも知れません。実際に言うかどうかは別として、そんな人間関係を築けなかったのは、やはり他でもなくこのワタシ自身が問題なのでしょう。
もう、そう言ってもらえるだけで、嬉しくて仕方が無かったのです。“感謝” という文字が自然と、おでこの裏側に浮かびました。冷えきった身体の芯が、まるでカイロの種火の様にじわじわと温かくなってゆくのが感じられました。

そして2年半の間、読むのを逃げていた一冊の本の存在も大きかったのです。ティム・ゲナールの『ぼくは3歳で路上に捨てられた』(橘明美訳)という本です。
今からおよそ2年半前に、初めて娘がワタシに会いに来た際に「これ読んでみて」と(メモに書いて)薦めていたのですが、それはまるで娘の心を代弁しているかに思われ、“読まず嫌い”ではなく “読むのが怖くて” 避けてきたのでした。
その本を読みました。今読まなければ、きっとこの先にワタシは読まないだろうと思えたから。だから読みました。立て続けに2回読みました。一回目は途中何度もこみあげるものがあり、読み終わった途端にもう一度読みたくなったのです。
驚きました。やはり身体の芯が、まるで蠟燭の灯りの様に、ぼわ〜と温かくなってゆくのが感じられました。
本当に読んで良かったです。娘は自らの為に言ったのではなく、ワタシ自身の為に薦めてくれたのだと、読み終えて理解出来ました。感謝です。「とっくに読んでおけば良かった」とは思いませんでした。娘には謝りたくなりましたが...
今回も勉強させてもらいました。“先入観に囚われて盲目になるのは不幸なことだ” と、改めて思い知った気がしています。普段は其処の処を気を付けて生きているつもりですが、やはりかなりちっぽけで弱い人間のワタシでした。恐ろしく間違った先入観に囚われていました。
ワタシは実に愚か者だと思います。

       *

あちこち出かける事が出来るまで復活し、アパートに居る際ここ数日はウォルター・サレス監督『モーターサイクル・ダイヤリーズ』のサントラ(Gustavo Santaolla)ばかりエンドレスに流していた。
彼の演奏はいいね。チャランゴの音色大好きだな...風景が立ち上がってくる。ECMらしからぬスティーブ・ティベッツの『Big Map』を聴いた時の衝撃を思い出す。狭い部屋に居ながらにして、こんなに広く寂寞とした風景に連れて行ってくれる音楽も好きなんだ。これを聴いても寂しくはない。
何故って...世界は今この時もー「男って〜」とか「女って〜」とか(ワタシはその言い回しが嫌なのです!)、社会の枠や人種やでくくって語るどころか、「私は〜」の視点で “声を発することも出来ない” 立場の人や、今日の食料に困っている人達の方が断然に多く... それに、ヒトなんてイキモノが住んで居ない場所の方が断然に多く...う〜ん今日ここで上手くは書けないのだけど、地図の白い場所ばかり旅して来た自分にとっては、こんなに広く寂寞とした風景に連れ戻してくれる音楽を聴けば、決して寂しいどころか心が落ち着いてゆくのだ。
何と云うか、「あっちがアタリマエでこっちが異常だな。でも確かにワタシは大概こっちに居て、このままイロイロを抱えていくしかないのだな...」みたいな感覚に戻ることが出来るのだ。(あ〜今日も全然ボキャが足りなひ...)

が、昨日突然に “ニキビ面の中学生の頃の自分が、スピーカーを前に真剣に歌詞カードや付属ブックレットを観ながらザ・フーの『Quadrophenia(四重人格)』LP2枚組を、まるで正座して拝む様に聴いていた姿” が、何のきっかけもなく不図脳裏に浮かんだ。
だから聴いた。素直に聴いてみた。こんな或る意味で激しいロックを聴くのは、実に久し振りのことだった。
目頭が熱くなってゆくのが感じられた。Gustavo Santaolla〜The Whoの流れで(笑)スウーっと影が立つ様に元気が滲み出て来た。奥の方から、蠟燭の灯りくらいだけど...
ありがとうミュージック!(偉大なる破天荒ドラマー、キース・ムーンよ〜君はいい時に死んだんだと思うよ!)「この名盤二枚組とあの頃に出逢えて、あの頃に夢中に聴いておいて、ホント良かったです。」と、何か見えないものに感謝してしまった。こんな話、昔ロック少年少女以外の人には伝わらないんだろうな...
単純単細胞だなあ〜と笑う者は笑えばいいさっ。だってワタシはジュン。字は違うけど、過去「単純のジュンじゃないの?」とよく言われて来た。その通りなのだ。振幅というか浮沈が激しいだけなのだ。幾つになっても自分とつきあうのに慣れないだけなのだ。


でも大丈夫。もう大丈夫です。
温めた果物と、ヒトの温かさ(誠意)に触れた気がして、自分に足りないものが見えてきた気がしています。新しい一歩を踏み出せそうです。自分はこの3年間、実は冷血動物に変態していたのかも知れません。寒かったのです。
でも、もう以前の様な超長文は書かないと思います。或る意味ポジに寄った強い文章は、相変わらず書けるかどうか判りません。これからは至極つまらない唯のつぶやきが増えそうな気がします。
それでも忙しい毎日に、多くの方が色んなものを流して、流れ流されて、夫々の道をゆくだけなのでしょう。消えて無くなるその日まで、そんなものなのでしょう。「忙しい」という言葉を隠れ蓑にして逃げたくはないなあ...とは思います。
各々の道か川か、何処かで交差することも、混ざることもあるやも知れませんね。
どうぞ今後とも宜しくお願いします。


“みんな途中” です。
時計や暦や納期や逢瀬に別離、色んな枠や檻に区切られていてもーです。
言い訳じゃなく、改めて今そう思うんです。
以前近くに「セイシンは自由だ!」と声高に叫ぶ(作品に刻んだりする)アーティストが居ましたが、ワタシはその台詞の意味も、自由という言葉の意味も、未だにリアルには解らないのでこう言ってみますー
「セイシンは不自由だ!つきあってゆくのが大変だ!だけど、みんな途中だ!」


雪や雨の後には気温も上がり風が吹き、
あちこちの庭先から紅白の梅の香が届くでしょう。
そして直ぐに桜の季節ですね。
桜は、実はワタシには悲しい思い出ばかりで、あまり好きではないのです。
けれども今年は過去になく、待ち遠しい気がしています。

(今回はいつも以上に語尾や流れがぐちゃぐちゃな気がします。読みにくい点はお許しを。頭の中が未だ混沌としているので、これで精一杯なんです。けれど、文字に置き換えた事でほんの少し、ノウミソに風が通った気がしています。)



     
            (只今の脳内ミュージック/THE WHO "The Real Me" )

スティル(自筆イラスト/一部.jpg



73. 上弦のお月さん [日々雑感『本日もまた混沌と』]

眠るのが下手で、その頃になってジタバタする。
身体が疲れていてもいなくてもすんなり眠れなくて困る。意識すればするほど眠れない。
食べるとか寝るとか、ここまで何十年も生きていても、未だそんな毎日のことにジタバタしてしまう。
温かいものを飲んだり、風呂に入るタイミングを変えたり、布団の敷き方を変えたり色んな試みをしてみても、心地良く眠りに入れない質だ。昔っから “そんな感じ” なのだけど、慣れない。
幼い頃に病弱で長いこと寝込んでいたのも関係しているかも知れないーと以前医者に言われたことがある。
20代の頃、昼夜がぐちゃぐちゃな生活を長いこと続けたのが響いているのかも知れないーとも思う。

以前、平均4時間程の睡眠で肉体的にハードな労働に従事していた時は、帰宅後に居間に辿り着く前に台所の床で寝てしまったり、食事中に胃が温まってきて眠くなってしまった。だが、独り身ではそのまま眠りこけてしまった処でドウシヨウモナイ。誰も布団をかけてはくれないし、寝床まで引きずって連れていってはくれない訳で。だから無理にでも起きる。起きて、残りの家事や明日の支度をしてから寝る支度をする。そしてーいざ寝なくてはいけない場になると、何故か神経が冴えてしまいジタバタしていた。
“寝る” ということについての意識が恐怖でさえある。“眠る” のは好きなのに...
もう何年か睡眠導入剤の世話になっているのだが、どんな薬も常用は怖いと思い「なるべく自然に眠りたい」と願うのだが、自然な眠気というものが久しくワカラナイのだ。実を申せば上京以来、ここ数年それがワカラナイのだ。
同じ様な問題を抱えている方にしか、この悩みは理解して貰いにくいんだろうと思う。

        *

今日は日中アチコチに買い出しに出かけたり歩き回ったのに、夜も更けてから “そんな感じ” になってきたので、たった今しがた外を歩いて来た。「歩くしかない!」と天のお告げが聴こえた気がしたような...で、面倒臭がらず着替えて出かけた。温まった際を考えて、一寸薄めの防寒対策で。
住宅街を抜け、大きな公園をぐるりと周り、約3km程歩いて戻って来た。こんな時間帯の “夜の散歩” は久し振りだった。
併し驚いたことに、随分多くの人達にすれ違った。
今日は “日曜の夜” だが、勿論仕事帰りの方も居ただろう。でも一人で散歩している様な方も多かった。
皆、それなりに軽い防寒対策をして黙々と歩いていた。各々の口から吐く息が白く、それが一瞬舞い上がって直ぐ消えるのが見えた。
この時期の夜の公園など人影もないかと思いきや、男のみならず女性の散歩者も居た。「さすが東京だなあ」と思ってしまった田舎者のワタシである。

見上げると半月だった。
丁度真半分ではないけれど、弦の部分が少し緩んだ奇麗な上弦の月だった。
美しく弧を描いた弓の部分は、自ずと足りないもう半分を想像させてくれる。まるで黒い半月がソコに在る様に見えた。

どんなに足りなくても、月はどうしてあんなに美しく見えるんだろうか。
足りないから美しいのか、それとも辺りが暗いからか...
大昔から人々が時に怖れ時に魅せられ、多くの神話や詩に詠い上げられ、親しまれてきた “お月さん”。
数え切れないほどの満ち欠けを繰り返して来た “お月さん” が、今夜は上向きの半分で浮かんでいた。

今宵日曜日の晩、一体どれくらいの人が見上げ、何を思ったのだろうか。
明日の晩、明後日の晩、どれくらいの人が見上げ、何を思うのだろうか。
遠くの山々では、どれくらいの獣たちが、月灯りの下で必死に餌を探すのだろうか。
海原では、何匹の魚たちが跳ねるだろうか。

どれくらい新しい命が産まれ、そして消えるのだろうか。



ジタバタしているのを、
月も黙って視ている。






         (只今の脳内ミュージック/R.E.M. "Man On The Moon" )

満夜/自作木版画(一部).jpg

70. 電柱でござる [日々雑感『本日もまた混沌と』]

帰り道、澄んだ夜空の下、
糸の様な三日月を眺めながら、狭い歩道を歩いていたら、
危うく電柱にぶつかりそうになり、
寸前で「おっとぉ〜!!」とかわしたらば、
後ろから飛ばして来た自転車と接触しかけ、
こっちはとっさに「スイマセンっ」と口にしたんだけど、
結局また逆に飛び除けた際に左肘を電柱にガツンっ!とぶつけてしまい、
(わかるでしょ?)例のグワ〜ンっとしびれるタマらん痛みに「いででで...」とその場に硬直してしまった訳で、
一方、イヤホーンでシャカシャカした音楽を聴きながら片手をダウンジャケットに突っ込んだまま難なく通過した兄ちゃんは、
多少ハンドルさばきがふらつきはしたものの、知らんぷりぷりの素通りで、
それはマぁ〜こちらの左肘のグワ〜ンっと響く痛みとか?何も気が付かなかったにしてもだ、
夜の歩道をライトも灯さずによ、(そりゃワタシだって経験あるんだけどね...)
ベルとか鈴とかプハプハッと成らすアレ(なんていうのかな?)とか声とかで何の合図もしてくれない兄ちゃんも兄ちゃんでよ、
法律がどうこうとか、マナーがどうこうとか、そんな理屈じゃなくてよぉ〜
月を眺めながら上を見て歩いていたワタシもいけないんだけどよ、
それにしてもだぜ?
薄暗い狭い歩道をそんな態でチャリンコ飛ばしてさ、
そうやっていっつもイヤホーンして内に籠ってガードしてなくてもさ、
昼の道にも、夜の道にも、オマエの道の色んな所にさぁ、
面白いものや、素敵なものは、ふと見つかるかも知れない訳でさ、
こうゆう思わぬ衝突や接触も事の次第では(映画なんかじゃ)恋とか悪巧みのパートナーとかに発展しちゃうスゴい出逢いだったりするかも知れない訳でさ〜
マぁ「それは映画や小説の中の絵空事だよっ」って片付けてしまえばソレ迄の事なんだけどよ...
オイラも美しくも正しくも生きてはいない極めて中途半端なオトコだからよ、
人の親を経験してすっかり柔らかくなる前のオイラだったらよ、
自分を棚に上げて怒鳴り呼び止めて、態度が悪けりゃ手も足も出ちゃっていたかも知れないんだけれどよ、
いやはや既に物静かで怠慢な中年に落ち着いてしまった上によ、
丁度この黄金の右手に怪我を抱えているナサケねえ身ではよ、
そうさな〜何と申し上げたらよいのかのぉ... (ぐびぐび...ごくっ)(注/今夜は『いいちこ』お湯割りだね)
結局オイラは唯「さぶっ〜!」と上着の首辺りを直しながら立ち尽くすばかりでよ、
つまりは肘のしびれも治まれば又とぼとぼとよ、
同じ歩道を歩き出して同じ寒い部屋に帰るしかない訳でよ、
ふと見上げたらば夜空によ、
澄んだ冬の夜空に糸の様な三日月が居てよ、
黙ってソコに居てよ、
地上のオイラ達の事の始終を見下ろしているってえ訳でよ......


拝啓 ◯◯◯ちゃん、そん時ボクはこう思ったんです。


 「せつねえのぉ・・・」




        (只今の脳内ミュージック/VAN MORRISON "It's All Over Now, Baby Blue" )



夕陽の中のベスの脚.jpg

69. 温かい釣銭 [日々雑感『本日もまた混沌と』]

本日、手術後3回目の診察。
患部の経過順調。院長先生の小意地悪なジョークも順調。ワタシの御愛想ひきつり笑いも順調。
「家事等で不便で...」と相談したら「そうだね。うんうん、もういいか、いいいい。要らないね。」と、包帯下のクッションの様な(建築断熱材みたいな)綿布は取っ払うことに。
消毒してもらう際に見たらば、縫い跡は17針で、先日より黒ずんでみえた。治ってきている証拠だと思う。
でも予想よりスゴい跡...まだまだ生々しい。なんだか “薄い唇を喋れない様に縫い閉じた” みたいだ。我、少々げんなり気分。
このドバミミズかムカデが引っ付いている様な醜態、いずれもう少しは奇麗になるんだろうか...?という見かけより、前みたいに小指も薬指も器用に使える様になるんだろうか?
今はまだパソコンのマウスを動かすにも難儀しているから、不安を見つめ出すと暗くもなる。

         *

帰路、夕焼けがヤケに奇麗に見えたので歩いて帰った。
アパートから病院まで地図上の直線距離は割と近い。だが、なにしろ交通が不便で、いつも電車やバスを乗り継がなくてはならずかなり面倒なのだった。だから手術前は、天気の良い日には愛用のママチャリでのろのろ通っていた。
途中、帰路に(頂上迄は絶対に自転車で漕いでは上り切れない)急勾配の長〜い坂があるのだが、「な〜に、毎日の事じゃないんだ。味わった方がいいぞ。」とばかりに息を切らせながら漕げる所迄漕いで、ギヴアップ後は自転車を押した。
こんな時、頭の中ではいつもUAの『この坂道の途中で』(映画『空中庭園』挿入曲)がかかっていた。
そして...地方でこんな坂道よりもっと長く、もっとアップダウンの激しい通学路を毎日自転車で何十分もかけて通っている娘を必ず思い出していた。「おかげで脚が太くなって困るんだよね」と言いながら「でもおかげで身体が丈夫になって来たかも。」とも話していた彼女の言葉を思い出していた。

誰でも過去に何気なく聞いた言葉や音楽が、普段は意識下の湖の底に眠っている。絵や風景でも同じ。それが時にふと出逢った景色や出来事と結びついて、デ・ジャブ体験や想像力をかき立ててくれたりする。
それが或る時には色んな感情も呼んだりするだろうけど、また新たな創作欲や発想に繋がることは多いだろう。そうしてエネルギー充電することは、別に旅行や派手な(“遊び”とか言ったりする)行動をしなくても、日常にチャンスは転がっているかも知れない。
誰もが、毎日旅をしているのだからー


今日は綿布クッション?を取ってもらった分だけ、ほんの少し腕が軽くなった気がしていたし、この時期独特の夕陽の赤が誘っていたから、ずっと歩いた。疲れたらバスに乗ればいいし、途中何処でだって座って休めばいいんだし〜と思いながら、てくてくと結局アパートまで歩いた。
切った右腕を真下に下げたり元気よく振れば、とてもじゃないがズキンズキンと痛かったけど、上着のポケットに突っ込んで歩く分には問題なかった。代わりに左腕だけを大きく降っててくてく歩いてみた。(『365歩のマーチ』は唄わなかったけれどね。)
帰宅してから改めて地図を見たらば7-8kmの距離だった。なんてことはないじゃないか...渓流釣りでは、車止めから沢自体の登り下り合わせたらもっと歩いたりする訳だし、旅に出れば “乗り物より徒歩を選んで正解だった経験” は多いのだから。喩え身が疲れても、目や耳や胸の辺りに触れることは断然に多くなるのだから。
でも、こうして街に暮らして電車のダイヤや色んな約束事の中であくせく生きていると、次第にほんの一寸歩く事すら面倒になったり、雨に濡れたり風に吹かれたりがとても大袈裟に感じられてしまう。なんなんだろうね?街に暮らす人のアノ雨に濡れる事を極端に嫌うような感覚は...。併しながらかく言うワタシも(たった3年で)すっかりそっちに順応してきてしまった気がする。
お調子者のワタシは、今日いつになく “歩く選択” をしたーそれだけのことで、こんなことを書いたりして、結局は結構喜んでいるーという訳だ。


でも実際にいい事もあった。一寸得した事。
歩いていたら、大きな某中古品店を見つけて、当然立ち寄った。店の前の駐車場で紙切れが足下に飛ばされて来た。誰かマナーの悪い人が捨てたレシートかな?と思い、一瞬躊躇したが拾ってみた。まあ、何でもよく拾うワタシである。
したらば、その店の今月限り有効の50円割引券だった。あはは...やったね!せこい?いいえいいえ。
周りにそれを落として困っていそうな人も居なかったし、当然喜んでいただきましたよ。ハイ。言わば神の思し召しですからね。病気も、割引券も。(50円だけどね...)
そしてオマケにその店には、お気に入りの監督の一人スパイク・ジョーンズの『ヒューマン・ネイチャー』の中古が “チョイキズ有り。再生に問題無し” の注釈付きで、破格で売り出してた。思わずガッツポーズが出そうなくらい嬉しかったんだけど、怪我してるから小さく「よっしゃあ〜」くらいにした。このDVDは、こんな出逢いを待ってずっと買い控えていた作品の一つだったのです。
当然ワタシ堂々とレジへ。50円割引券と一緒に。(ここでウェディングマーチかけてもいいけど...)
そしたらレジの人、釣銭を渡す際にもう片方の手でワタシの右手をそっと支える様にして、静かに小銭を渡してくれた。掌に落とすんじゃなくて、手渡すっていうか、掌に置くって感じに。(買い物では、つい不自由な右手も使ってしまわざるを得ないんだ。利き手が不自由だと、支払い時の財布の取り扱いはかなりムズカシイんだよね...)
とっさのこうゆう事って教わる事じゃないと思うし。滲み出るね、こうゆうところに人柄が。そいつの人生がさ。

凄く嬉しかった。凄く。温かい釣銭だった。不自由だとさ、余計染みるよ。
ワタシ思わずその人の目を見つめて「ありがとう。」って言っちゃったからね。
照れながらいい笑顔してたよ、その人も。
今回の手術後から何度も買い物してるし、一昨年松葉杖の際を思い出しても同じ。釣銭の渡し方一つとってもホント人夫々だ。買ったモノ以上にとっても温かい気持ちにもしてくれるし、とっても寂しい気持ちにもしてくれる。

でも店員さん、実は...ワタシのあの50円割引券はね...


         *


さっき気が付いたんだけど、敬愛なるマダムギター順さんも、調子悪くてプチ入院してるみたいだ。
敬愛なる鈴木亜紀さんも、おたふく風邪で次のライブを休まざるを得ないみたいだ。
今、どんなにかお客に対しては心苦しく、思い通りにいかないことが歯痒く、内心は切ないことだろう...

お二人とも(これは飾りの台詞じゃなく)心から悪化しないことを祈っています。
そして、それが許されるならば、そんなに急がずとも出来る限りでいいから、ゆっくり養生して下さい。
ジンセイはまだまだ続くのですから。今は休んで下さいね。
ワタシも今、右手の傷をさすりつつ書いています。
独りで居ると、弱っている時は特に辛いよね。
胸の内側はいつだって一つじゃないから、かなり参っちゃう時が、片方の気持ちに包まれそうになっちゃう時があるよね。
でもさ、トラブルも何もかもが経験だと思おうよ。表現者にとっては、きっと...ぜ〜んぶが財産になるよ。
ぶつかった隕石は受け入れて、淡々と行きやしょう!
ワタシは影から、唯、回復を祈ります。
アナタの生き様が滲み出ている音色、メロディー&リズム、声を部屋に流しながら。

     




                       (只今の脳内ミュージック/RON SEXSMITH "April After All" )



N.の撮ったロバ.jpg



68. 服ヲ着セテ貰ヒ漬ヶ物ヲ欲ス [日々雑感『本日もまた混沌と』]

先日の土曜日。
前の患者さんの手術が長引き「現在、先生は休んでおられます。」とかで、ワタシの右手血管腫切除の手術は予定より1時間遅れで始まった。待っている間の時間の経過はとてつもなく長く感じられて、日常感じられない異様な緊張から逃れられなかった。持参した本はまるで頭に入らず、活字と活字の間を追っているーそんな感じがした。
壁に飾ってあったーあれは元患者の治療回復の御礼の絵だろうか?ー何枚かの水彩画や油絵の中で、ワタシは猫の絵を見ていた。それはおそらく銅版画の上に筆で薄く着色した山本容子風の絵だった。猫は虎キジ猫で、絵の真ん中でこっちを見ていた。静かな絵だった。
手術に至る半年間の顛末は、又いずれココに載せたいと思う。今回の割と珍しいという症状や体験も、もしかしたら誰かの何かの参考になるかも知れないし。でも今回は先ず、一番記憶に残ってしまったことを書こうと思う。それは患部の肉の痛みではなく...このタイトルの様に “着せてもらった” ことであった。

今、右手は手首10㎝上から指付け根まで包帯等でぐるぐる巻きだ。術後一日おきに診察に通っていて、経過は「マアこんなものでしょう。」だそうで、生活はのろのろとどうにかこうにかやっている。不便で仕方無いが、この様に、そろそろ気持ちも外に向かって来たみたいだ。唯、右手指は動かすと痛むので、ゆっくりぽちぽちとパソコンのキーを打っている。だからもの凄く時間がかかる。指先が冷たくて仕方無いので、さすりながら、休み休みだ。どうせなら楽しんで書きたいと思う。

        *

手術後、看護婦さんに服を着せてもらった。何故なら右手が全く使えないから。
脇の下に麻酔を打ち、右腕は肩から先がぶらんぶらんだった。まるで自分とは別の物体。唯のモノの様だった。それは意外な程にずっしりと重く、そしてヤケに大きく感じられた。とにかく異様な感じがした。左手で自分の右腕を持って「どうしよう?どうしよう...」と思案に暮れるオトコ。....そんな感じだった。
服を着せてくれたのは...中肉中背で、髪を軽く染め、見るからにふやけていないキリッとした表情の “シゴト出来ます” みたいな感じが滲み出ている看護婦さんだった。年齢は30後半位だろうか。彼女の服の着せ方は、決して丁寧とは言えなかった。表情や言葉は柔らかくとも、動きはせかせかと “急いで済ませちゃえ” みたいな着せ方だったし、独身なのかな?一寸遠慮がちな気がした。着せてもらうのは非常にアリガタイんだけど、正直ごぼごぼだったんだ。ごぼごぼ...。この感じ、読者に伝わるだろうか? 特に腰回りが気になる位に、ごぼごぼに溜っちゃっていた。
これは薄着のヒトにはワカラナイ感覚だろう。けれど、ワタシは若者ではないから結構着込んでいる訳で。若い時分は超薄着だったけど、もう駄目だ。“冷えは万病の元”ーこれが人生のモットーなくらいだし。だから、お気に入りのヒートテックを着ていても、上着の下に2枚も重ね着とかしている訳で。ジーンズの下に7分スパッツ履いてる訳で。それでも事前説明で医者から「なるべく袖口のユルい服で来なさいね。」と言われていたので、自分なりに考えた末の服装だった。それにそこまで細かい説明は聴いていなかったから、まさかまさかパンツ一丁まで服を脱いで専用の患者服?を着たりするとは予想していなかったのだ。
(以降、手術後に着替えさせてもらっている際の会話)
「あ、すいませんねえ。」とワタシ。
「右利きですよね?当分不便ですね。両手使えないと、なかなか服着たり出来ませんからねえ〜」と笑顔で看護婦さん。
「着方とかあったら言って下さいね。」と真剣な顔で看護婦さん。
「あ、別にこだわらないです。適当にお願いします。」「外に出た時、通報されない程度にちゃんと着せて下さい。」と調子に乗るワタシ。
笑いながら「了解です。じゃあ、通報されない様に気をつけて着せますね。」と看護婦さん。

ワタシは手術台から二人の看護婦さんに起き上がらせてもらい(自分で起きれない程に脱力していたから)、血や消毒液の付いた脱脂綿等が未だ片付け切らない手術室をゆっくり横切る際に、一度振り返った。振り返ってゆっくり見回した。今迄自分が “まな板の上の鯉” 状態だった手術台や部屋全体を眺めたんだ。この目に焼き付けておきたかったからだ。出来れば、もう二度としたくない経験でもあったからだ。
少し興奮していたのかも知れない。身体は鉛の様に疲れていた。極度の緊張から開放され、横になりたかった。
「いやあ、服を着せてもらえるなんて、何だか恥ずかしいもんですね。」「でも、少し嬉しいなあ...」とワタシ。
「ふふ...。そうですかあ?」「喜んでもらって嬉しいですねえ。じゃあ、堪能して下さいね!」笑顔で看護婦さん。
看護婦さんは、やはり慣れている感じだったけれど、時々目を合わせて微笑んでくれた。相手はシゴト。でもワタシは服なんか着せてもらった過去の記憶は無かったから、一言で云えば嬉しかったのだ。他人に世話をしてもらうリアル。世話をしてもらわねば服も着れないリアル。なんだか少し涙腺が緩みかけた。
ワタシは看護婦さんに冗談を言ったせいか、「お強いヒトなんですね。」と言われてしまった。本当は夕べ眠れない程気が弱い小心者なのに。誤解されてしまった。

執刀してくれた院長先生から術後の説明で「3-4時間は麻酔が効いていてこの状態だからね。」と言われた。「なるべく三角巾で吊った状態で、患部を心臓より高い位置にしていなさい。」と言われた。「麻酔が切れたら痛みもあるだろうけど、アナタは禁忌薬が多いから痛み止めは出さないよ。アナタはこの様な傷の痛みには慣れていると言うし、いいね? マア〜我慢しなさいな。どうしても我慢出来なきゃそこら辺にある頭痛薬とか飲みなさい。常備薬ある?」と言われた。
「ハッキリグリーンとかあると思います。」
「あ、それでいいから。平気平気!大した事無いから!」
乱暴な口調でラフを装いながらも、優しく良い先生だったと思う。通い出した初めは、彼の声のデカさや雰囲気に慣れなかったが、ワタシは単純だ。今日、手術台に寝転がり、もう本当に医者に任せるしか無い土壇場になって、もしかして初めてこの先生に「頼みます...」みたいな気持ち一つだけに成れたのだ。
真上にはどでかい照明があって、顔に「しぶきが飛ばない様にカバーをかけるよ〜」と被せられ(いったい何のしぶきなんだ?血しぶきか⁈えぇ〜‼って焦ったけれど)脇の下に麻酔を打たれた際... それは針を刺した痛みより、指先迄びくんびくんと麻酔が廻る痛みの方が強く、でも「たすけてくれえ〜」みたいな弱音を口に出来るワケもなく、なんて云うのかな...もう全部投げ出すしかない、“肉体のみならず精神ごとお任せ状態” になったのだ。
日常ではなかなかココ迄の肝は座れないものだ。常にどこかしらで自意識なるものが働いている気がする。それでなくともワタシは双子座のAB。過去、どんな修羅場でも、熱っぽい場面でも、常にもう一人の自分を客観している冷めた人格を抱えてきた。時にその資質が歯がゆく、色んな意味でバランスの良くない自分を嫌悪している。以前「そこを治さないと幸せになれないよ。」と某イラストレーターの友に言われたが、改善はみられない。

(話を土曜に戻そう。)
手術の直前に初めて気が付いた。いつもとは違う服を着た先生の首に、大きな縫い跡があることに。それは決して自分で縫ったんじゃないだろう、誰か他の医者に手術してもらったのだろうなあと思った。先生もイロイロ抱えていて、今こうしているのだな〜と思った。
そうしてワタシは右肩先から何も感じなくなり、厚いガーゼの様な布の中から外の世界をぼぉーっとうかがって寝ているしかなかった。そこでは今まさにワタシの身体が(聞いたところ予定では)9cm程切り開かれ、それを二人の医者と二人の看護婦が覗いている。ワタシの、異常があるという身体の中身を。ワタシが知らないのに。変な気持ちがした。
手術は45分位で、思ったより長かった。途中何度も鞄を意識した。鞄の中には御守りのカミサマが入っていた。それは丁度10年前に、娘が石粉粘土で創った高さ5cm程の人形だった。ワタシは当時オブジェと絵と半々の創作をしていた。その横で何やらゴソゴソと娘は遊んでいた。当時「コレ何?」と尋ねると彼女は「カミサマだよ。」と言ったのだ。そのカミサマは前と後ろに顔があって、お腹に(カンガルーみたいに)子供を抱えていて、フジツボみたいな台から生えていた。その独創性に正直驚いたんだ。感動したと言った方が正しいかも知れない。とにかくそのカミサマはワタシのお気に入りだった。それを知っていて、この正月に持って来てくれたのだ。でも自主的にではないよ。「あのカミサマくれないか?」と頼んだら、軽く「いいよっ」と持ってきてくれた。そして夕べ、プチプチ(エアーキャップ?)に軽く包んで、鞄の底に入れて来たのだ。
それ位.....器用だけが取り柄のワタシにとって、右手の手術は不安だったし、正直怖かったんだ。

        *

駅迄の帰路、どうしても煙草が吸いたくなり、コンビニの駐車場で一服した。
緊張から開放され、三角巾で吊った腕の重さがきつく、首と肩がコリコリだった。喉がカラカラだった。
マイペットボトルを持参していたけれど、左手だけじゃ開けれなかった。股に挟んでどうにか開けて飲んだその梅酢ジュースの旨かったこと!胃がきゅるきゅる鳴った。パンでも買って食べようかとも思ったが、なんだか味の濃いものや出来合いのものは食べたくなかった。身体がそう訴えていた。
ふと、炊きたての米に野沢菜の山葵漬けが食べたいと思った。
細身の大根の甘酢麹漬けが食べたいと思った。
繰り返し霜が降り、コワさ(歯ごたえ)と甘みの増した法蓮草や小松菜のおひたしが食べたいと思った。

地菜や根菜の、程よい塩っぱさと甘みと苦みのある、しっかり歯ごたえのある漬け物やおひたし。
いくら願ってみたところで、アノ味は二度と口にすることは出来ないだろう。
ワタシは母親の漬け物の味等まるで知らないし、盆や正月に帰る故郷が無い。恋しい漬け物の味は、以前10数年暮らした山村の隣近所のお婆さん達お手製の味だ。毎年本人達いわく、昨年より塩っ気が強いだの甘過ぎただのと厳しい自己評価はあるものの、ワタシにしてみれば肉や洋風の調味料こってりの料理より遥かに贅沢な、決して自分では真似出来ない(作れない)味だった。ちょっとした畑仕事や用事を手伝う御礼に、年中それを食べていたのだ。
今思うとー其処ではお金なるものは動かずに、手間や労力や知恵だけが交換されていたのだった。
食べたい漬け物は何処にも売ってはいない、KさんやYさん自家製の言うなれば山村の “隣近所の味” だ。ワタシの味覚や嗅覚だけが覚えている味。金を出しても買う事は出来ない。金を出したら逆に怒られてしまう。
ワタシはそんなお婆さん達に挨拶もせずに、あの村を出て上京したのだった。どうしても挨拶に行けなかったのだ。
ワタシは当ブログカテゴリーに『みんな途中』との題を付けて、以前ソコにY婆さんやKさんの話も書こうとしたが、どうしても書けなかった。後になって娘から聞いたのだ。ワタシが村を出た当時、元妻と娘から事情を聞いて、婆さん達は絶句していたと。特にYさんは目に涙を溜めていたと。
あれからKさんはすっかり膝が悪くなり寝たきりだそうだ。Yさんはホスピスに入ったと聞いた。また一軒、あの村に空き家が出来たのだ。
(すっかり話が外れてしまった...それに、やっぱりこの辺りは中途半端にしか書けないものだ...)

都会からおよそ特急列車で3時間。駅から徒歩(健脚で)40分。車ならば(勾配の有るカーブの連続に慣れている者で)8分。標高は700〜900m。
この時期の東京との平均気温差は約10〜16度。既に日中でもマイナスの日があるだろう。
家々の北側の日陰では、そろそろ吹き込んだ雪が少しづつ根雪となろう。
星の見える夜には、獣の声がやたらと近くなるんだろう。そして、室内の暖房に乾燥した材木や継ぎ手が突然ピシっ!と鳴り、それに飼い猫がピョンと驚いて思わず毛を逆立ててるんだろう。
夜中の間にカチンカチンに凍り付いた田畑の土が、翌朝は陽に照らされてキラキラと光るんだろう。少しすると地熱も上がり、その水蒸気が靄となって漂い、直に谷風に吹かれて散らばり消えてゆくんだろう。
ワタシは都合がいい。弱っている時には、美しいことばかり思い出す。
おでこの裏側辺りに、絵になって浮かぶのは、そんな景色や出来事ばかりだ。
都合が良過ぎて、自分で笑ってしまう。笑うしかない。

           *

辛かったことも、楽しかったことも、過ぎてしまえば唯の経験だ。
それにぶつかったり、それをしたり、それをこなしたり、それをやりすごしたり...いずれにせよーその時間その経験をして “自分の道を歩いた”ー だけのこと。そう願い通りにはいかないのが人生だ。受け入れるしか無いことは沢山あるもの。同世代や周囲や “世の中の流れ” 等という曖昧なものと自分の歩みを比較したところで、安っぽいポジティブ志向は産まれても、比較から産んだソレはいずれ又直ぐに崩れ去るものだ。幾つも抱えながら、その場にどうにかギリギリでも適応してゆくことが “生を選ぶ” こと、イキルということかも知れないーなんて思ったりする。正月に『アダプテーション』を観て、改めて勉強したばかりだった。

怪我だって病気だって、とりあえず生活出来る迄の回復さえすれば、過ぎてしまえばみんな思い出だ。
肉体に傷や後遺症が残っても、未だワタシのヘルニアや骨折や縫い傷位の痛みなら、どうにか抱えてやっていける。やっていくしかないし!だって...身体の痛みは或る意味単純だ。耐えればそれなりに慣れてくるし、治癒も夫々だ。若かりし頃の肉体や、元通り100%を望んでいたら、不満は増すばかりだし。
その時々の味ってのが在るだろうよ。負け惜しみでもいいんだ。他人が何と思おうがいいんだ。責任はいつも自分にある訳だし。したことも、しなかったことも、みんな自分に返ってくる。大事なのは(或る言い方をすれば )“自分とどうにか折り合いつける” ことでしかないんだと思う。“言い訳” って意味じゃない。酸いも甘いも抱えて、みんな抱えてゆくしかないーそんな感じ。『アビーロード』のラスト数曲を思い出せばいいのさ。
(ま、自分に言い聞かせている訳で...)



服ヲ着セテ貰ヒ...何故だか無性に、土や木々の匂いが懐かしくなった。
あの漬け物が無性に食べたくなった。
食べたいのに食べれない。きっと、もう二度と食べる事は出来ないんだろう...
「でも食べたいんだっ!食べたいんだよぉ〜」と大の大人が人前では叫べないから、ココで言う。言わせてくれ。


ちなみにー
既に、服は、まともに、自分で着れる。
もう誰にも着せてもらえない。
少し寂しい。
傷口がぴりっと痛ヒ。




           (只今の脳内ミュージック/TORTOISE "I Set My Face To The Hillside" 


バス車内の吊り革.jpg

67. 路地裏の鯉 [日々雑感『本日もまた混沌と』]

3泊して娘は帰った。
いつも後はへこむ。
楽しかった分の反動って訳じゃないんだ....
でも、今回もまた新たなエネルギーも一杯戴いた。
だけど数日は元気が出ない。どうしても。

いつも新宿からの特急か高速バスで帰るので、新宿は私にとって益々特別な街になってゆく。
見送った直後、ワタシは街を彷徨う。宛ても無くうろつく。
うろつくと言っても、酒場を梯子したり、喧嘩を売って歩き回る訳じゃない。
このまま直ぐに電車に乗って、いつもの駅で降りて、アパートに真っすぐ帰りたくなくて...街をうろつく。
用も無いのに店を覗いたり、ウィンドウショッピングなるものが出来ないのは昔からのこと。だから、ひたすら道を歩く。なんとなく方位を意識しつつ、路地をゆく。
おかしな看板に笑ったり、人の行動を観察したりもしているんだろうけど、そんな時はきっと、何かを見ている様で何も見ていない気もする。
唯、歩くのが目的なのかも知れない。

      *

でも今回は画材屋に寄った。
幾つかの物が足りなくなっていたのを思い出して、世界堂に寄った。
相変わらず店は天に向かって細長く建ち、処狭しと商品がひしめき合い、各フロアーによって店員の雰囲気が違っていて、笑えた。(これは以前、行きつけの店でたまたま元世界堂店員から聴いたのだった。何でもそのフロアーの主任の好みの女子を揃えているらしい。笑える。でも、ありそうな話。)
結局、ジェッソの詰め替え用お得パックと、加筆用マットメディウムと、選びに選んだ筆を2本だけ買った。
娘が上京する際、色んな画材を抱えて持って来てくれたので、これくらいの買い物で済んだのだった。

買った画材を手に、やっぱり一寸街をうろついた。
この街もワタシがティーンエイジャーの頃とは随分変わった。何しろ、道ですれ違う人種が断然増えた。
あの頃に通った喫茶店もライブハウスも安い飯屋も、今はもう無い。
あの頃のワタシは〜大切な事が何にも解ってはいなかった〜なんて風には決して思わない。
唯、解ってはいなかったことも随分あったのに、好きな世界の仲間に対して厳しかった。
他人に厳しいとか、つまりは求め過ぎたり、許せなかったりするのは、きっと...自分が今以上に解っていなかったからだと思う。自分の曖昧さや、あらゆる部分での不確かさみたいなことが。
互いの人生時間の共有を味わうという意識等まるで持てなかった気がする。
だからと云え、今となって何かを「確かに解ってきた」等と言っているのではない。
昔は昔で、否いつだって何かに夢中だったし、真剣に悩んだり迷ったりしながら生きていた。「暇だ〜」なんて思った事は、唯の一度も無かった。
今のワタシだって、後々ふと振り返ったならば、同じ様に思うのかも知れない。

唯、あの頃に娘は居なかったのだ。
この世に存在してはいなかったのだ。
それはアタリマエの事ではあるけれど、何と云うのか...

      *

いずれにしても相変わらず新宿は新宿だ。
どの街にも、その街の何とも言えない匂いがある。その街の音もある。
ヒトにも、何とも言えないそのヒトの匂いがある。そのヒトでしかない声がある。
ソコとの付き合いは理屈抜きっていうのか... 互いの相性と、生きてきた歴史が関わってくる。
「どうしてもあかん」って場合もあるだろうし、何故か成らず親しみを感じる場合もあるだろう。

街が「もう帰りなよ」と言った気がした。
新宿御苑の木々が見える路地裏で一服しながら、そんなことを思ったりした。

        *

今日9日は手術の日だ。身を清めたし(笑)これから出かける。
医者の都合で、正月明けの今日となった。
もうジタバタしても仕方無い。まな板の上の鯉となるしかない。いつだってそうだ。そうなんだ...
でもさ、ワタシは小心者だからさ、実は(睡眠導入剤も飲んだのに)夕べはなかなか寝付けなかったのさ。
やっと寝たのに、夜中に何度も起きてしまい、結局3時間位しか寝ていないのさ。
...参るぜ。

じゃあ鯉になりに行ってくるぜ!
戴いた御守りをポケットに入れてー

                
               (只今の脳内ミュージック/Leonard Cohen "So Long, Marianne"  )



俺たちに明日はない.jpg



66. ドウター [日々雑感『本日もまた混沌と』]

娘が泊まりにやって来た。
今、美容院?美容室?に行っている。

半分はワタシが育てた娘。おしめを替え、暇さえあれば背負子に入れて、野山や渓流を連れ歩いた娘だ。
一緒に鹿やキツネやウサギに逢い、ヘビやトカゲを捕まえ、魚を釣り、かなり危険で美しい場所に立ってきた。
彼女はよちよち時分から、絵の具や道具で勝手に遊び、楽器に触れ、裸足で犬猫とじゃれあって育った。
その娘がすっかりデカくなって、この春で中学3年になる。なんと受験生だ。
ロックと映画や演劇が大好きで、部活は陸上。超忙し〜(笑)日々を送っているみたいだ。本人からそのハードさを聴いて、ワタシには到底こなせないなあと思った。

子供の成長が未だに信じられないまま、時間だけが過ぎてゆく。置いてけぼり感が常にある。
ワタシは未だに食べることもままならない生活で、そういった意味では進歩というものがまるでなく、停滞どころか、もしかすると "沈殿" し始めているかも知れないのに...

       *

離婚によって遠く離れて暮らす様になり、既に3年が過ぎる。
それでも初めの年から、1年に2回は会いに来てくれる。
こちらが東京に居るという事も、子供にとっては訪ねる気になる理由の一つみたいだけど...
でもありがたい。
どんな悦びより、重く、そして静かだ。

本音を言えば、娘を思うと自分を責めない日は無い。
街で家族連れを見ても、学校帰りの子供を見ても、若者を見ても、ことあるごとに振り払っている感覚がある。
或る程度の域からは考えない様に、触れない様に、見ない様に過ごして来た。
それでもことあるごとに引き戻される。特に電車内等の近距離で幼い女の子に遇うと、アウトである。
考えても仕方無いことだと、片方の冷静な頭で考えても、振り払おうにも身体の奥の方から、背中の方から、或る烙印の様な “影” が覆い被さってくる。
『北の国から』の当初のテレビドラマ第3話だったか...富良野を去る少年・純に大滝秀司が言った台詞「おまえは逃げるんじゃぞ。ここから逃げてゆくのじゃぞ。それだけは、忘れるんじゃない。」
立ち止まったり、夜になると、こんな声が聴こえてしまう。
だからといってずっと起きていてずっと走っていたら、足に怪我をして入院してしまった。
だから最近は少々開き直って居るのかも知れない。
端的に云う処のネガもポジも、その間のなんやかんやも、「全部抱えていくしかないよなあ〜。向かって行く先はおんなじなんだから...」等と思っている。

なのに、誰と会っていても何をしていても、今ひとつ夢中になれない。歳(経験)をそれなりに重ねての冷静さとは違う気もする。
これは叫びたくなる、でも決して叫べない "澱" の様なカナシミだ。
労働で怪我をしても、酷い風邪に寝ていても、罰を受けている様な気持ちになってしまう。
自虐や自己嫌悪にハマるのは後ろ向きでしかないーと思い直し懸命に自分に言い聞かせても、どうしても駄目な時、最悪な精神状態に陥ってしまう。
酒量もかなり増え、煙草も復活してしまった。独りになって滅法意志が弱くなった。内弁慶だったのか?
自炊はしているが、しょっちゅうデタラメになる。第一、食欲というものがあまりワカラナイ。以前は食べる事がとても好きだったのに。
だから今は、“欲を機械的に淡々とこなしている” そんな感じだ。
時々思う。全部シゴトみたい、労働みたいだ、と。
美味しいとか、楽しいとか、嬉しいとかーそんなシンプルな悦びは、ひとたび共同生活の歳月を味わってしまうと、後がこんなにも無機質になるとは... 想像を超えていた。

        *

ここ数日は違う。
食べることも、歩くことも、話すことも、寝る事も愛おしい。
内容より、共に過ごしているその “時間” が愛おしい。
年頃の娘は何しろ生意気だし、会えば毎回、軽い喧嘩もする。元妻に似て短気で、怒ると声がでかい。
しかし娘とはいつだって「時間が勿体ないから仲直りしよう!」と、不機嫌でも握手も仕合える。ギャグも入れられる。入れた途端にギャグ合戦になったり出来る。これは大切なことだとしみじみ思う。
猿の様な赤子の時点から関わった分だけ、何も言わないで一緒に居て苦痛じゃないからいい。本人もそう言っている。(言ってくれているだけかも知れないけれど...)

静かな "時間の共有" は、金や物で買えないのだね。何ものにも代えられないのだね。
ましてや、片側だけでの思いや努力じゃ作れないんだ。
以前、会話の流れで「昔からお父さんらしくないし、駄目な奴だから...まあ仕方無いかなって思ってるさ!」と言われてしまった。
それは自分でも分ってはいるけれど、聴いた時はギョッとしたし、とほほ...って絶句するしかなかった。
結局しかめっ面で笑ってしまったが、後で独りになってから極めて複雑な気持ちがした。
何故なら、娘も色んな思いを込めて言ったと感じたし。

今回は何を怒られるんだろうか...?
でもその内、否もう直ぐに、相手にもしてもらえなくなる日が来るのだろう。思うだけで寂し過ぎる。

        *

この世は無常。
サバンナも人間社会も強いては弱肉強食で成り立ち、大小の差はあれど私利私欲に無関係な者は居ない。ワタシは違うと誰が言えるだろうか?
感情や理性なるものが働くわれわれは、時には自分に都合良く時には周りに翻弄されながらー自分の人生時間を潰すのにー苦労苦心してもがく。富豪も貧民も、老若男女が皆が、もがく。
この国ならきっと誰もが、最後は赤の他人に!真っ赤な炎で焼かれて、唯の灰に成るというのに...

何を考えたり、したりした処で、最終的にはー
娘がそれなりに健康無事で生き抜いてくれたら...と、日々そう願うばかりだ。
願うしか出来ないし。

真剣にそう思える相手が居る自分は、そういった意味では幸せだ。
挫けそうな時には、そう自分に言い聞かせる。
大切な人の笑顔や健康なくして、世界の平和も、自分のライフワークも、へったくれもないー少なくとも今の自分はそう思う。遅いけど...
昔から家庭に縁の薄い自分にも、娘という絶対的な祈りの対象が、相手が居る。元気に居てくれている。
だから、どうにかこうにか、紙一重で人生をやっている。


そんなもんだ、ワタシ。



        (只今の脳内ミュージック/ANTONY & THE JOHNSONS "Hope There's Someone" )



MMEREDITH MONK ジャケ一部.jpg







65. ゼロ [日々雑感『本日もまた混沌と』]

明けました。放っておいても明けました。
おめでとうございます。

さすが真冬。晴れが続く。空気が乾燥している。
陽差しがありがたいけど、夜に冷え込むね。これも陰陽のバランスだね。
東京の冬は独特な寒さだよ。
落ち葉を燃やす匂いが恋しいな...

今日も少し掃除してしまいましたよ。普段全然してない個所をね。
でも元旦からこうゆうのなんて云うんだっけ?貧乏症?
仕方無いね。そうだし。
同じ姿勢での賀状書きにも疲れてしまったよ。
出遅れたんだから今更そう急ぐ事無いか...等といつもの言い訳を用意しよう。
第一、腰が痛いじゃないか。下からヤケに冷えが来るぞ。
この部屋だけか?否、満月の翌日は特に冷え込むのだな。
夕べはイヌバシリから月見で一服したさ。空気が澄んでてお月さんもよく見える。
都会じゃなきゃもっとよく見えるんだろうなぁ。
まあ、今見れるものをよく見ておこう。それしかないんだ。
そうだ。こんな日は風呂でゆっくり温まろう。それが何よりいい。
湯船に浸かれば思う筈さ。良かった、この文化の国に生まれてーと。

「風呂が沸くまで何か書こう」...要はそう思ったんだった。
で、浮かんだのが二つの詩。一つはこの国の見知っている人の歌詞。
でもそれは(ちと照れると云うか恥ずかしいと云うかオコガマシイ気もしないでもないから)矢張り辞めよ。
だからってお正月らしい詩なんかではないんだけどね。なんか浮かんだからさ。この詩のコトバたちがさ。
だから書き写してみようと思うんだな。
新年を迎えて、正月に習字とか書くこと...アレ何と云うんだっけ?
 “筆下ろし” じゃなくて(大笑)、一筆書き(しかめっ面笑)じゃなくて〜
うう.....全然思い出せないのがナサケナイぜ。
ま、パソコン写経ってことにしよう。みたいなもんだよ。きっと。
ちと違うかな? ま、いいか。



ゼロの詩   ヴィスワヴァ・シンボルスカ


むかし むかし 或る国でゼロというものが考案された
それを思いついた男というのは たぶん黒い星のもとで生まれたのに違いない
日付けと日付けの間に生まれたので 彼の誕生日などだれにも証明することなど出来ない
自身ゼロ同然の身の上で 確かな名前とてなく
薔薇のような茨のような人生について いかなる金言も残さず
また或る日摘み取った薔薇の花束に ゼロを書き添えて結び付けたという伝説さえ残すこともなく

だから或る日 死を予感し
百の瘤もつ駱駝の背に跨がり 砂漠めがけて旅立った
勝利のシンボルであるハルムの木陰でまどろみ
そして 砂粒の一粒一粒が数え上げられた時に目覚めた

一体人間とはどんな生き物であるのか
事実と感覚との間には 我々の気付くことの出来ない裂け目がある
それぞれが しぶとく運命を生きている
たとえ私がなんらかの形を与えようとしても すべては拒否されてしまう

静寂が声紋さえ残すことなく拡がっていった

不在が地平線の外観を呈してきた

ゼロは他の誰でもなく彼によって記された


詩集『塩』1962年 より (つかだみちこ訳)


 “ゼロ” の達観姿勢にはとても及ばないけれど、
いつもズームは自在に、素直ではありたい。し、あって欲しい。
でも “いつも” ってムズカシイ。
人生は死に向かっての大いなる時間潰しなんだろう。
だからこそ一期一会が身に沁みる。それは衆生同士であっても対何であっても。
タイム イズ ゴーイング。
 & タイム ウェイツ フォー ノー ワン。
耳の奥でチャーリー翁の刻むリムショットが聴こえやしないか。
やっぱり何も約束出来ないなあ...


風呂入ろぉっと。





                   (只今の脳内ミュージック/NATALIE MERCHANT "Motherland" )


銀のオルファ.jpg



64. タコのテンプラ [日々雑感『本日もまた混沌と』]

昨日は “心静か” とか書いちゃって...
何気取ってんだ!って感じだ。
だから今日はサイコに書こうかなと思ってみた。
けれど、気が付けばアッと云う間にホントの年の瀬が訪れちゃってて困った。
なんなんだ、この時間の早さは⁈
ま、サイコは止めよう。止めた方がいいサイコは。止めようね?
なんつったて大晦日だもんな。あんまり実感無いな...
淡々と行こう。淡々と。
つげ義春の劇画の1コマに「敏速に、敏速に」ってふき出しがあったな...何だっけ?『西部田村事件』だっけ?
よく内輪で真似したっけな。
何かと云えば「敏速に、敏速に」って口に出してみるんだ。出してみるものの、ちっとも急がない。むしろ丁寧にやるんだ。目の前の問題に、より淡々と向かう。わざと静かな感じで。
唯それだけのこと。そう呟いてみるだけで、少し楽しくなったもんだ。魔法のコトバの1つだな。
...そんなもんだ。

       *

今日は午后から風が強まった。
窓拭きしたぜ。台所も掃除したぜっ。結構ピカピカになって嬉しい。右腕が疲れた。
もう直ぐ手術後は当分の間、この右手が不自由になるかと思えば不安が襲ってくる。
「考えない様に、考えない様に」だ。
50リットルの洗濯機を2回まわした。
洗濯物を溜め込んだ訳じゃない。今日という日が、「洗濯機をぶんぶん回したい」そんな気分にさせたのだ。
今、干したネルシャツが物干竿に吊り下げられ、ぶわんぶわんと揺れている。
何故だか、子供の頃に空高くあげた凧を思い出した。

       *

僕らの世代はゲイラカイトなる凧が流行った。よく自分で作ったりもした。
要領を覚えたら凧作りは簡単だ。左右のバランスと(尻尾というか足というか)垂れる部分の調節、あとは幹糸までの支持糸(正確な名称は知らないなあ)の調節だ。
本体は(昔は許可されていた)黒や水色の大きなビニールゴミ袋と竹ヒゴで作るのだ。

ビニール袋は金物屋『大用商店』、竹ヒゴは文房具と駄菓子と新鮮卵を売っている『たまごちゃん』で買っていた。
『たまごちゃん』の正式店名は知らない。大人も子供もそう呼んでいたから。
校長先生も朝礼の台の上から「校章をなくした人はたまごちゃんで買いなさい。」と言われていた。
ゴミ袋&学校の直ぐ側のーガラガラって木製のガラス戸を引いて開ける様なー何でも売ってる商店。両方とも今は殆ど見かけなくなった。
こんなところにも時代の変化が映し出される。
ちゃんと良い方へ向かっているのか...

しかし思えば凧揚げすらあまり見かけない。
野っ原が無いもんな。凧揚げには風の都合で斜景地がいいんだけどね。
見かけるとしたらば、河川敷くらいか?大きな公園か?
凧揚げなんかに夢中になる子供も少ないか?
親子で正月に一回、つまり一年に一回揚げるくらいか?
そんな家族すら少数派か?
まして凧作る子供なんて、極少数派か? え、居ないのか?
何でも買ってくるのか?新製品を!流行の、最新の型を!(って、怒ってんのか⁉...全くウルサいオヤジだね。そうさっ。)

上手く上昇気流に乗せて、糸巻きを追加する時のあの高揚感。読んで字の如く、まさしく高揚感!
凧糸を一直線に、奇麗にそして強く結ぶテクニックをマスターした時の何とも言えない満足感。得意満面だったろう。自分が何ステップも大きくなった気がしたな。
ぶんぶんと引っ張られる凧糸(紐類)を追加するのは凄く難しいんだ。
きっと今となっては、一発では出来ないかも知れないな。

空高くどんどん上がって、小さく小さくなってゆく凧を、腕が痛くなりながらも操る時の気持ち。
思わず糸が切れてしまった時の焦り。
その後の凧の行方を見守り、追っ駆けてゆく時の何とも言えない気持ち。修理不可能な程は壊れていません様に!って祈りで一杯だった。
 “糸が切れる” という表現があるけど、あれ...割りかし低空(近く)で切れた場合は自分の手元にブチッと感触が伝わるけど、上空(遠く)で気流に乗ってて切れた際は、突然フッと手元が軽くなるんだなぁ。気の抜ける感じがするんだ。
それは釣りの際にも感じた。渓流の深い滝壺と瀬での違いもそうだし、磯での遠投や足下のドン深と上層の違いもそうだし。
詳しくは書かないけれど、つまりは “延ばした糸が上でも下でもおんなじ” って経験だ。
その理論を力学的にか物理的にかは説明出来るんだろうけど、そんな事はワタシにゃどうでもいいのさ。

      *

赤い糸や青い糸。黒い糸や白い糸。
サイケな糸や麻の糸。お蚕さんの糸や蜘蛛の糸。
意識次第で、透明な糸も色を帯びて見えたりする。

出逢った人。別れた人。消えた人。
忘れたくない言葉。忘れたい言葉。
好きな曲のフレーズや映画のシーン。様々な絵の具の匂いや筆跡。
飼っていた猫や犬。旅の途中の景色や出来事。
乗っていた車や、住んだ家や土地。そこで感じた風や聴いた音。
絶妙な味のあずきや、磯の香り高い心太や、釣って食べたサカナ達...

自分が地上に生きている間は、
きっと空高くいつも揺れているんだろうな...


         *


追記/そういえばー “凧揚げ” って “揚げ” って書くんだねえ〜
自分じゃ滅多に書かないコトバだから、キー打って勝手に変換されてアラ?と思ったよ。
空高く “上げる” んじゃなくて、“揚げ” ちゃうのかよ〜って思わなくもないけれど。
正月らしく “蛸”を揚げるなら解るけど...
ん?蛸は揚げたりしないかな? 第一、俺そんなの食べた事ないかな?最近は蛸自体食べてないなあ...

凧揚げ・・・そうだな...きっとカミサマが、上〜の方から凧を揚げてるんだろうヨ。
ってことは、“我等の居る地上=天ぷら鍋の底” ってことか⁈

或る意味言えてるかも知れないね.....


さて、これから年賀状にかかろうと思う。(遅っ!)
絵を描いてまともに向かうのは3年振りか。物心ついて賀状を始めてから、初めて2回の正月をサボった。もう別にいいか...と思った。要はやる気が起きなかった。DVDばかり観てた。この時期はきっと閉ざしてた。
今年は少し開き直れてるのかも知れない。わからないけど。

では皆様にとって、そしてワタシにとって(書くかなあ〜⁈ んでも、本音そうでしょが⁉)
来る年が良い年となります様にー




     (只今の脳内ミュージック/D. SYLVIAN & R. FRIPP "God's Monkey" )



誰かの投稿写真(一部).jpg

63. 林檎スター [日々雑感『本日もまた混沌と』]

今年、ジャスト其の日に御他人様から頂いたX'masプレゼントは

 “蕎麦ボーロ(ぼうろ?) のヤケにデッカい袋詰め” のみでした! それも郵送で!

 

「..........。」(笑&汗っ)



1晩で食っちゃいました。

コーラ&ウォッカに、とても合いました。そう思いました。

「蕎麦だから、ま、いいか」と(無理矢理の解釈で)最後は、食欲というより「キリがいいから」という勢いでした。

1袋、全部食っちゃいました!



翌日、“食欲” というものがまるで湧きませんでした。

まるで。

だから林檎を買って食べました。

連日食べて、3日目になってやっと何だかいい感じになりました。

 

       *

 

果物の中では元々林檎が一番好きです。銘柄はこだわりません。どんなのでも食べます。

どちらかと云えば、蜜たっぷりの甘いものより、青臭いくらいの酸っぱい感じのが好みです。

暖かい時期になってスカスカの古い林檎に当たると残念賞ですが、酸っぱさと硬さが絶妙の林檎に当たるとホント幸せな気持ちになります。

やはり林檎は、よく洗って皮ごと丸齧りですね。芯ギリギリ迄食べます。上品ぶってる場合じゃありません。

皮もまた美味しいのです。根菜類と同じです。

 

 

 

昔住んで居た場所は、自宅から歩いて数分に広い斜景の林檎畑が在りました。

目の前には鳳凰三山と駒ヶ岳が屏風の様に広がっていました。

夜になると色んな獣がやって来て、早生未熟果で勝手に落ちたものや、他の実を太らせる為に切り落とした実を食べていました。

夜中に懐中電灯を手に、よく逢いに行ったものです。

 

そんな時、暗闇はやはり慣れる迄は怖いものです。街灯なんかありゃしません。

予想してない物音なんかに、ビクッとします。言うなれば◯◯が縮み上がります。

でもじっとして居ればその内に慣れて来て、色んなモノが視えて来ます。

そして直に、強く静かな気持ちになります。

獣や風がたてる音すら心地良く聴こえて来ます。

 

これからの時期は特に空気が澄んでいて、景色が遠く迄見渡せます。それは日中のみならず夜でも同じ事です。

見上げれば空には無数の、本当に無数の星々です。

何度繰り返し観ても、いちいち驚いてしまうくらいの星々です。でした。

 

 

       *

 

寒くなると何処でも安価に売っている一寸いびつな撥ね林檎。

食べると(蕎麦ボーロの食べ過ぎ後でも!)腹の調子も良くなります。

そして一寸ですが、静かな気持ちになれます。

 

 

 

    (只今の脳内ミュージック/KEITH JARRETT "Shenandoah" )

 

 

 

 

 

ベン・シャーン(インク画一部).jpg

61. 隙間に潜む虫 [日々雑感『本日もまた混沌と』]

 (一寸久しぶりの更新です。ココに戻って来る気力が湧きませんでした。何となく保てて...何となく書く気になれたのは、或る虫のおかげかも知れません。世の中には其の虫だけ集めた資料館なるものが在ったりするそうですが、きっとカブトムシやトンボの様に親しみをもって其の虫とつきあいたい人は多くは居ないんじゃないかーとも思うんです。ですが!少数派やアンダーグラウンド的な匂いに、つい魅かれてしまうワタシですから、ここは一つ其の虫の為にも “(それなりの)愛を込めてー文字にしてあげようと思います。自己テンションを上げる為にも!)


先日、どうしても魚が食べたくなりました。

いつも寄っている駅に隣接した24時間営業のSEIYUではなく、全体的に食材が安いスーパーへ寄りました。

その店では以前に好物の一つ "とんぶり” を買ったところ、帰宅後によく視たらカビが生えていたりして、その日以降は余程でない限りあまり寄らない店でした。しかしSEIYUより鮮魚コーナーが充実しているし、外国産の肉等がいつも安売りしていて、ワタシはついつい味や食の安全より値段に負けて、懲りもせず時々は買ったりしていたのです。

 

さんざん迷ったあげく、秋鮭の生(塩蔵ではない切り身)を買いました。鮭独特の、とてもいい赤い色をしていました。

2切れで168円と断トツで安く、新鮮に見えたので買いました。

尚、東京で暖かい時期に刺身は殆ど買いません。とかく美味しい物は高いし、ワタシが買い物する時間帯には売れ残りの赤札しか無く、一度も「おいしい!」と思った試しが無いからです。内地で育ち都心部で青春期を過ごし、10数年も山村に暮らしたワタシが、魚についてそう舌が肥えているとは思えません。でも、再上京して数年が過ぎた今も、スーパーで買った刺身を「おいしい!」と思ったことは無い様に思います。

 

さて、帰宅して鮭の一切れは冷凍しようかと、パックからラップを外しました。

すると、何か動いているのです。太い木綿糸の二倍くらいの生き物が。

寄生虫だと直ぐ判りました。透明の細いミミズみたいで、長さが2.5センチくらいでした。前後1センチ位は伸び縮みしていて...過去さんざん釣り餌でミミズやイソメやゴカイ類を触ってきたワタシも、この時ばかりは気持ち悪く感じました。想定外だったからでしょうか?でも至って頭では冷静に「加熱すれば大丈夫だろう」と思い、「まあ居るさ虫くらい!」なんて強がってもみました。長きに渡って畑仕事もやってきた経験から、「いちいち小さな虫くらいにジタバタしていたら切りが無い」という気構えが備わってもいました。値段も安かったし、先ずあのスーパーだからなあ〜と思い、一旦は我慢しようかと思いました。

切り身をひっくり返し、よくよく観察すると虫は2匹いました。一匹ならともかく、元気が良い奴が2匹居たのが堪りませんでした。

その事は自分の中のどの様なラインを越えたのかは解りませんが、とにかく嫌になりました。悲しくなりました。小さな音を立ててブチっと何かが切れてしまいました。直ぐ何もかもを投げ出したくなる様な、ギリギリの精神を抱えているワタシでしたし... 思えばこの数年、息を潜める様に暮らして来た様なところがあるので、こんな時も“買った店にクレームをつける”とかのパワーより、何故か “我が身のふがいなさ” みたいな自己嫌悪的な方へ...つまりはこんな小さな事件?に、かなり気が滅入ってしまうのでした。

しかしその日は何かが違いました。多少の冷凍食材等はストックしてあるものの、その日は “どうしても魚が食べたかった” のです。この「魚が食べたい!」という純粋な気持ちを、何者にも邪魔されたくはない〜みたいな感じ?でしょうか...


いつも赤札の野菜と肉の炒め物か、豆腐類か、レトルトか冷凍食品か、麺類の繰り返しの食生活の中、やはりどうしても時々は魚や煮物を食べたくなる衝動が沸き起こり、その「食べたい!」という欲求くらいはどうにか工夫して妥協点で満たしてやらないと、自分の毎日の生活なんかは何の原始的な悦びも無い...それこそ “味気ないもの” になってしまうのでした。

一人で煮物を作るのは、過去には作り過ぎたりして腐らせたりして、結局この数年でも2回程しかトライしていません。しかし、魚はフライパンでもどうにか妥協点で焼ける様になったのでした。もちろん焼き網で焼いた魚や、キャンプの際に炭火で焼いた魚に比べたら、足下にも及ばない代物ですが、それでもムニエル風にしたり多少の工夫で「魚が食べたい!」という欲求くらいはとりあえず満たせるのでした。

 

話を戻しますとー

結局、閉店間際のスーパーに連絡し交換してもらいに行きました。その日の内にどうにかしてしまいたかったのです。

店のヒト曰く「国内産、つまり近海の秋鮭にはアニサキスという寄生虫がよくみられ、細心の注意をしているがどうしても身の隙間に隠れているものは見つけにくい。」「加熱処理すれば人体に影響は無いし、一日以上冷凍すれば死んでしまう。」との事。

こちらは時間と電話代と精神をすり減らして迷惑しているんだから〜!とも思いましたが、僕も元はかなりの釣りキチ三平です。山に住んで居た時すら渓流のみならず磯釣りに出かけていた位の釣り好きです。人も住まない標高の高い渓流で沢山のヒルにたかられたり、磯の魚の腹をさばいたら寄生虫が一杯出て来た〜なんて事は経験済みです。魚の寄生虫くらい、否、生き物の寄生虫くらいでそうジタバタして堪るか!みたいな気持ちも多少はあります。あるのですが....

結局、返金と選択可能でしたが、売れ残りの同じ2切れ入りの秋鮭パックに取り替えてもらい、以降の来店時に使えるサービス券なるものを貰い(苦笑)すごすごと帰りました。

東京23区の外れ閑静な住宅街の暗い夜道を、独りの長髪中年男が秋鮭の切り身2切れ入りパックを手に、10%割引サービス券2枚をポケットに、とぼとぼと歩く図を想像してみて下さい。....まあ、そうゆう訳です。(寂笑)

 

ところがー!!

取り急ぎ帰宅して、やはり気になり鮭の切り身をよく観察したところ...又居たのです。一匹。それも元気良く這い出して来ちゃったりして。頭なんか持ち上げちゃったりして...

溜め息でした。漫画で喩えるならばーおでこ真っ青で斜め斜線、キャプションはひと言「ガ〜ン !! ....」です。

「もういいや...」と思い、二切れとも冷凍しちゃいました。考えるのも嫌になってしまったのです。

ここで捨てないのが、ワタシです。1切れづつラップして冷凍したのでした。何も考えず、「捨てないのならとりあえずはこうするしか無い」とばかりにそうした、のでした。とりあえずその夜の闘いは終わった(笑)という訳です。チャンチャン。

結局その夜は、冷凍餃子とインスタントみそ汁を食べました。無難な選択とはいえ、やっぱり全然美味しくなんかありませんでしたよ...

 

 

ちなみに “寄生虫” に関してネットで調べたところー

アニサキスらしき其の寄生虫に於いてはスーパーの担当者が言っていた話はほぼ正しく、「60°〜70°以上の高温加熱か、マイナス20°以下の冷凍保存を24時間以上で死ぬ」そうで、しかし生きたまま人体に入ると胃壁を食い破るケースもあるみたいで。文字だけ読むと、或る意味では結構恐ろしい内容でした。近海の秋鮭に多くみられる。しかし新鮮さと美味しさで売れる物だから、塩蔵ではないものが出回る。かといって遠洋のものに寄生虫は皆無とは言い切れない。特に鮭・マス類やイカに寄生が多く、刺身で食べる際は注意。

たしかに以前、西伊豆に釣りに出かけた際、宇久須の黄金崎のキャンプ場で知り合った方からお土産にいただいた穫れたてのイカには、何匹も寄生虫がいた事を思い出したりしました。虫の外見はかなり違った様に記憶しているのですが....。あ、イカ自体は最高に美味かったです。

イカの場合は真水に漬け洗いすれば寄生虫は落ちるが、魚の場合は筋肉の隙間に潜り込むから見つけにくいみたいです。だから加熱か冷凍が一番無難。神経質になり過ぎたら何にしたって食べれないけれど、正確に知っていて損は無い知識だと、今回改めて思いました。

 

数年前に中古で買った冷蔵庫の冷凍室が、いったいマイナス何度まで下がるのかは判りません。アイスを入れたらカチンコチンに凍るのは確かですが...

もし彼等アニサキスが未だ筋肉の隙間に潜んでいたならば、どうなのでしょうね...マイナス20°以下にならなかったとしたら、何日冷凍しても生き延びているのでしょうかねえ?仮死状態で生きながらえて、解凍と共に復活!なんて...有り得るのでしょうか?SF映画は全く観ないのですが、なんかありそうな話ですよね...

「人間より下等な生き物だ」と人間が研究&判断していても、人間より太古より生き延びて来た “凄い奴” の1種ですし... 改めてそう考えてみると、ゴキブリやダンゴムシやシミやムカデ等に、或る畏怖or畏敬の念すらも浮かぶのはワタシだけではない筈です。知り合いの連れ合いの或る御夫人は蛾が大好きで、“毛虫の内から飼って孵化させては逃がしてやる” を繰り返していますし、逆に、カブトムシ等の“夏の甲虫以外の甲虫を室内で見ただけで一気に暗い気持ちになって寝込みたくなる”という方も居ました。皆、ヒトそれぞれ “ムチ使い” や “縄師” も含めて(笑ってね。)“色んな趣味・趣向”の御方が居て、どんなモノゴトに対しての見方・考え方にも “色んなドア” が必ず在る筈だろう。だからといって、ここでワタシが「寄生虫君って実はかわいいね...」等と愛しく思って飼うーなんて心理にはなりませんがね。

ちなみにワタシの娘が幼い頃、よくダンゴムシやカタツムリを沢山集めて飼っていました。家の中にいっぱい這い出して来て困るので一寸考えものでしたが、夢中になって喜んでいるので好きにさせておきました。彼女の中で何年間か、けっこう長い間そのブームは続きましたね。映画『風の谷のナウシカ』の王蟲(オウム)を観て「ダンゴムシだっ!」と喜んでいたものです。彼女は思春期に突入した今も、ミミズやダンゴムシは掌に乗っけて触ったり、車に轢かれて潰れて干涸びているミミズを見つけると、草むらや土の或る場所まで「つまんで運んでやって放り投げてやるんだ。アハハ....!」だそうです。

 


さて、鮭。

少しキモチワルさが薄れて食べる気になったら、解凍してちゃんと加熱して食べようかと思います。

何日も冷凍した上に、しっかり加熱でパサパサになって...きっと美味しくないかな〜

こんな小さな事件も、共有する相手が居ないと苦笑いにも笑いにも還元出来ずに、つい暗〜くなってしまうものですから、あまり気負い無く一気に書いてしまいました。キモチワルイ話題でしたが、まあ笑ってやって下さい。 

 

もう自分では当分の間、近海の秋鮭は買わないと思います。(一応、“当分” としておきます。何故でしょうか、弱気なワタシです。)

夏の終り、閑静な住宅街の暗い夜道を、魚の切り身それも寄生虫付きを手に、一人とぼとぼ歩くのは....ちょっとね...

じゃあ、夏の終りじゃなきゃいいのか?閑静な住宅街じゃなきゃいいのか?昼間明るい時間帯ならいいのか?.....そういう問題じゃないですね。

じゃあ、一人じゃなきゃいいのか?...もしかするとそうゆう問題かも知れません。何故なら天の邪鬼なワタシはきっと、他のヒトが騒げば「ああ、こんなの平気平気!よくあることさ。」なんて嘯いて「でもやっぱりキモチワルイね。」なんて呟きながら、他のヒトが嫌がって食べないのならば全部一人で食べてしまう様な〜そんなニンゲンかも知れないからです。

そうなんです。実の処はそんな程度なのかも知れません。自分の感覚や感情なんて、その時々で揺れ動き移り変わる曖昧でテキトーなもの.....

「絶対無理、受け付けられない。」なんて宣言していたヒトが、丸っきり変わってそれが好物になってしまったのも見て来ました。逆に、ある事に対してそれまでは何ともなく、むしろ喜び勇んで食べていたヒトが、或る日似た食事中に突然発作を起こし救急車で運ばれてしまったのも見ました。以降そのヒトはそれら似た食材に対して拒絶反応が酷く、湿疹のみならず呼吸困難まで起こす程のアレルギー体質となってしまいました。ワタシも食べ物を越えて広く考えてみると、そんな両方の変化を少なからずして来ました。

肉体と精神はいつだって微妙に絡んで、変化しているのですね。動いているのです。だからこそ、何かを、誰かを、“思い込める瞬間” が貴重でもあり、愛しいのです。経験を重ねるに従って、なかなか “思い込める” ことなんてないのが現実ではないでしょうか。瞬間思い込めても、次の瞬間には客観したり迷いが生じるーそれが現実ではないでしょうか?だからこそ、その積み重ねを捉えるしかないのだと思う訳です。

ヒトは “虫の知らせ”とか、虫が好くとか好かないとか、目に見えない “気” の様な何かを虫に喩えたりしてきました。ワタシ達一人一人の人生の隙間に息を潜めて潜む虫が、そんな好い虫だといいですよね。



一応今回の題は 『隙間に潜む虫』 でした。

そうですね〜ワタシがもしも映画にするなら....(注/あ、まあ、するならばーの勝手な妄想ですがね....)ポスターは思い切ってピンク・ヌーヴェルバーグ的にしたいなあ。寄生虫とロマンポルノのどこか退廃的な色っぽさ。このアンバランスさがいいんじゃないでしょうか?

監督は世紀末直後の頃の瀬々敬久で。『雷魚』の頃のトーンがいいかな。大塚寧々主演で、母親に宮下順子、脇には、ぜひ烏丸せつ子と美保純と渡辺真起子。友情出演っぽく大楠道代。(なんだか〜唯単に好きな人を並べているだけかも知れませんね...)

 

 “寄生虫” をキーとして、でも虫を語りたいんじゃなくて、誰もの中に "ドウシヨウモナイ虫" が居て、どうにか飼ってゆくしかないーみたいなのがとりあえず核かな...。時間軸が微妙に重なる様な層構成で。お涙頂戴的な人情劇には決して流れない映画。でもいい意味で重い。でも硬いばかりじゃなく、さりげなく柔所もある。だから演技の上手さより、滲み出る ”匂い” のある女優、声に味の在る女優じゃなきゃ駄目。トーン低めで。香水的な匂いではなく、其のヒトの癖のある、元々備わっちゃってる体臭色香。花の香りなんかじゃない、生き物の”匂い”。

男優は昔の森本レオをとことん悪役っぽく使いたいね。SABUとかギリヤーク尼ヶ崎に普通の人をお願いしてみたいな。ピエール瀧も頑張ってくれそう。光石研は欲しいかな。超脇役で石橋連司には出て貰ったら超贅沢だなあ〜。 

ああ、こんな配役じゃ濃過ぎるかなあ〜。でも若い俳優で売れてるヒトは使わないで、新人を使ってあげたいね。浅野忠信や蒼井優が幾ら好きでも、今は未だ未だ若いオーラが強過ぎるね。あと、上手過ぎる。あと、彼等は個人的に “好き過ぎ” だから、冷静にいじれそうにないし。そうゆうもんだよ、ヒトは、あ〜ワタシは弱いんだから。 そうそう、マイク・リー監督の姿勢が素敵だと思う。『人生は、時々晴れ/All or Nothing』なんて、なんて素敵な映画かと思う。こうして予算とか無視して子供みたいに空想したって、まだまだ頑張ってる無名の新人を鍵握る役で使いたいと思うな。賭けだね。でも、客寄せ的に顔が売れてるアイドルや俳優を使うなんて最低の話だよ。採算勘定したってさ。

台詞やテロップでは一切説明しなくて、日常の風景や使い古しの小道具が静かに散りばめられ、そういった台詞無しの場面が語りすぎない程度に語る。演出は大袈裟でなく、構図的な問題以外は先ずは演者に好きな様に演ってもらう。演者だとしても、紛れも無くそのヒト自身が演じている訳で、言い換えればそのヒトの生き様が出なければ、その俳優も即ち映画も活きては来ないと思う。配役した時点で自ずと決まっているという事だろう。後は映画って、編集段階の妙でいかようにも成る部分が大きいと思うし。編集は映画の出来不出来の半分くらいを占めるんじゃないかな...

音楽はECM系とメジャーのと両刀使い。音楽だけは国産なんてこだわらない。あくまで音として捉えたいな。ただ、全編に流すのは完全に趣味じゃない。劇中の室内放送やラジオ等のBGMや、役者の鼻歌も含めて、あくまでさりげなく使いたい。気が付かれない位でいい。“寄生虫” もまた、水分が無ければ生きられないだろうし、イメージ的にも湿り気を帯び粘着質な感じを受けるので、水の音は上手く使いたい。雨や川の音のみならず、ヒトの肉体や、家事全般、生活の音の随所に水の音が在ると思う。全ての生き物は或る意味、水分で保たれている訳だし。また、その事を存在自体で感じさせる女優が、上記の方達なのかも知れないとも思う。

随所に話に絡んで出て来る虫が、観ている内に可愛くさえ感じれる様な... んな訳ないか〜!

ところでストーリーは? あ、今回は辞めます。


最後に大きく話が外れてしまいました。




この季節、赤い身の “隙間に潜む虫" にはお気をつけ下さい。


きっとアナタの隙間にだって...

 

 




          (只今の脳内ミュージック/RADIOHEAD "No Surprises" )


RAY LAMONTAGNE ジャケット一部.jpg

 

 

 


60. サシバの輪舞 [日々雑感『本日もまた混沌と』]

今日、一時激しい雨が降った。ぐっと気温が下がった。
とうとう長袖のシャツを着た。靴下まで履いて、まだ足りなくて木綿のベストを羽織った。
そう云えば、数日前からコオロギの鳴き声が聴こえ出した。短い夏だった。

ここ数日遠いところ近いところで、色んな事が起こった。
体調は以前から予兆はあったが、再び不安定になっていた。
そして、今夜は最悪の模様だ。否、それは少し大袈裟かも知れない。以前の底に比べれば全然大した事無い。
だけど、やっぱり、まるでこの世界にひとりぼっちみたいな夜だ。
それはアタリマエの事か... 人は皆、誰でも “闇から一人で生まれて、又闇の中へ一人で死にゆく” んだった。いつも自分で書いていた事だったな...
でも、こんなに、存在していること自体が辛い時は、一体どうしたらいいんだったか...
深呼吸はした。軽く体操もした。ホットミルクを飲んだ。薬も飲んだ。まだ駄目だ。
煙草を吸った。酒を呑んだ。トムを聴いた。ジョンも聴いた。ノラも聴いた。まだ駄目だ。
蒼井優すら観る気になれない。で、当ブログ書き出した。 ....けっこう書けるもんだ。こんなでも。


自分に “自信” など微塵も無い。
自分が木っ端微塵に砕ける前に離婚したが、同時に見えるものや見えないもの、色んなものを捨てた。
捨てたと思っていた以上に、失くしてしまったものの多さを後で知った。
“自分を信じれるか否か” “思い込めるか否か” が “自信” だとしたら、それはワタシが「一番怖いのは自分」なんだとこの数年で気が付いたからこそ、“出来ない事” であり、不得意不得手な事なのだろう。
思えばこんなブログの沢山の文字も、裏を返せば “弱さ” でしかないんだろう。
自分に自信の欠片も無くて、どうして他人を幸せに等出来ようか...
でも考えてみたら、どうして他人が他人を幸せになんか出来るんだ?
幸せとか喜び(悦び)とか、流動的な感覚、瞬間の積み重ね、全て己が感じる “意識の問題” じゃないのか。
“〜であればクリアー出来る幸せ”とか、“〜であれば保証される幸せ” なんか、この世にあるんだろうか?
この世に一人として同じ者など居ないのに、“〜であれば” の最低ラインも、平均値も、本来は無い筈じゃないのか?
崖から飛び降りる気持ちで言おう。「何の為にここまで死なずに生きて来たの?
さんざん旅して曲りくねって来たのは何故?全部ファッション?」  違うだろ...?


何かを心底求めるのに、本来は資格なんか要らない筈なのに、今夜はどうやら、やはりワタシは失格を言い渡されたみたいな夜だ。
でもそれは誰が決めるの?誰かに決められる事なの? その誰かは神? 神が居るの?
...もう自分だけで精一杯、一杯一杯だ。どうやって気を紛らわして逃げたらいいのか、全くワカラナイ。
前向きの “前” がどっちなのか、何処なのか、在るのか無いのか、又ワカラナクなってきた...
明日起きたら平静を装える自分を取り戻しているだろうか...
元々何も解っちゃいないんだ。解っちゃいないから、いつもココで自己暗示をかけてきたんだろう。
解ったフリをして、“言い訳” や “言い聞かせ” や繰り返して来たんだ。
瞬間瞬間、視えた筈だったのは全て、幻なんだろうか?

“こうあるべき” を掲げられるなんて、もう出来ないな。
随分、信念が有る様なフリをして生きて来たんだな...つまりは余裕の証拠じゃないか...
もう、何もワカラナイな。ホントワカラナイ。何も言い切れない。何も決められない。
以前、「タイムマシンがあったなら〜」みたいな文をどこかで読んだ。読んだ時は「?」と思ったが、今夜自分もこう思ってしまった。「同じ苦しい日々でも、昨日でいいから戻りたい。否、出来ることなら、ワタシは初めっから生まれ直したい。」
ならば神の息子でも、親の息子でも、妹の兄でもなく、アナタの前世の片割れでもなく..。ニンゲンじゃないイキモノ。雄でも雌でも、ニンゲンに生まれ直したいとは思えないな。こんなに曖昧で、身勝手で、独善的なイキモノを経験するのは、この一度でいい。
出来れば...深い海の底の魚か、雲より高い山岳地帯の山羊か...ヒトの生息地域から遠い極地で己の生を全うしたい。
でも、空高く飛ぶ猛禽には憧れない。憧れないのだ。(一羽の鷹を唄う「テルーの歌」は、単に好きなだけだ。)


かつてワタシの父は集中治療室のベッドの上で、右手の人差し指を天に向けて立てながら「サシバのロンド...」とうわ言を数回繰り返した。横に居たワタシはそれが何を指すのかが解らなくて、とりあえず脳にインプットした。自分の脳味噌では、「“差し歯のロンドン” って?」と思ったりしたものだ。(苦笑)
かろうじて、うつらうつら意識を取り戻した父の耳元で「サシバのロンドって何さ!?」と必死に尋ねたところ、彼は自らがそう口にした事は覚えていなかったものの、「手帳だ。手帳。」と言った。そして又眠りに入った。
彼の身体には恐ろしい程の管が突き刺さっていた。心電図を映し出す機械の電子音が静かに響いていた。ワタシ自身も除菌され、デカい幼稚園服みたいな恰好をさせられ、頭も風呂用のビニール製の帽子みたいなものを冠らされていた。ドラマや映画でしか観た事の無い世界だった。父が倒れたのは突然の事でもあった。その時だけは恨んでいた父の手を握り、何処かに居るかも知れない神に祈った。未だ何も話していない気がしていた。「困るよ...」と思った。
昔、実家に居た幼い頃、サラリーマンの父の “手帳” に何故だか憧れたものだ。毎年暮れから正月に書けての或る一日、父は旧いものから新しいものへ必要事項の “書き換え” をしていた。
ワタシは一時実家に帰宅し、父の机の前に立った。以前ワタシが使っていた武骨な木の机だった。一番上の引き出しを開けたら、其所にその年の年号が印字された “手帳” が在った。その場で手帳をパラパラとめくった。“父の手帳” は、幼い頃こっそり覗いたものとは違っていた。遥かに余白が多く、文字が雑で大きく感じられた。後ろの方の横線メモ欄にポツンと1ページ、何かが羅列して記されていた。本や映画の題名かと思われたが、全てワタシの知識に無いコトバだった。
その中に『サシバの輪舞』と書いてあった。サシバも漢字で書いてあり、部首に鳥の字が見れた。“輪舞” と共に、上にルビが記してあった。そこでやっと、“サシバ” とは猛禽の一種、鳥の名称である事、そして “ロンド” の意味も、字を見てなんとなく理解した。とたんに、空高くいつまでも旋回するトンビの図を思い浮かべた。
後日父に尋ねたところ、手帳の羅列は何かの題名ではなく、“思いつき” ーとのことだった。
父が昏睡状態の際、ワタシがベッドの横に居た短い時間の中、うわ言でハッキリ聞き取れたのは其のコトバだけだった。たしかに聴いた父のソレは、理屈抜きでこの脳味噌か胸か、兎に角ワタシの身体の何処かに残ってしまった。以降何度も繰り返し思い出される内に、ワタシの中では “父=サシバの輪舞=永遠の孤独=裸の王様=つまりはワタシ自身” の様な、変な構図に固まってしまった。


人が別の暮らしや職業や容姿につい憧れるのは、心の迷いとしては仕方の無い事だろう。“ココでは無い何処かー” に想いを馳せてしまうのは、遊牧民族の血を引いてはいなくとも自然なことかも知れない。そして、誰もが先ずは中庸や平均を狙い、世間一般等という曖昧な尺度で作り上げた “平均” なるものと、似た様な生活体系や似た様な年齢毎の過ごし方に、憧れたり目標とするのは、国民気質や世の流れとしても仕方の無い事かも知れない。
だが併し、アナタが自ら影響を受けたくて “選んでそうしている” のではなく、尚かつ敷かれたレールばかりを歩いて来なかったアナタが、人生の途中に何があったとて、無かったとて、その度にいちいち “揺れ惑う” としたら、その理由は何故だろう? 
きっと...己が生きる上での受け売りではない血肉で得た価値観や感覚、活かすべき己の特徴、その “焦点” を見失っているからではないだろうか?
やはり「何の為にここまで生きて来たの?」「さんざん旅して曲りくねって来たのは何故?」と自らが、静かに問えば解る筈だ。解る?解るような気がする、そんな時もあるだろう...(とことん弱気。)

ワタシの父は結婚や子の出産や、要は家庭生活の安定の為に絵筆を折った人だ。30手前から建築設計を職とし、毎夜遅く迄残業のサラリーマンであった。つまりワタシ達家族の為に懸命に働いた。そのおかげでワタシも高校までは行かせていただいた。併し父自身の人生としては、己がやりたいこと、やっていたこと、やるべきかも知れなかったこと、いずれにせよ “本人が断念し方向転換した” のだ。誰に何を懇願されようが、どんな約束をしようが、皆、自分の意志でそうしたりしなかったりするのだ。誰もが、誰のせいにも出来ない “自分の道” を歩いている。その意識を持たなければヒトは誰でも弱いから、いじけたり、八つ当たりしたり、刹那的になったり、怠惰になったりしがちだ。大人とはもしかすると、そのコントロールが出来る者を指すのだとも思うのだが。(ちなみにワタシは直ぐ怠惰に流される、そのコントロールが下手で困る)
にも関わらず、父のストレスは相当だったにせよ、家族に当たり散らして良い訳は無いだろう。外でどんなに大変な思いをしながら我慢して働いていようが、全ては己の選んだ道、望んだ幸せへの “道の途中” な筈だ。家庭内で威張り散らしたり、暴力を振るったり、ムスッと黙りこくって寡黙なオトコとして君臨し、周囲の家族は腫れ物に触る様に怯えている等ということは全く可笑しな話である。“男性上位は “時代の流れ” 上、当時は仕方無い〜” 等という言い訳は絶対にきかない筈。その解釈は、いつ耳にしても好ましく思えない。いつどんな時代どんな場所に於いても、芯の在る者(本来アタリマエの孤独を意識する者)は、 “優しさという静かな強さ” を持つと思う。それは目には見えにくいだろう。逆に、どんなに言動や外見が強くても、芯が弱い者はいつの時代の何処に居たって弱く、威張って自分を大きく魅せようと虚栄心に溺れ、大声を出したり、力の行使に出たりすんだと思う。
幸せになりたくて築いた家庭が、皆にとって安らげない場所になってしまうなんてのは、それこそ本末転倒でしかない。誰も誰かの為に核心を変えたり、変えさせたりして、丸く納まり続ける事は無い。ヒトは弱い癖に理想だけは掲げる愚かなイキモノだ。焦点” を見失えば、闇に迷い込むだろう。闇は迷い込めばどんどん深くなる底なし沼だ。世間や社会や、家族や、そして自分自身とも、どうにか “折り合い” つけてギリギリ進んでゆけたら良いのだろうけど、“折り合い” の付け方も時代や相手の変化で、時に変わりゆく流動的なものでしかないのかも知れない。“柔軟” であるべき部分と、ぶれてはならない “焦点”。言わば柔と硬みたいなもののバランスだろうか... 。好きな相手と1対1ならば、互いの意識の影響し合いも幸せの一つの筈であり、本来楽しい営みの筈だ。自分を全く変えたく無くて、譲れぬ理想ばかりを掲げるならば、それこそ誰とも付き合う器は無いだろう。焦点は各々自分に一つ、互いの間に一つ位で、あとはどうにでも〜の方が進んでゆけるだろう。


話を戻すがーやはりワタシは猛禽には憧れない。イメージとして凛とした姿、どこか理知的で勇ましく、カッコよく見えてしまう生き物だが...自分とは似ても似つかないからこそ、あまりに良く見えてしまう場合もあると思ったりする。あまりに良く見えた時は、その影を疑ってみた方がいい。より大きな闇を抱えていたりする。
ワタシはやはり深い海の底の魚か、雲の上の山岳地帯の山羊がいい。静かな場所な気がする。其所では風が強くても、流れが激しくても、ニンゲン界で息苦しく感じている五月蝿さに対しては無縁の “静けさ” に包まれている時間が存在するだろうから。
そして正直、“つがい” で居たい。食べて、寝て、交尾してを繰り返す生き物達が “種の保存” のみに生きようが、彼等の辞書に “依存” は無く、“潔さ” に満ちている。みな己が生きるのに必死だろう。岩山羊など急斜面の崖で苔や草を食む日々は、正に背水の陣で、“潔さ” の極みだ。
ところで初めから “依存” や、幸せの “計算” 等という尺度を持つニンゲン様に、深い “生きる悦び” など在るのだろうか...大体、多くのヒトが似た幸せを考えたり望んだり、なんでこうも平均値を求めるのだ?似た様な暮らしぶりを求めるのだ?似た様な家庭で育ってしまうからか?やはりワタシの方が、似ていないおかしな家庭で育ったということか...。つくづく他人と価値観が異なると思う。言葉で合ったとしても所詮は言葉上での事。実際は世間や常識等という曖昧な秤に乗せた “幸せのカタチ” を求めていたりする。


山羊も、雷鳥も、深海魚も、“つがい” は実に仲がいいそうだ。
生き物の中には、どちらかが死んでしまったらつられて後を追う様に死んでしまったり、何も食べず、要は断食の状態に入り、自ら死んでしまったりする種もあるそうだ。なんて美しい話なんだろうかと、溜め息が出る。

そんなつもりは無いのだけど、やっぱりワタシは変だろうか? 頭おかしいかな...もうワカラナイ。でも、たまには思いつきで気の向くままつらつら書く事で、多少は落ち着いたかも知れない。
けれど、これをアップすれば後に残る訳だ。どうしよう? 断っておくけれど、これは “今夜この瞬間のワタシ” だ。世界にひとりぼっちみたいな気分に苛まれて、もがいている。(「藻書いている」といった感じか...ワケワカランか?)
なのに、“つがい” がどうのこうの...書いている。まだ求めている。ナイモノネダリって奴か...寂しい奴だ。諦め切れないのは未だ若い証拠か...寂聴さんを羨ましいとは思えないのだ。
寂しい夜だ。財布も、そして心迄も。実に寂しい。存在が。希薄だ。

それを認める。
もう、認めざるを得ない。
誰からも、本当に必要とされてはいない自分...

格好良く「全然平気、平気〜」なんて、ここでまで言いたくない。平気じゃない。

されどー寝なきゃ起きなきゃ、だな。明日の為に?



参った。








      
       (今夜の脳内ミュージック/THE ROLLING STONES "Wild Horses" )


何処迄も続きそうな道.jpg






57. アリス,コウモリ,歩道橋etc... [日々雑感『本日もまた混沌と』]

気が向いたので、久しぶりの1句点への小旅に出ようと思う。
『29. 鶏、シンプル、悪あがきetc...』以来のことだ。
羅列その他に何の意味も無く、唯、夏の夜の今この生温い夜風がそうさせるのだ。


 一昨日のこと地元駅からの帰路、遠回りの道を選んだところ、お気に入りの歩道橋に差し掛かると、その手前で「プチっ」と何か黒く小さなモノが足下に転がり出たので「何だろう?」と思い見つめたところ、その小さく丸いアゲハチョウの幼虫の糞みたいな物体は実はホウセンカの種であり、「ありゃ、これは懐かしい...」と思い、訳も無く夢中になって落ちている種から未だ弾け飛んでいない種から拾い、摘み、集めていたところ、すれ違うオバハンやスポーツバック下げた日焼けした夏の高校生に「このヒトは何やっとんじゃ?」って感じにジロリ見られ、併しそんな「お他人様の視線はどうでも良いのだ〜」とばかりに夢中になっていたところ、ふと「一体こんなに集めてどうすんの?」と急に思案し出してしまい、強いては丸まるとカタチの良い種だけを残して不格好な痩せた種はポイポイとその花株の足元に投げ散らして帰り、アパートに着くやいなや忘れぬうちにとばかり空っぽのジャム瓶にコロコロと入れたところ、「なんてシンプルで、複雑で、可愛くて、奇麗なんだろう...」と昔イロイロな植物の種を並べその生長を想像していた時代があったことを思い出し、しばしそのアゲハチョウの幼虫の糞の様な唯の黒く丸い粒ツブに見とれるも、現在のところく予定ナシ。


 数日前、春休み以来4ヶ月半ぶりに魔の中学2年生の娘の穂子が上京の際、いつも通り一度は小競り合いがあるも険悪な空気は超早期決着をみせ、それはお互いに遠く離れて別々に暮らしす中で時間の貴重さ?を思い知る様な体験をしてきた結果なのか、他にも否が応でも子の成長の著しさ痛感し、他にもイロイロと教わる事も多く「え...マジ?」と焦って言葉が直ぐ出ない話も多く、併しアレコレと心配したところで自分はひたすら無力な血統上で確かな父親なだけであり、それでも一年に2回はこうして自分を慕ってはるばる一人で訪ねて来てくれる彼女と、一緒に作った大した事無い食事を「結構美味しいじゃん!」等と向かい合ってモグモグ食べる唯それだけのアタリマエの事が、こんなにも貴重で愛しいことだとは、昔の自分はまるでまるで想像出来なかったことを改めて痛感せざるを得ず、 新宿駅ホームでスーパーあずさ23号見送る際に娘が窓越しに携帯に打った「うぉ〜、あぃ、にぃ。」の文字を見て照れ笑いするも結局夕陽輝く中、遠く見えなくなる列車を見ながら涙が溢れ出す滅法 “見送り後に弱い” ワタシだったが、アパートへ帰ってから「何かおかしい...?」と気になり先日既に一緒に観た『花とアリス』のその台詞箇所再度観たところ「ふぉ〜、あぃ、にぃ。」だったので「アレな、“うぉ〜” じゃなくて “ふぉ〜” だよん!」なんてついついメール送るも、そんなバカ親には娘から丸二日間反応ナシ。


 昨日の夕方のこと無性にグダグダに汗がかきたくなり、本当は誰か心許せるオンナのヒトとまさぐり合ってグダグタになってみたいものなのだが、そんな予定は未定なので「ココは光が丘公園に遠出早歩きだっ!」とばかりに歩き出し、訳も無くひたすら広大な公園内を冬眠から目覚めた熊の様にウロウロスタスタ歩き回っていたところ、どこもかしこも盆休みを過ごすファミリーとカップルだらけ、この辺りならと一度芝生に座ろうと思いきや近くの物体はまさぐりあっているいい歳したダンジョであり、申し訳ない様な「いやはや参ったな...」という焦り顔で退散し、その後もひたすら "黙々と歩くオトコ" を実行していたところタイミング良く?或る気心の知れたヒトから電話があり、夕闇に折れ線で群れ飛ぶコウモリを眺めながらフンフンと聴き入っていたところ、気が付けばすっかり陽も落ちて辺りは足下すら良く見えない闇となり、不安を抱えたまま闇雲に歩き出すも帰路とは逆方向に歩いていた始末、何度も立て看板の案内を見直しやっとこさ小一時間前に歩き出した入り口に辿り着く迄、No Way Out状態にあたふたする七分ズボン(死語か?)の中年のワタシ哀し。


 本日アルコールが足りなくて急ぎ買いに走った24時間SEIYUの帰路、お気に入りの歩道橋から見える空は狭く、その狭い空にたなびく夏の雲は夕陽のオレンジを映して下端から燃え出しているみたいで、ふと高架下のレンガ造りの通路から蓋をした乳母車を押した老婆とそれに続いてミニスカートにタンクトップの20代前半とおぼしき女が歩き出て来て、同じ信号で横に並んで立つのを煙草をくゆらせながら上空から眺めていたところ、その近くに建つ街灯が路面に照らす白く丸い灯りの中で1匹の蝉が逆さまになったままグルグルと廻りながら時折「ジジッ、ジジッ、」と鳴き声を上げてもがいていたが、駅からの緩やかな坂の延長を勢い良く走って来た若い男の自転車のタイヤにブシャッと潰され、その蝉の「ジッ!」と言う断末魔の叫びにミニスカートの若い女が驚いて振り返るも老婆は微動だにせず、直に信号は青に変わりパコンパコンとだらしの無いサンダル音響かせ若い女は闊歩し出し、遅れて老婆は「そんなペースじゃ信号が赤に変わっちゃうぞ...」と心配になるくらいのスローモーションペースで道を渡り出したのを、電柱の陰に姿が見えなくなる迄見届けてからワタシは歩道橋を降り、白く丸い灯りの中でペッちゃんこになったスカスカのアブラゼミをつまみ上げてから直ぐ側のホウセンカの株の中に放り投げて帰った。





       (今夜の脳内ミュージック/DAVID BOWIE "Ashes To Ashes" )

湖畔でチェロ弾く男/寺山修司資料より(一部転載).jpg

43. 散歩の橋 [日々雑感『本日もまた混沌と』]

今、散歩から帰って来た。ほんの25分位の散歩。
寝付けなくて、ふと歩きたくなった。
最近は用事で遠出しない日は2キロ程散歩している。
きっかけは瑠璃子さんのブログ日記『ごきげんいかがワン・ツー・スリー』の“長距離走者の至福”を読んで、素直に感化されたからでもある。
体重が増えるとその分だけ確実に、痛めた腰や膝への負担も大きくなると解っているので予防も兼ねて。
そしてこの苦手な季節からの気分転換が一番の理由だ。
ついこの間まで、否、過去のジンセイであれ程ジョギングやウォーキングを馬鹿にして、というか試みる気持ちが湧かなかったのに...
兎にも角にも、とりあえずワタシは始めた。
初めて11日程。ははは。未だそんなもの。
一回さぼって、一回大雨で中止。だから未だ9回程しかしていない。一体いつまで続くだろうか?
何に関しても、もう気負えないワタシみたいだから、コレも又さぼったり復活したりだろうな...
「コレデイイノダ〜!」
いずれにしてもこれはウォーキングでもジョギングでもない訳で。あくまで “散歩” である。
時に早足、時に蝸牛の歩。自由な、あくまで “散歩” って訳で。ここ無駄にこだわります!(馬鹿だねワタシ)

身体の気付かぬ冷えは “万病の元” と痛い程知っているので、未だ機械に依る除湿も我慢しているのだがー 
全くこの部屋は袋小路の一階角部屋だからこんな夜は風が抜けない。窓はトイレ含め5つも在るのに、立地条件で、風通りが悪いのだ。風通りが悪いから窓を増やしたのか?まあ、どっちでもいいか?否、そうに決まっている。
このアパートは大工でもある近所に住む大家が自ら建てたそうだから。ちゃんと考えて建てたのだ。
一般的に最近の建築ではこの構造でこんなに窓は増やさない。防犯の問題ももあるし、阪神淡路大震災以降はとにかく一般住宅の建築基準は地震対策を一番に考える様になっている訳だから。
このアパートかなり古いしね。まあ、だから住んだのだけど。だってその分だけ広くて安いし。そんでもって窓が多い!(笑)まあ、30年位前に、大家が丁寧に自由に作ったんだな。今時見かけないもん、こんなへんな間取りのアパート。


とにかくこんな夜は歩いて歩いて汗をかき、あとでサッと温いシャワーでも浴びて一杯あおって寝ちまうしか道はない。ワタシはそう思って夜の散歩に出た。

お気に入りのコースは大した事は無い。少しでも植物等を身近に感じられる、住宅街と街道を混ぜた2キロ位。
先ず、閑静な住宅街を折れ曲がって一端広いK街道に出て、いつだって何となく排気ガスに息を潜める様にして、あとはM通りを北上するのだが、その途中でT上線の線路を跨ぐカタチで "大きな橋の様な景色" に差しかかる。
ワタシはそこが何となく好きなので今日もしばし足を停めた。
都心部へは線路はカーブを描き、両サイドの際までびっしり建ち並んだ住宅の壁もカーブを描き、よって遠くの景色は望めない。反対側は方角としては西北となるのだろうか、秩父方面へ向かう線路は結構真っすぐ伸びているので、遠くの景色が望める。空気の澄んだ寒い季節は、かすかに遠くの山並みも見える様な気がした。
橋状の街道の終わる所、その付け根には樹齢何十年だろうか、割と立派なソメイヨシノと深紅の八重桜が生えていて、今年もちゃんと時期をずらして咲き誇っていた。
毎春ここで一服灯けながら軽く花見とばかりに見上げていた際に、ニンゲンにすれ違った記憶はあまりない。それだけワタシが夢中に桜に見惚れていた訳ではなく、この街道のバイパスの様な迂回路が橋の下方にあり、車の通りはそちらの方が少ないものだから、大体のヒトがそっちの道を歩くのだった。
ここでの花見はいつだって特等席、独占権は無料。唯、車道を行き交う車の排気ガスだけが難点ではあったが。

先程、そのお気に入り場所から静かな風景を見ていた。
山側へ2本の線路がずーっと伸びていて、夜の闇に(遠近法でいう処の)消失点は紛れ込んでいた。
もう終電も過ぎた筈なのに、遠くで幾本かの信号機だろうか、赤いランプが光っているのが見えた。背中側の車道を、タクシーが2台続けてT平方面へ通り過ぎた。
ふと斜め下、前方距離にして20メートル程先に、何かが線路上で動くのが見えた。
眼鏡はしていなかったので、0.6程度の視力で懸命に焦点を合わすと、それは白っぽい痩せた猫で。
いつ何処から渡ってきたのか、奴は下り側の2本の線路の真ん中で自分の背中を見返す姿勢で、一生懸命に舌で毛繕いしている様子だった。ノミでもいて痒いのか、がぶがぶと噛むような動作もしていた。
聴こえないかとも思ったが、癖でつい口をつぼめて「テュッ×3」と舌を鳴らして合図を送ると、奴は直ぐに気がついてしばし毛繕いを中断しコチラをじっと眺めていた。
橋の上のワタシと線路上の白猫は、時間にしたらほんの10秒程だろうか。お互いに黙って見つめ合っていた。
見つめ合っていたら、何処かからヒトの声が聴こえて来た。
何処かの家の男女が大声で言い争いを始めたらしい。と同時にN駅方面から、酔っぱらいがいい気分で歌う「川の流れの様に〜♬」も聴こえてきた。
目線を外した隙に、線路の上から白猫は居なくなっていた。
急いで辺りを見渡すと、白猫がゆっくりと左側の住宅の壁の抜け道に消えてゆくのが、左目の視界の端辺りに見てとれた。

仕方無いからワタシも帰る事にした。
かいた汗は、殆ど乾いていた。
相変わらず風は無く空気は淀んだままで、でも多少気温が下がった様な気がした。
アパートに着き玄関を開けると、空気がモワッと妙に熱く感じられた。
シャワーを浴びてから、この頁を書き出した。



           (今夜の脳内ミュージック/STEVE EARLE "Taneytown" )

DAVID SYLVIAN ジャケ一部.jpg


42. ネチョ&スーのブルース [日々雑感『本日もまた混沌と』]

もう一人のGemini、マダムギター・ジュンはいい味(否、いい音)出してる。

今夜も彼女のブルースが泣いている。

路地裏で 目やにを溜めた痩せネコも、

届け先を忘れて 赤い目をしてる伝書鳩も、

ベルトの穴を気にしてる 昔少年今OYAZIも、

生活感なんか否定限定の 元の顔を忘れたオネエちゃんも、

みんな、みんな何処かで、コッソリ聴き耳を立てているものさ。

何処からか風に運ばれて、ブルースが聴こえて来るのを待ってる。

君のお父さんも、きっと何処かで聴いている。


マダムの歌を女のブルースと呼んじゃあ、ちと違うか。

“ストレンジ・フルーツ” ってのも、こりゃ又かなり違ってくるか。

でもビリーのBはブルースのBだろ? 違うかい?俺にはそう聴こえるよ。

第一さ、なまえにホリディが付いちゃってるし。

彼女のLIFEにはさ、ホリディはあったんだろうか...

星に成った どんと なら知っているね。あの、鼻にかかった少し高めのくぐもった声で

「歌ってる最中には、時には在ったんじゃないのかなあ〜」って言うかな?

どんと、今頃は清志郎とジャムってるだろか?KeyはDあたりで。フフ...

いや彼等はとっくに歌って遊んだ後、魚釣りでもしてるだろうね。「さかなごっこ」しようぜって。

きっとそうさ。並んで麦わら帽子なんか冠ってさ。

高い雲の上から釣り糸垂らしてさ。

「どんとくん、向こうの方が釣れるんじゃないかぁ?」

なんてボスは何度も言うのさ。

なのに、ずっと同じ場所に座り込んでるのさ。「一向に釣れないねキミ!」なんて言いながら。

「お、あすこに見ゆるはキース・リチャーズ君じゃないか? お〜いキース君っ!一緒に釣りでもしないかいっ?!早く来いよぉ〜」

なんて呼びかけたりしてさ。


でも...やっぱり俺はまだ釣られたくないな。

何にもやり遂げてないからね。



“桃栗三年柿八年、なるかならぬか柿の実よ、なるもならぬも世の常ならん、もちつモタれつ・・・”(『みおろすだぁけ』長見順ブログより拝借)

上手いっ!マダムさすが。幾多の夜を越えて来たね?「お〜い山田君、座布団一枚やっとくれっ。」ってか?

いいねえ〜。羨ましいよ。“円満”。まことのCIRCLE。

「他人を羨んじゃいけねえよ」って寅さんに教わってきたけどさ、

マダムにゃ素直に「ウラヤマシイぜ」って言っちまいたい。

許せ皆の衆。今夜ここだけさ。今、甘えてみたんだ俺。へへ。

ヒトに触れるとさ、なし崩しに壊れてしまいそうなんだ...

守るものなんか何も無いのにね。


メンソレータムからタイガーバームか...

ママからヒトリダチしたかったんだろ?よく解るぜ、その浮気。

オイラも昔は何度か夜間飛行してみたぜ。墜落の歴史だな。星の王子ってやつよ。

オイラの肌もぴちぴちしてた。でもこめかみはぴきぴきしてた。いっつも何かに苛立ってた。

タイガーバームはあの頃、むげん堂に居た舞踏家Sさんから教わったんだった。

元気かなSさん...

 

マダム。話は戻るけどさー

忘れちゃいけないのはさ、ヴィックス・ウ゛ェポラップにも随分世話になったってことじゃない?

え?そうゆうことじゃないか...(苦笑)

でもさ。ありゃ、CM通りに胸に塗るとベタベタになっちまって大変なんだよ。

けっこうキモチワルイんだな。

調子悪い時に塗るんだから、もう一度風呂に入る気は引けるし、

だからって蒸しタオルなんかで拭いたって、キモチワルサは残るし。

大体、タオルがネチョネチョになっちまうんだ。

他のと「一緒に洗濯機に入れないで!」なんて言われちまう。

アレ言われた時の“悲しい気持ち”は、言われたヒトにしか解んないね。


俺けっこう大問題だったのかな〜この問題...でもさ、作業服どころか靴下も別だぜ〜!(苦笑&泣笑)

頭じゃ解るけどさっ。

外仕事だしさ、大鋸屑だらけだったしさ、土付いたりしてるしさ。解るんだよ頭じゃさ...

でも“あんまり汚れてない日”ってのもあるんだぜ? あるだろ? 誰でもあるだろ〜!

初めなんか、よく「アンタいい匂いがする。」なんて言ってたのによ〜!(お、ノロけか?)

それ言ったら「洗濯物は別ですっ」と来たもんダ。

ココロじゃ“この結婚は間違えたか”って思わざるを得ず、ってか?(笑ってね)

後々になって当人も同じこと言っていたけどね。(やっぱり笑ってね)

やっぱりかみさんはカミサンで、カミサマだったってことか〜!

ねえマダム。“円満” とはそこがポイントだったのですか?

ねえマダム。僕のあの麦わら帽子、何処へ行ってしまったのでしょうか?

ねえマダムそろそろ霧積峠です。僕は今、どうやら峠の手前にさしかかった様です...

あ〜、コレ通じる世代のヒトにしかオイラの味は、わっかんねえだろーなぁ〜(ここ松鶴家千とせネ。イェ〜イっ!)


でもさ〜マダム。洗濯機はキレイにする機械だよね〜!?(まだ言ってる)

でもよ〜マダム。我々の幼い頃と違って、全自動洗濯機なんだぜ〜!!(まだ言ってる)(からんでるんだね)


子供の頃、俺んち脱水機が無かったのかな...洗濯機の横についてる麺棒二つ重ねた様なローラーで、母親が「ヨイショ、コラショ、」ってかけ声掛けながら濡れた服を搾ってたよ。手伝わされたの覚えてるもの。

他所の家では見なかったな、そんな代物。物を大切にする家だったからね。ただ単に貧しかったってことか...

「アンタのズボンが一番大変だわ」って、よく母親は嘆いてた。“嘆きのヒト”だったからね。

あ〜もしかもしか、今俺も嘆きのヒト?参ったな... でもさ、今さマダムと呑んでるつもりなんだからさ〜許しておくれよっ。

んでもさ、“ズボン” って言い方も凄いね。もう死語なんかな?チョッキとかさ。俺つい言っちゃうけどね(笑)

あ、話全然違う方向行っちゃった...


やっぱりマダム。ヴィックス・ウ゛ェポラップ効果だけどさ。(お?その話かい?)

気がつくと鼻は通ってるんだな。やったぜ!って感じ?

やっぱし、鼻は通ってなきゃいけないぜ。

オトコも女も衆生皆、鼻毛を気にする小心より、“鼻通り”を気にしようぜ。匂いって大切よ。

鼻毛もアソコの毛も、人それぞれよ。だってしゃあないでしょが!意味があって生えてんだから。

毛の好きな様にさせてあげなさい!

あ、又全然違う方向行っちゃった...


おお?そう言やぁ、いつの間にやらー

針葉樹の花粉も飛ぶのを辞めたね。梅雨入ったもんね。

でも、いつからオイラの鼻は通っていたんだい?

コリャありがてえ。“スースー現象”って奴かぇ。

こちとら鼻も懐も、ついでにココロって奴もスースーよ。

風が吹いてるぜ、風が。



そこの影と日向の間によ、

各々の足跡と余白の間によ。




             (今夜の脳内ミュージック/JOAN OSBORNE  "Dracula Moon" )


FLOWER OF SCREAM/自作オブジェ一部.jpg



39. ジョゼ? [日々雑感『本日もまた混沌と』]

 
 「応答願います、応答願います。」

・・・・・。

 「どうされたんですか?」

う〜ん。一応話しておくか。ちょっと下品風味で。それでもいい?

 「なんでもいいから、話して下さい!」

あのさ、書きたい事は止め処無くあるしさ、気持ちもあるんだけどさ、なんつーかさ....
まあ、書けないって訳! それは結局、書かないって事実な訳!
本当はね、ココ数日は、何度か試みたりもしてたんだよ。時間が全く無い訳じゃないからね。
タイトルは決定していて、中身も書きかけのも幾つかあるにはあるんだよ。
このブログにはリアルタイムの溜め息や情報は即座には書かないしさ。
いずれにせよ、書いてないっつう訳。

 「そうなんですかあ?」

そんなんですかあ、って何さ? かあ、って語尾上げんなよ。かあ、って。

 「・・・」

ま、いいけどさっ。
でもさ、ジンセイはハプニングがつきものだろ?良きにつけ悪しきにつけ、さ。
まあ、良きとか悪しきとか、白とか黒とか、俺ニャア何にも判らないけどね。
とにかく見方変えりゃ、ハプニングだらけさ。
自分の行動も感覚や感情も、それすら何にも予想つかないしね。
他人の反応も、ましてや心なんて得体の知れんもんは、何も予想つかんし、信じられん。
この何年でそんなん成っちまってたって、今更気がついた。それも又ハプニングな訳よ。
ワタシ、ナンニモ、ワカリマセンデスネ〜って感じ。
そうそう、“一寸先は闇” ともいえば、その又逆も “何とか何とか” っていうだろ?

 「話がよく解らないのですが...」

解るわけないじゃん。書いてる本人がいつだって解ってないんだから。
だから、解ろうとするのがマチガイの元だって言ってるじゃん。
感じてくれりゃいいのよ。誰にとっても。

 「でも〜。 “何とか何とか” じゃ、全然判りませんよ〜」

俺だって今思いつかないんだよ〜
コトワザや格言には必ず逆が用意されてるだろ?
何とか思い出して、適当にはめといてくれよ。

 「はめといて、って...」

ん?

 「それで、そのハプニングでどうされたんですか?」

どうもこうもしないよ、出来ないよ!
享受してんだよ、流れに身を任せてるんだよ!

 「あっ、もしかして今、切れたんですか? マジ、ぶち切れ? ジュンさんも切れるんですか?」

バカ言っちゃあいけないよ。
オイラなんざ、いつだって糸の切れた蛸みたいなもんよ。(あ、ここ寅さん調にね。)
切り裂きジャック程じゃないが、刃物全般にゃちとウルサいぜ。
“ちと” な。(あ、ここ小林旭調にね。声高いんだけどね。具志堅ほどでもナイけどさ。笑)

 「あ、今日はオイラなんですね?」
 「あ、それから蛸じゃなくて、凧だと思うんですけど〜」

馬鹿者め。解ってて書いとんじゃ。
なんだったら解説してしんぜようか?いや、やだね。辞めた。
絵を浮かべなさい、絵を。

 「あ、絵とか解んないんです。描けないし〜」

だから言ってるだろが。“解る” わけないじゃんか!
頭で描いてある絵なら別かも知れないけどさ〜そうじゃないトコロで描いてあったら、そうじゃないトコロを開いて “感じ” なきゃ。写楽保介みたいにさ。
ま、いきなりじゃ無理だけどね。

 「は〜?」

絵だけ前にして思いっきし “感じよう” としたって、そんなのおかしいって話。
音にも、風にも、花にも、猫にも、海・山・川にも、ヒトにも、同じ姿勢で向かえばいいんじゃないかって話。
開けヘソのごま!みたいな。自分からね。特に大切な相手なら余計ね。

 「アラ? 以前のお話の続きですか?」

悪いかい?覚えてないけどさっ。
あと “描けない” んじゃなくて、それは “描いていない” だけね。描きたけりゃ、描きゃいいんだよ!
そうだろ?俺。

 「は?誰に話しかけているんですか?」

何でもないよっ。

 「失礼しました...」(そそくさと)
 「あの、本日は有り難うございましたっ!」(気を取り直して)

 「代わりに...」(トーン落として)

何?代わりに何?

 「この世で一番エッチなことしてもええよ。」(低めのずるずる口調で)

お、オマエはジョゼか!?




あ、でも... 
 
ええの?



       
               (今夜の脳内ミュージック/BUTTERFLY BOUCHER "Drift On" )


骨/MASTICAジャケ一部.jpg

38. カンジルの薦め [日々雑感『本日もまた混沌と』]

 AさんがBさんのことを語っても、それは、Bさんのことではない。Aさんは気づかないかも知れないけれど、実は、Bさんという鏡に映ったAさん自身の姿なのだ。 「ビートルズ入門」を読んでビートルズがわかるはずはないように、「フロイト入門」を読んでフロイトがわかった気になってはいけないように。新聞や雑誌やインターネットの中での書き込みもそうだ。褒め言葉も悪口も、うのみにしてはいけない。批評も評論も評伝もインタビュー記事も追悼記もそれらはすべて、書かれた人のことではなく、書いた人の作品なのだ。よく知っている分野については、「それは違う」と判断できるけれど、知らない分野については、つい「そうなのか」と信じがちだ。 美味しいお店や温泉紹介もあてにならない場合がある。たとえば、あなたの一番身近にいる親や兄弟や友だちが、あなたについて何か語った時、本当に当たっているだろうか。ましてや、見知らぬ人があなたのことをわかるわけがない。自分でさえ自分をわからないのに。 このことについて、「批評家は何を生み出しているのでしょうか」という歌まで僕は作ってしまった。しかし、まだ言い足りなくて繰り返している。「知る者は言わず、言う者は知らず」という老子の言葉で十分なのに。

                                                                                 *

 今回はいつもと一風変わった趣向?です。多少なり緊迫感?も味わっていただき、お楽しみいただけたら候。
 タイトルの “カンジル” ですが、べつに、缶の中に残った食物の汁とか、惜しくも亡くなられた漫画家 “ねこじる” さんの関係ではありません。あくまでFEELのカンジルであります。
 先ず初めに一言おことわりしておきたいと思います。ワタシには、ブログの或る読者の方1個人に向けて丁寧なお返事を書く能力が足りません。冒頭の文章は、歌手・早川義夫氏のHP内のコラムから勝手に抜粋させていただきました。ワタシが書く文章よりずっと解りやすくて、常日頃ワタシも思ったりしている事を、実に簡潔におっしゃられていると思ったので引用させていただきました。早川氏の書かれる通り、ワタシも又、ある方からの感情的な御意見や執拗な執着を “うのみ” にしてもいません。今回はそんな小さなハプニングよりも、この場をお借りして、常日頃感じて来た事の一端をワタシなりにお話したいと思います。
(尚、無断拝借という詐欺的行為のお詫びにと言っては何ですが、次回は是非とも氏の著作『たましいの場所』について、ワタシから勝手にレビューを書かせていただきたいと思っております。)

 さて「知る者は言わず、言う者は知らず」という老子の言葉ですが・・・ワタシも又、あーだこーだブツクサブツクサ呟いているのは、何も知らないからであります。何も、何一つ解っちゃあ居ないからであります。そんな事あ、解っちゃいます。
 唯、知らないから、解らないから、暗中模索の旅の途中に、あくまで自身のために一寸コトバというカタチにしてみている、だけであります。出してみて「ちがうかな?」とか「やっぱそうかな?」とか「まあいいか...」とか、まるで自分のウンコを観察(あっ、そうゆう趣味はありませんので!あ、違う趣味はあるかも知れませんが...)しているのと一緒な訳であります。読んで下さる皆様は、上記の早川氏のおっしゃられる「作品」という意味を、重々承知で「いちいち教えてもらんでも承知だわい!」といったオトナの方ばかりだと存じ上げます。否、期待しております。(ん、言い回しなんかへん?)
 ですから、こんなウンコも又、或る意味では作品なのです。どうぞ優しいお頭で、否、お心で御見守り下さい。
あまり心ない大騒ぎをされますと、お体に障るかと... そもそも意志が弱く、気分屋の躁鬱気質で、「ネコになりたい」等と平気で思っておるワタシなどは、直ぐにいじけてしまい、休眠してしまいます。「もりのくまさん」だって今は既に活発に動いている季節ですから、ワタシもまだまだ冬眠には早いのですから。

 とどのつまりは、シリアイになりたいならなりたい、仲良くしたいならしたい、誰もがもっとストレートにいくべきだと思います。各々違う様で皆似た様な処もありますが、似ている様で、やはり皆違うのです。人生は大いなる恥書きです。自分を開かずに何が始まると云うのでしょうか
 口頭であれ、筆記であれ、打ち込み文字であれ、ワタシが聞きたい知りたい出逢いたいのは、いつどんな時だって、アナタ自身の熱の入ったコトバです。「熱くなって!」とお願いしている訳じゃありません。これ以上取り乱されても困る、ってもんです。一見静かな、されど熱い熱ってのも、オトナのアナタなら経験済みでしょうが?未経験ですか?ワタシはそんな行為が欲しいのです。過剰な演出は要りません。
 カンジョウ的な御方とメールバトル?やり合う暇が有るくらいなら、ワタシゃギターをポロポロしてるか、酒でも呑みながら落書き書いたりDVD観たり、饅頭でも齧っておった方がいくらかマシってもんでございます。あ、そうそう、布団の中で縺れ合ったりも好きでございますが、何ぶん今は相手をしてくれる方が居ないものですから...あ、そうゆう話じゃありませんでしたね。失礼しました。
 情報の箇所の間違いは教えて下されば感謝いたしますが、当人の意識としましては、唯の情報提供のつもりではありませぬ。リアルタイムの情報提供やコメントなら、懸命に展開されている方が沢山おられるではないですか?当ブログなんざ「ワタシによるワタシの為の〜」でしかないのですからして。でありますからして、ワタシのコトバが何が言いたいか解りにくかろうが、長ったらしかろうが、思考にがんじがらめ(意味が判らんけどさ...)であろうが、「そんなの勝手だろうが!ホザけ、このアホンダラっ!」と思いつつも、気弱になってしまうのでした...。(なんか文章グチャグチャだね)
 それは至らないワタシのつたない文章ですから、寝かせても発酵し切らない未熟な点や塊も、多々あるやも知れません。しかし、そんなにアナタが短く解りやすい文章だけに触れていたいのなら、ワタシゃこう言いたくなってしまうのであります。
「電車内の吊り広告で週刊誌の見出しでも眺めて読んだ気になっていて下さい。見かけ倒しの刹那さん刹那君を相手に、過不足的に欲求不満の夜を彷徨っていて下さいネ。」(あ、いかん。取り乱してきたかも...  いいえ、乱したフリをしているだけです。)

 もとい、誰でも誰かを、何かを、頭で “解ろう” とするのが、(或る意味)多くの間違いの始まりだとワタシは常々思うのであります。
例えば、一枚の絵の前で、これは何が書いてあるだの、何でこれがココに書いてあるだのと、頭で理解しようと考えて絵を観ていたら、それはちっとも “楽しくはない” 生き方だと思いませんか?
ワタシは過去に何度か「これは何を描いてあるのですか?」とか「この絵は何を言いたいのでしょうか?」みたいな質問を受けた事があります。「お客様は神様であり悪魔でもある。」とかつて誰かが吐き捨てたコトバを聞いた時に「その通りだなあ。」と思えた冷めた処も元々持ち合わせておりましたので、そんな質問にいちいちムキにはなりませんでした。なりませんでしたが、相手の方によっては、ワタシは畏れ多くも次の様に話した記憶があります。
「ハテさて何を描こうとしたのでしょうか?よくは覚えておりません。ところでアナタは、何故この絵に多少なり関心を持たれたのでしょうか? 思うに、そこには明確な答えは無いと思うのです。アナタが今感じられた、それが今ここにおられますアナタのすべてではないのでしょうか。」
 全く生意気なワタシでございました。が、喜んで下さる希有な方もいらっしゃいました。大体の方は「何言ってんのコイツ?」って感じだったでしょうかね。当然食べてはいけなかったです。ハイ。
 そりゃワタシだって、初めにバックボーンや他方面からの情報ありきで余計に胸に染み入る作品に出逢ったという経験も、少なからずあります。まるで興味が無かった、むしろ或る意味で敬遠していたジャクソン・ポロックの絵画を、『ポロック(二人だけのアトリエ)』というエド・ハリス監督&主演の映画を観てからは、全然それまでと違った感覚を覚え、要は感動して画集まで買ってしまった様な、“単純バカ”な感動屋ですからして。併し然し、ここでヘコ理屈を述べている暇はございません。
 「じゃあ、どうすりゃいいのさ?」ハイ、答えは簡単です。“感じる” のです。唯、感じればいいのだと思います。いちいちその場で理路整然とした言語や何かに還元しなくても、アナタが其所で息をしている分だけ、たしかに何かを感じる “こゝろ” が有る筈です。自身が先ずソコと会話すべきではないでしょうか。ワタシはこれまでのジンセイで、もう争いは充分、懲り懲りなのです。そんな気分で居るのです。
 ここで喩え話を一つ。国や時代やすべてを超越して名曲として後世に残るであろうジョン・レノンの『イマジン』の“始まり”は、音的にはコードはCです。歌詞は「想像して」で始まります。しかしワタシはこう思うのです。この実はジョンとヨーコの合作でもあった歌『イマジン』自体の核心は、決して歌詞の中には書いてはないと思うのです。それこそは、アナタやワタシの “こゝろ” が  “感じる” こと、そのものだと思うのです。
 
 アナタは小説や詩のコトバを、辞書に載っている “言葉の意味” だけで味わってきたのですか? ならばアナタは「本は苦手」なんて平気で宣言しちゃってる人なんじゃないでしょうか? アナタは音楽を、コード理論や音符の展開やリズムの分析で味わってきたのですか? ならばアナタは楽譜に表せない、ライブならではの響きや、エモイワレヌ感覚に震えた経験がないのでしょうか?
 そうです。アナタの知っている情報のフルイにかけて、分析したり判断したり、そんな事アナタがしなくても、きっと何処かで評論を生業にしているコメンテーター達がやってくれている筈です。アナタは、アナタの、アナタだけの “こゝろ” って奴で、“感じる” 方が、ずっと楽しいです。
 きっとその方が、アナタが楽しいです。そしてワタシも、です。楽しさは波及します。静かな熱でも感染します。そうやって生きる楽しさを、何かしら繋げていくチャンスとして使わなければ、例えばこの様なインターネットも、道具としてワタシ達が使っている意味が無いのではないかと思うのです。あ、解りづらいですね?言い直します。ワタシはコトバも、ネットも、ギターも、絵の具も、鋸も、みんな道具として使いたいのです。使われたくは(振り回されたくは)ないのです。皆さんにも使われて(振り回されて)欲しくはないと思います。

 ワタシは自分のブログに対してのお願い、なんて意味で書いてはいないのです。こんな事を長々書けば、再び執着攻撃される可能性があるにも関わらず、結構意を決して書いているのであります。コイツ面倒臭い奴だなあ、と思われる事を承知で書いているのです。但し、シンプルなココロで向かってはいるつもりです。
 この社会の色んな場面にワタシなりに触れながら、過去通り過ぎながら、日頃「なんでかな〜」「寂しいのう〜」とか感じて来たその何かに対して、シンプルなスタンスで(乱暴に)物申しているーのであります。離れて暮らしているとはいえ、たった一人の我が娘が、これから、きっとワタシよりずっと長く、この世の中で生きてゆくのですから。ナサケナイワタシだって、いつだってそんな事も考えてしまうのです。ですから....ん〜何だか分かりませんが、とにかく書きたくなったんでした!
 そして先に書いた  “楽しい” とは、馬鹿みたいにぎゃあぎゃあ騒いだり、我を忘れてステージや、布団の中で、汗かきながら腰を振って踊っている時だけに得られる感覚とは違います。違うと思います。(一寸ここで笑って欲しいかな〜) 一瞬でも時を止めて、あんみつを味わうようなーそんな静かな楽しさも在る筈です。なんか変でしょうか?(あんみつなんてワタシも久しく食べてはいませんが、何かしらイロイロ入ってるって感じがしませんか?でもワタシはあんみつより、ところてんが大好きです。あ。そうゆう話じゃないですね。)まあ兎に角、そう思うんです。
  “感じる” っていっつも頂点までイかなくたっていいじゃないですか!? 色んな感じ方があるってもんで。

 アナタに告ぐ。各々方に告ぐ。そしてワタシ自身に告ぐー(あ、ココは拡声器を持ち出してるイメージだね) 水も、気温も、空の雲も、風の匂いも、花の色も、魚も、鳥も、音楽も、絵も、今生きている人のコトバも、亡くなった人の記憶もー みんな、みんな感じて下さい。“こゝろ” で。ひたすら。
 その方がシアワセです。楽しいです。感じた分だけ、この世界から争いが消える筈です。真面目にそう思います。   (あ、一寸疲れました。久しぶりに夜更かししちゃいました。もう辞めますね。)

                        *

 あ、ちなみにいつも読んで下さって優しいお言葉をかけて応援して下さる方には、この様な取り乱した無様な有り様をお魅せ?してしまい恐縮です。特に生身のワタシをよく知っている方には恥ずかしい限り。 “嫌な物には蓋をしてしまえ” セイシンで、ワタシ自身が “なんもかんも無視出来る器” であれば、それで済む話ではありました。併しそんな境地とは程遠いのであります。
 これもワタシのイタラナサでございます。楽しんでも居ます。解っています。いいえ、何も、何一つ解っちゃあ居ないのであります。 “知る者は言わず、言う者は知らず ” ー なんという....老子っ、その通り!

ワタシは知らないから、言ったり書いたり、もがいたりしてる
言っても、書いても、もがいても、何も知ることが出来ない。
毎度のことながら、知ったと思った処で不毛の砂漠に立ち尽くしている。
これも又、双子座のAB型の成せる業か...
己が探しているものが何だか知らない愚か者に、どうして知れる訳がない。


続けます。どうぞよろしく。


        (今夜の脳内ミュージック/JOE HENRY "Civilians" )

プレイス/自作イラスト(一部).jpg

29. 鶏,シンプル,悪あがきetc. [日々雑感『本日もまた混沌と』]

今夜は、いつもより時間が無いのでサラッと済ませなければと思ってはいるが...
マダムギター長見順さんのブログ『みおろすだぁけ』の様に「5行ほど日記」ではないけれど、1センテンスって云うのかな?(違うかな?)1句点までの文章で、只今脳裏に浮かぶ幾つかを羅列してみたいと思う。


 「メールって難しいね」ーこの台詞を、最近2人の人がしみじみ言うのを聴いたし、ワタシもつくづくそう思ったけれど、思えば自分の携帯電話の歴史は極浅いのに、もう既にすっかり必需品と成っているなぁ〜と呆れるし、あんなに持たずに暮らしていて不自由でない時代が確かにあったのになぁ〜と懐かしいし、もとい我もまた猿のオナニーの如く習慣の動物であり...改めて客観。

 ここ一ヶ月半、脚の座骨神経痛で通っている整形外科の先生(ちゃんと目を見て話をして、聴いてくれる渋い長髪老医師!)に任意保険の診断書の相談をしたら「あなたはまぁズル賢い人じゃなさそうだし、まぁ色々大変そうだから、大丈夫。上手い事やって上げますよ」と言ってもらえて、ワタシとっても嬉しかったけれど...何だか複雑。

 食材をSEIYUで悩んでみても結局いつも赤札ばかり買っているのだけど、好物のだけは"もも肉"を頑張って買っていたのに、本日"むね肉"が超激安100g38円だったのでついついおばさん達の間に割り込んで確保し、長年の経験からのここは下味とばかりに酒とたっぷりのショウガ汁&胡椒に漬込んだ後、1袋98円のピーマンと1袋108円の椎茸とで塩&一味で炒めたらコレ真面目に美味く、2食分作った筈なのに一気に完食してしまい...ほんの少し反省。

 梅津和時氏のHPで「清志郎君へ」を読んで再び涙&鼻水垂れ、彼は "聴衆に向かって、否そのもっと後ろの広い広いどこかに向かって声を発していたのだから” 書いてある通り、昔10代だったワタシも清志郎が創る(贅肉を落としたシンプルな歌に忍ばせてある)何か大きくて深い世界と、いつだって何だかエロっぽい意味が隠されていそうなダブルミーニングな歌詞に打ちのめされたんだよな〜と感慨。

 想いや願いなんて形の無いものは幾ら数多くのコトバを駆使して並べたところで、幾ら悩み抜いたあげくの少ないコトバに託したところで、そうやってにしてしまった時点で、胸の中の奥の方に育ってしまったものとは何だか全然別の嘘っぽい唯の文字の連なりとしか思えなくて、それでもワタシはその時々に関係を築いたり、よりキャッチボールがしたくて、相手や対象と今より近づきたくて、時にコトバを発してもきたけれど “失敗や玉砕多し” でー 沈黙増加やむを得ず。

 鈴木亜紀女史は "安住の地などさがす意味もない/ただ今を、心から今を!" と名曲『クラゲの二人』の中で唄い、ワタシは目を瞑って聴きながら感動してしまうのだけど、本当に、本当に、“常に心から今を思い切り生きる”って難しいなぁと思うし、悩もうが楽観しようが、迷おうがふて寝しようが、いずれにしても我らは皆たった今、刻一刻、いつか必ず訪れる「死」の瞬間までの自らの人生時間を “生きている” には違いないーとやたら今日も思うだけ。

 ここはバビロン東京23区の端部、250メートル位先にコンビニが一軒在るだけの静かで貧しい住宅街でもあるからして、今宵は月も出ていないドンヨリ閑の深夜でもあるからして、あと一杯、安ウイスキーのカルピスソーダ割り呑んで、歯磨いてから、ジタバタ悪あがきせずに寝ますから、たまには神サマよ、覚めて欲しくない様な夢をみさせて下さい!ーと願う。
 


    (今夜のミュージック/TOM WAITS "God's Away On Business" )
白サギ.jpg

25. あゝ鉛詰め [日々雑感『本日もまた混沌と』]

ちょっと整理して文章が書けない状態なので、今日(正確には昨日)のワタシの足跡なのかな、思う事含めて幾つかを唯、羅列してみます。

 連日二日酔い、止まらぬ偏頭痛。
 今日は自分にとって過去の記念日。昨日から、より息がしにくい。
 なのに暖め直しても実に美味いアップルパイ。一枚ぐらい食べたい位。
 久し振りに聴いた「テルーの唄」やはり胸に染み入る。無理矢理終盤まとめないメロディー。
 早川義夫 著「たましいの場所」いい話多し。再々読。
 吉井和哉の自伝(語り下ろし)からの或る話。今更納得。E.K.先輩は元気ですか?K音のKより。
 何処かへ紛れて込んでしまったN.ジョーンズの音楽データ。参った。無性に声が聴きたし。
 台詞で説明し過ぎの白けた映画に又 J.フォスターが出演してて。がっかり。
 脳裏からすっかりしっかり抜け落ちていた、アパートの契約更新の件。大ショック。
 相も変わらず改装中の、雑然としてなんだか変テコなSEIYU成増店。場末チック。
 いかにも連休然とした商店街の苦手な空気。そそくさと酎ハイと牛乳だけ買う。逃げ帰る。
 公園喫煙コーナーにて隣のROCK調の女の子、超薄着。"冷えは万病の元"。教えたいがやめとく。当然か。
 再びサカリ出した近所の猫(顔見知り)たち3匹。夕闇に、別人ならぬ別ネコ。怖い。笑える。
 座骨神経痛に保険金が下りないなら、怪我の任意保険辞めようか。思案。無知の涙。
 ふと届いたメール。待っていても来ないメール。上空の衛星を思ってみるが闇が広がるだけ。
 意気地無しでかな、言葉に託せない、書きたいのに書けない手紙。明日の自己課題。
 言えない言葉、言わない言葉。言わなきゃ解らない事、言ったところで言葉では伝わらない事。難しい。
 次第に鉛詰めの感有りmy脳味噌&精神。もうどれ位、声出して笑っていないか。頬筋が硬い。
 こんな躁鬱状態でも、高気圧に乗れば一応はサービス精神が働く自己満のワタシ。
 生来どこか投げやりな面を抱えた内側が斜な俺。或る処で"どうにかなるさ"病。どうにもならないのに。
 優柔不断を自己嫌悪しながら何処か惰性の川に流してしまう僕。お椀の舟。鬼太郎は来ない。
 未だ呼ばれているのは「マークスの山」の花の香? 否、もうずっと太平洋の潮の香。
 君はー ワタシか、俺か、僕を、呼んではいないの?


 あ〜 (Repeat☓4)   
 
 あ〜〜〜〜〜


この、当たり前だけど、自分でとっぱらうしかないのですね...

 

        (本日のミュージック/あがた森魚「水晶になりたい」)


鋤のある風景/ジョルジュ・ブラック(部分).jpg






11. 痛いからです。 [日々雑感『本日もまた混沌と』]

しばらく休んでおったのは
書きたくなかったからじゃなくて、
書きたくても書く事が出来なかったからで。
有り難い事に読者が心配もしてくれているようだから、
今日は限界までは書いてみるよ。

でもさ...
書く事はおろか、座る事も立っている事も、
じっと寝ている事さえままならない症状を抱えているんで。
古傷の椎間板ヘルニアからの座骨神経痛に苦しんでてね。
熟睡も出来ない。
痛みで夜中に何回も起きてしまう。
とてもじゃなくて、仕事も休んだ。
今回は久方振りに医者に行った。
なるべく飲みたくないけれど、あまりにも痛くて何も出来ないので
痛み止めも筋肉弛緩薬も飲み始めてる。
けれど今は未だ食事もままならず、
立ったり座ったりしながら、
食欲も無いのに食後のクスリの為に何かしら食べている、そんな状態。
パソコンに向かうのもかなり苦しい。
タイムリミットは5〜10分ってとこかな。

過去この痛みに関しては、
何度もぶりかえしては騙し騙しここまで来たけどさ。
今回のは、酷い。
だからちょっと当分は更新出来ないかも知れないな。

何事も身体が資本だと(コレがほんとの)痛感。
昨年は怪我から左足先親指の根元に髄炎を起こしかけ、
よもや足先切断!?と医者に脅かされる程に紫に腫れ上がり、
炎症を抑える抗生物質の点滴による副作用もあって苦しんだし。
今度は右足の太もも付け根からくるぶしまで、
毒を注入された様な奥からの痛みだ。
参るぜ。
擦り傷切り傷は茶飯事で慣れているけど、
この連続した神経の痛みに慣れる事は無いよ。
味わった者にしか解らぬ痛みだ。
この部分を切ってえぐり出してくれ!と叫びたい位な...

ああ、今は余裕の欠片が無いからね。
病気や怪我の時は独りは辛いね。
けど試練だね。

なるべく早く戻ってくるさ!
再開したら又よろしく。


(本日のミュージック/レメディオス・シルバ・ピサ「Naci en Alamo」)


団地のけんけんぱ.jpg



5. なだらかな坂道の途中で [日々雑感『本日もまた混沌と』]

先週、仕事でK市M町へ行った帰りの事。
T線M駅に向かい、なだらかな長い坂道を上っていた。
途中の某コンビニエンスストアに立寄り、ごまあんまんと水を買った。
頭が割れそうに痛くて薬を飲みたかったので、
シカタナク、水を買った。
(まあ、なるべく水は買いたくないーその様な育ち&世代なのである)

終業に向かっておしっこをずっと我慢していて、
現場を出る際も済ませるのをつい忘れてしまった。
駅までの道程、このままじゃワタシの膀胱は「保たないな」と思ったので、
“店員に一言お断りになってからお使いください”
との貼り紙のあるトイレを借りた。
ちなみに、“おしっこがしたくてあんまんを買った”訳ではないよ。

とても狭くて汚いトイレだった。
ホント、コンビニのトイレって否何処のトイレも、
掃除の仕方ー管理っていうのかな?違うよね。
やはり上の人に一人でいい、「清潔にしようよ!」って呼びかける人が居ないと駄目なんかな?そんでその人自らも手を下さんとな。
一度なあなあに成っちゃうと「誰かやれよ〜」とか「どうにかなんないのかしら」って、
“人任せ”になっちゃうんだろうな。
兎角そうゆう事ってある。
自分の家のトイレも誰か他の人に掃除してもらうのかしら...
田舎者で旅好きなワタシは
古さに依る湿っぽさや使い勝手の不便さはむしろOKなんだけど、
清潔に出来るのにしない不潔さってダメなんだな。
汚れを見ているっていうより、その人と也を見てしまった気がして。
表だけ着飾っていても、中身が手抜きというか...
“自分の尻拭いは自分で”
これは生きる基本じゃあないすかねえ。
 当たり前の事が出来る者同士だから、尻の穴までいざとなりゃ拭き合える〜みたいな、そんな愛が欲しい...
(すみません。脱線しました。)


でも、ここで書こうと思っていたのはトイレの話じゃないんだ。
トイレから出て薄暗い通路で一瞬立ち止まった時だった。
従業員専用と書かれたドアの直ぐ向こうから若い男の声が聞こえた。
要するにワタシは立ち聞きしたのだった。

「何だか汚たないオヤジでさあ。いかにも肉体労働って感じな訳よ。
そんでなかなか帰んないの。何だかブツクサ言ってるわけ。
“お兄ちゃんはいいよなあ〜暖かい場所で働けて”とか言うわけよ。
ったくよ〜知らねえよ。そんなの。俺の勝手だろ?
あんただって好きでその仕事やってんだろうが。
ぐちゃぐちゃ泣き言なんか言ってんなよって感じだろ?
俺に言われても困るぜっ。な?だろ〜。嫌なら辞めりゃいいじゃんか。だろ?
俺の知った事かよ。全く迷惑な話だぜ。ウルせえっつうの、な。
こっちだって色々あんだからさ〜
あんたの愚痴なんか聞きたくねえっつうの。な?だろ?だろ〜。」

こんな具合だった。
どうやら携帯電話で話している感じだった。
彼は仕事上がりか休憩時間か、ドア向こうで友人に愚痴をこぼしているのだった。
ワタシは胸の辺りが震えた。
気がつくとドアノブを見つめる自分が居た。
自分の衝動を押さえるのに(それはものの数十秒のことであったろうが)
もう一人の理性とか社会性とやらが働く自分が
「いかんぞ...押さえるんだ...ダメだぞ...留まれ...」
そう言って、もう一人の自分に水をかけてなだめるのに必死だった。


ワタシ自身が四六時中建設現場で働く、そのいかにも肉体労働に従事しているからかも知れない。
夏は熱中症と戦い、冬はこの寒さに風邪と腰痛などと戦い、
唯一気が休まるのが、こうしたコンビニや公園やビルの陰だったりするからかも知れない。
もしくは育ってきた環境や放浪や後の仕事の過程で、
年配の人や老人と関わる経験が多かったからかも知れない。
それとも幼い頃“拳を受けた者は拳を振るう”みたいな“負の連鎖”に甘んじているのかも知れない。
理由なんか判らない。
そいつのコトバに無性に腹が立ったんだ。
そりゃあ、皆誰しも色々あるさ。
今あなたの一方的な話は聞けないーみたいな状況だってあるさ。
でもさ、お兄ちゃん。こうは思えないのかい?
仕事に限らない、人が自分の人生を歩いてゆく過程で
自身がその度に選んで踏み出した一歩でもさ、
どうしようもない流れってあるじゃないか。
仕方の無いことって沢山あるじゃないか。
そのオヤジさんはさ、
本当に寒い北風に晒されて働いてきて、
喉も乾いたろうし腹も減ったろうし、
何を買いにきたのかは判らないけれどこのコンビニに来てさ、
「あったかいなあ。いいなあ。あったかいことは有り難い事だなあ。」
「ああ、うらやましいなあ...」
って思ったのかも知れないんだよ。
いいや、郷に残してきた家族ーもしかしたら別れた家族に、
歳の頃が君と近い息子が居たりなんかして、
ただ単に君と一寸話しがしたかったのかも知れないんだよ。
話掛け方がへたくそなだけでさ。


ワタシだって若い青い頃はむちゃくちゃもした。
泣いたり泣かせたり色々あった。
今だって試行錯誤の紆余曲折の真ただ中だ。
でもさ、そりゃないぜ...
したくなくてもやらなきゃ成らない事、会いたくても会えない人、言いたくても言えない事ー
人生イロイロ
あんだぜ。
愚痴なんか誰にも聞いてもらえない、下手したら誰とも話さずに毎日が過ぎてしまう人が一杯居るんだ。
もう少し他人に優しくなろうぜ。
いいや、人に〜だけじゃない。
ネコやイヌにも、虫にも鳥にも
だよ。
木にも山にも、川にも海にもだよ。
もう少し、もう少し、さ。

そんで、ついでにトイレーもう少し掃除しておけよ。
お前がやりだせば世界は変わり出すんだー



勿論ワタシは、騒ぎ等起こさずにコンビ二を後にした。
駅へ向かって長いなだらかな坂道を歩きながら、
いろいろ我慢してる他の事も一緒クタに成った心でかな...
何粒かの涙は坂の下へ転がっていったさ。

名称未設定 1.jpg

(今夜のミュージック/友部正人「一本道」)

2. はじめに [日々雑感『本日もまた混沌と』]

外は強い風が吹いている。
陽射しはどことなく真冬のそれとは違ってきたけれど、
さっき洗濯物を干しに外へ出たらかなり寒かった。
風が刺すように冷たくて、洗濯バサミを摘む時に指先がかじかんでまごついた。
さてと。
夕べの失態を取り戻すべく、当初の目論みを実行すべく、
「はじめに」のコトバを記そー



ワタシは何年か前にパソコンに触れだした。異様な奥手である。
昨年知人に誘われmixiに参加してみた。なんだかよく判らぬままに。
友人は以前からの二人のみ。ほんの少しやり取りした。
二回ほど日記を書き込んだ。
三十数個コミュニティを登録した。

「うわあ、車谷長吉のがあるじゃないか。うはあ、鈴木亜紀のもあるじゃないか。
スナフキンからブルースビンボーズまで!
おっと〜フランシス・ベーコンからアマンダ・プラマーまで...。
モンティ・パイソンなんて幾つもあるぞっ。YBO2も...う、う〜ん、恐るべしインターネット...」

恥ずかしながらそんな程度である。私のネットレベルとは。
(そんなコトバ在るのかどうか知らないけど)

けれども、それだけのことであった。
平日はコミュニティを覗く余裕など無かったし。
休日に一寸頁を開いたところで
つまりは“消費を促す情報の羅列&若人の集い”的なニオイにうんざり。
「ワタシたち、もっと早くに会えてたらよかったのにネ...」である。
人生時間は限られているのだからね。
たとえこの様なケイザイ的には貧しいMY LIFEであれ
やらない・しない等の “選択の自由”はノコサレテイルのである。

知人と “そうは急がない話” ならメールがあるわけだし。
同時代の流行や情報に「乗り遅れたくない」なんて気持ちは自分ゼロなんだし。
今まで、何故だかきっと必要なネタは、
この足で移動して出会った景色や人や音楽や本から、しっかり頂戴してきた気がするし。
これからだってそれでいい、その位のペース&量じゃないとワタシコマリマスと思うし。
第一、そんなに多くの情報って必要なんかしらって思う。
知りたいときにゃ、やっぱり動かないと。
お手軽に仕入れた情報は、割と簡単に忘れちゃったり
過ぎてしまえば大した影響無かったりする
ものだ。
少なくともワタシの場合は。

そしてワタシはmixiに興味を失った。
退会する潔さは持たぬままにー
・・・けれどなんだろう、この感じは? 
う〜む、残されたこのムズムズは?

蝸牛.jpg



以前から日記は時折書いてきた。ホント時折。
その日の事を記すというより、
突然 “針の穴から風呂敷をヒロゲル” みたいな雑文を。
(そんなコトバ在るのかどうか知らないけど)
(あ、そういえば昔「突然ダンボール」ってバンドがあったな〜)

友人のK氏と実妹に勧められていたブログ。
ブログなんてコトバも実態も知り得ず、なんとなくオソロシカッタ私。
でも今、「ワタシ、ブログハジメタイ....」のでした。
街角の奇麗に磨かれたウィンドウにも、占い師の水晶玉にも映らない “ワタシ” を知りたいのか?
“我何処から来たりて何処へゆく?”みたいな?
それとも不特定多(少)数に向けての披露欲?公開欲?発表欲?
まあ、そんなのもあるやも知れないな。
いやあ〜分析は世にいっぱい居る評論家に任せときゃいいやね。

かくして遅ればせながらコレを始めるワタシであった。
何歳になっても“初体験”とは、先ずは恐ろしく、実際は甘く苦く唯ひたすら無我夢中で、過ぎてしまえば哀しい ーそんなもので。
二度と同じ“時”は無いのですよね...
このブログ内でも現在(いま)を精一杯生きましょうかー


「未だこの世この国に、この様な者がおるのか...」
と御思い下され、皆の衆。(一礼)


1. はじめにの為のはじめに [日々雑感『本日もまた混沌と』]

今、泣きそうになった。
幼い頃「男は泣くな!」と、親父にげんこつをくらって育ったのに。
青い頃「なんで泣かないの?」と、一緒に泣けるはずの映画を観た女性に問われたこともあるのに。
今、泣きそうになったのだ。
何故ならその理由は“消えちゃった”から。
消しゴムで消したんじゃない。
一瞬で消えてしまった。
「あっ!」と息を飲んだ瞬間にはもう消えていた。

4時間もかかってやっと始めたブログ、第一番の投稿、それもかなりの長文。
間違って消してしまったわけ。
どこか間違った操作したわけ。
それで泣きそうなわけ。
だからパソコンは苦手なわけ。
それでもブログを始めようとしたわけで...

「また初めっから書くんですか〜!それしか無いんですか〜!」

もう気力が無い。
体力が無い。週末だもの。
瞼が落ちてきた。
今夜はこれにて、さらばじゃ。
なんですか.jpg

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0. 引っ越しましてヨロシクて [日々雑感『本日もまた混沌と』]

先月だったろうか、人生で初めてブログを開設して。
ほんの少し経ったところで突然モデムがクラッシュしまして。
その際、外資系プロバイダーの対応に多いに不満がありまして。
よく考えずに解約しまして。
そうなんです。大変だったのでして。

こうゆう事に疎いワタシも、友人K氏のおかげで新しいプロバイダーに乗り換える(この言い回しはあまり好きでないけどね。)ことが出来まして。
しかし、丁度この時期は年度末で労働の方も忙しくて。
そんで、休日など昼過ぎまで曝睡してしまう始末でして。

そんなこんなで、こうしてブログ再開までかなり間が空きまして。
読んで頂いていた方には御心配をかけまして。
とりあえず疎いワタシは以前のブログから記事をドラッグ&ペースト?してみることにしまして。
今後ともどうぞヨロシク、て?

   (今夜のミュージックは「よそ者」RCサクセション)

小金井のコブシ.jpg

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