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79. 深夜の食堂 [ことば・映像・音・食べ物etc.]

改めまして、はじめまして。私はもう6年間もテレビを観ない者です。
在れば気になって仕方ないのです。
在ればついつい観てしまうもんで...
そんなところで意志が弱いニンゲンなのです。
 どのくらい観ないかと云えばー「オマエの大好きな蒼井優がNHKに出演しているぞ」との情報を頂いても尚、意地になって観ないーそれくらい観ないです。

でも、実は『俺たちの旅』や『傷だらけの天使』や、『岸辺のアルバム』や『ふぞろいの林檎達』や『北の国から』に影響されまくって育ってきました。
テレビっ子ではありませんでしたが、ドラマっ子でした。
あの頃は携帯電話もパソコンも無かったので、テレビの影響は凄かったんです。
中学時代からはROCKの洗礼を受けたもんで、テレビどころじゃなくなりました。
同時に、好きだけど想いを告げられない女の子のことや、教師や学校や家庭やなんやかんや総てに悶々としていました。
頬のニキビは膿んで止まらず、一時は夏みかんみたいな顔だったですな。はと麦茶でなんとか治まりました。

20代の頃の話は飛ばして話しますと...30代後半に突入した頃からだったでしょうかー
身の周りで色んな事が続いて起こり、その中で不図、残りの人生時間を少しづつ気にする様になったり。CMやクイズ番組やバラエティ番組をボオーっと観ている自分が嫌になったり。すっかり会話も交渉も減った当時の同居人と唯黙って一緒にテレビを観ているのが、なんだかとても苦しくなったり。
もしもそんな(あえて言うなれば)2日後には忘れてしまう様などうでもいい番組をボーっと観ている時間があったならば、DVD鑑賞や読書や他のことに当てる選択をしたーという訳でした。
云うなればそれらの選択は自ずから向かったものであり、例えば実は蓋を開けたらレンタルチョイスに失敗!なんて時でも、誰のせいにも出来ない訳であり。
ところがテレビの奴ときたら点けたら最後、次に何のCMが、何の予告が、何の刷り込みがくるのか、予想もつかないまま受け取ってしまうものだから。だからジタバタしてしまうのでした。
そう、出来ることなら潔くありたいのです。なんてネ!それは一寸格好良すぎですな。でも実際テレビ以外は、私の中では割と潔く対処出来るのでした。あ、あと人間関係以外も...かな。

その選択は後に、仕事先などで他の方の話題についてゆけない事態を招きましたが、
皆さんが「あ、◯◯さんはテレビ観ないから知らないだろうけど、この間ね〜」等と、ご丁寧に(まるで鬼の首を捕ったかの様に)教えてくれるのを「へえ〜」とか「ほう〜」とか「ふう〜ん」とか相槌を打つ楽しみが増えただけで、他にはなんら苦しい支障はありませんでした。ミサイルが発射された事を翌日に知るーそれくらいの事でした。
或る方は「それ、おかしいでしょ!」と言われましたが、或る方は「それで死ぬ訳じゃないもんね。私も観るの辞めようかな...」と言われました。
ワタシは元々、時代遅れでよかれと思っていますし、所詮ニンゲン様の成される事柄の多くは巡り巡って繰り返しながら多少の変化はあれど、太陽や風や雨の大きさに比べたらば如何にもちっぽけなものなのでした。

 “知らない” ということは時に問題を起こしますよね?
でも、“知らない” からこそ守れたものや、楽しめたことや、歌えることも沢山あるんじゃないかな〜なんて思ったりもします。誰でも幼い頃を思い出せば思い当たるのではないでしょうか?ー“知らないから知っていた”ーアナタにもそんな頃があった筈です!
それに誰でも結構、自分の歩みのタイミングで “知るべき時に知る” んだとも思ったりするのです。
 “受ける情報” より、必要に迫られてというか “自分で必要に迫り” というか、その流れから “調べる” とか “見つける” 方が感動も大きかったりしますし。
そんな感動が積み重なってそいつ “そのヒトと也り” って風にも云えたりもするんじゃないかな〜なんてワタシは思うのです。感動は待っていて受けるものではなく、自ら開いて見つけるものなんだなあと、映画や友達や娘が教えてくれました。

ふと思います。文化・芸術なんて前衛だオリジナルだなんて息巻いていても、先人の技術技法の組み合わせにスパイスを効かせた様なものには違いないんだと。どん欲にアンテナを張り、知らずして調べたり得たりして内に入れ、発酵させて出す。その発酵途中で、そいつの日常の喜怒哀楽や紆余曲折って味付けが加わる。
けれどもそれは只の "作業" に過ぎないんだよね。
その者が生きてゆく為の作業。誰の為でもない。偽善の偽、“偽り” という文字のつくりをみれば解る筈。「人の為に成すことはみな〜」と、映画『精神』の中で患者の一人が教えてくれました。誰もが奢るなかれ、ということですかね...
ヒトという生き物の個が、夢中に生きている経過の断面。それこそが、聴いたり観たりする他の人の心をも揺さぶるのでしょう。

       *

さてタイトルの『深夜食堂』。
このドラマの存在は(今年になって)知りました。「遅っ!」っと声が聞こえそうですね。私はやっぱり世間と思いっきりずれているのですな。
けれどずれていたって何だって、とにかくこのドラマに出会えたことを素直に喜びました。『深夜食堂』は、もう長い事冷めきった私の身体を、なんと言うのかな...奥の方から少しだけ温かくしてくれたのでした。
実は以前、ブログ読者の方のひとりが私を「深夜食堂のカウンターの何処かに居そうな人ですね」とコメントしてくれた事がありました。
でもその時の私は何の事やら?といった感じで全く理解出来ず。「深夜の食堂って...」とまあ、何処か地方のドライブインみたいな、例えば白い暖簾に “食堂” とか “定食” とか “めし” とか染め抜いてあるプレハブ仕立てみたいな簡素で小汚い店しか思いつかなかったのです。
ところが今年になってたまたま或る方のコラムを読んだ際、このドラマについて書かれていて「アレ?これはもしや...!!」と、やっとこのドラマの入り口に辿り着いたのでした〜

レンタル屋でDVD借りて来て全回を順に観ました。
特に第8話でしたか...YOUが出ていた話を観終えた際には困りました。つい涙腺が...って奴です。
そのまま自分に重なったのでした。何度も観返してしまいました。
決して自虐的な訳ではなく、普段日常生活を送る為に封印している何かを、この回を観た際に発散出来たというのでしょうか...決して浄化はされませんが、フィクションは儚くも夢を見させてくれます。 
このお話は白々しいハッピーエンドにまとめてはいないし、併し現実の悲壮感は抜いてあるし、つまりは或る意味或る角度からだけの...云わば詩情の味付けですかね。

そう...現実はドラマのように単純にはいかないことばっかりですよね〜
でも、私はこの回に出逢えただけで、もうこの先もずっと忘れない程に『深夜食堂』という題の響きが好きになってしまったのです。
短編小説ならば、神吉拓郎の短編を思い出しました。

       *

店の常連客として毎回出演している俳優のひとり、端役ですがオダギリジョーがいました。私は男性なので彼に対してのひいき目は無いと思うのですが、どうして彼はルックスだけではなく演技も達者で好きな俳優の一人です。
彼はあまりにもスタイルがいいので多少なり役が絞られてしまう部分があるかとは思うのですが、映画『ゆれる』の弟役なんかを観ていると、これから彼が年齢を重ねながらどんな役をこなしてゆくのか頼もしく思ったりもします。『メゾン・ド・ヒミコ』もよかったですね。
妻夫木君ほど器用で達者でもなく、浅野忠信ほど内から滲む狂気もなく、いったい彼が今後どのように変化してゆくのか、楽しみです。

けれどこの『深夜食堂』においてはー
初め、彼の役が毎回の話の中での息抜きの1ポイントというか、彼の人気を借りての視聴率稼ぎか?と思ってしまうほど私には余分な存在に思えたのでした。
ところが終回に向けて、話の本筋とは違う底の方での伏流水の様に彼が放つ印象(つまり演出?)が微妙に変化していくのが感じられました。
原作漫画からの制作段階でも、カタギリ(オダギリジョー)とマスター(小林薫)の関係や演出は、実は曖昧に霧に包まれたままでいいんじゃないか的な構想だったのかな〜なんて思ったりもしました。
映画ではこのレベルの演出の曖昧さで幕を引かれては、消化不良でちと不満な方も続出かなと思われます。まあ、曖昧さで深みを増す場合も多々在れど。
深夜枠という短いタイムリミットと、逆に深夜だから観る側のターゲットも絞りやすくキワドイ話等、展開に自由さがあったでだろうし...最終的に『深夜食堂』は、テレビの深夜ドラマでしか成し得なかった作品だと思いました。
喩えるならばー “夜空の、小さいけど見つめてしまう星” みたいな輝きを感じました。

う〜ん...上手くはまとめられないのですが、とにかく『深夜食堂』コレも又好きな世界ですなあ。
カルトもサイコもアダルトもハードボイルドもノンフィクションも好きだけど、カウンターだけの深夜の食堂〜コレも又よし。


       *


目をつぶって想像してみます。
暖簾をくぐってガラガラッと引き戸を開けます。
「いらっしゃい。」と小林薫の低い声が聴こえてくるようです。

ワタシだったら何を注文するのでしょうか?
昔ばあちゃんが作ってくれた、あまり甘くない "おはぎ" かな〜。
そう言えばそんなおはぎなんか、もう30年は食ってないなあ...30年って凄くナイ?(注/語尾上げる)
おっと、そんなものこの食堂には無いのかな...


アナタだったら何を注文するのでしょうか?


 追伸
以前、世間を震え上がらせた或る犯罪人が同姓同名だった時、俳優小林薫も難儀だろうなあと思いましたが、どうやら心配御無用でしたな。
唐一派にも在籍して昔は長髪だった彼、或る頃からテレビにどんどん出だして名を売ったね。
昔、駒ヶ岳南麓の武川村の川っぺりに建つゲージツ家くまさんの工房に、あれは奥さんとかな?遊びに来ていたのを見かけたことがあったなあ...。
或る意味で地味な俳優かも知れないけれど、女心をくすぐる様なニヒルな可愛さが感じられます。ニクいおっさんです。







           (只今の脳内ミュージック/鈴木亜紀 "夕暮れ飛行")

シャーマンの息子325.jpg

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