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80. 何故か成らずレノン [ことば・映像・音・食べ物etc.]

明けましておめでとうございます。2011年となりまして早2時間が過ぎました。
大変御無沙汰いたしまして。皆様はいかがお過ごしであられましたか?
ワタシは酷い坐骨神経痛にMRI検査までする始末。かれこれ数週間の療養生活にすっかり腐りかけの無花果みたいになりそうなところ、こゝろ有る先輩や友からの優しい御言葉や気遣いに触れ、また少しづつ体調も戻り始め、又こうしてココに帰ってくる気持ちにもなった次第であります。

さて本日は、念頭のありきたりのご挨拶は他の皆様にお任せ致しまして、前述の療養中にかねてより書き貯めてある書きかけ推敲中?の中から選んだ一つをアップしたいと思います。
これを元旦にアップすることに意図はありませんが、たまたまタイミング的にこうなったのも巡り合わせかとも思います。
これを機会に、もう一度初心に返ってあの頃の無心さを取り戻したいと、素直に思います・・・なんて言ってみたりして。

       *

昭和の匂いプンプンの中で、まだ田畑の残る東京の外れで育った僕の音楽的原風景は、今になって思えばクラシックと三味線でした。クラシックは、バッハとかシューマンとかドヴォルザークとかショパンとかのチェロ中心の組曲や協奏曲だったかと思います。三味線は小唄の伴奏です。
昭和10年生まれの親父が結構ハイカラ(今の若者には通じない死語か?)で、休みの日は一日中クラシックのレコードばかりかけていました。三味線は父方の祖母が小唄の師匠だったので、家に居た時にはチントンシャンよく弾いていたものです。幼い僕はこの二つのまるで異なる音を、おのずと耳にして育ちました。
なのに、僕はクラシックを拒絶したのでした。
それは、何につけ押しつけ断言する父親を毛嫌いしての表れだったのかも知れません。それは自我の目覚めと共に、無言の抵抗だったのかも知れません。
最近までクラシックを聴くことを無意識に避けていました。まあ、音楽聴くのに年齢なんて関係ない話ですが、振り返ればそうだったナみたいな話です。或る意味で耳が自由になるまでに何十年という歴史が必要だったのかも知れません。
では音楽自体を聴かなかったのか?
いいえ、いいえ。とんでもありません!聴くどころか10代から20代中盤迄は、音楽に身を捧げる様な毎日でした。その時期に音楽から貰った影響は、それはそれは多大なものでした。

そうです!僕はモロにロック少年でした。
あの頃の僕は、朝から晩迄ロックに浸かり、ロックのことばかり考えていました。
争いの多い家庭内や、打ち解けられない学校生活や、想いが成就しない女の子への恋慕や、そして何より全く見えない将来進むべき道への不安や...それら全てを一瞬忘れるほど夢中にさせてくれたーそれこそがロックでした。
内田裕也の言うロックンロールでもなく、この国の甘っちょろいファッフョナブルなロックでもなく、一言で言うなれば、“ロック”。無条件に、ただその言葉の響きだけに集約される何か...。轟音だとか、ビートが激しいとか、テンポが早いとか、そんな条件は何も無く。静かだろうが、音が少なかろうが、横揺れだろうが縦ノリだろうが、リズムが跳ねてようが引きずってようが、関係ないのでした。
自分が直感的に「ロックだ」と感じれば、それこそが自分にとってのロック。自分にとって必要な音だったのです。
物事の判断基準が「いかにロックであるべきか」「ロックであるか否か」みたいな感覚で、そのことは自身が影響されたというより、もう己自身がロックである様な...笑!ま、何を言ってるんだか解りませんよね?それ位どっぷりロックだったという訳です。
(その顛末他等は当ブログの別ページに度々記してきましたので、ここでは割愛します。)
                                           
スタートは.....小学6年の時でしたか、夕方だったかな...セイヤングとか云うラジオ番組から聴こえて来たビートルズに出逢ってからというもの、僕の人生が一変しました。そうなんです。世代ではないのですが、入り口は王道も王道、ザ・ビートルズだったのです。それも、NHKの英会話講座を聴いていたのと同じモノラルのラジオからです。
中学時代はジョン・レノンに狂っていました。ポールの曲は美しすぎて、聴くのだけれど歌詞に興味は持てませんでした。レノン=マッカートニー名義でも完全に各々のカラーの違いは歴然としていて、僕は自然とジョン中心の曲を好む様になり、当然ソロ活動に入っていた彼のレコードを聴き始めました。少ない小遣いの全てを彼のレコードに注ぎ込んでいました。
『労働者階級の英雄』や『インスタント・カーマ』は学校では教えてくれない世界に関心を持たせてくれたし、『ジェラス・ガイ』や『ラヴ』は自分の恋心を代弁してくれたり、そっくり「これこそが望むべく愛だ」と憧れてしまったし、何よりも『ゴッド』と『イマジン』の(当時すべては理解出来なくとも)歌詞の "ストレートな表現の深さ" 
には圧倒されてしまい...僕のロックに対する意識は一気に柔軟化といいますか、多様な間口=耳を持てる様になったのだと思います。
本当に毎日何度ともなく、ジョンのソロアルバム、特に1st.と2nd.を繰り返し繰り返し聴いていたものです。

ところが...忘れもしません、中3の受験勉強真っ直中のことでした。ジョンは、彼の熱狂的なファンだったマーク・チャップマンに射殺されてしまいました。
あの晩、テレビを観ていた父親が教えてくれたのでした。「おい!おまえの好きなナントカっていう奴が銃で撃たれたみたいだぞっ!」
そして僕は、彼が今さっき新譜『ダブル・ファンタジー』のレコーディング帰り、N.Y.の自宅ダコタハウス前で撃たれて死んでしまった事実を夜中のTVニュースで知りました。
身体の震えが止まりませんでした。一瞬、声が出なくなりました。
そして、こんなにも自分の心を捉えて離さない曲を創る人が、つい先程まで同時代を生きていたことを改めて知り、言葉になんかならない悲しみに暮れました。
彼が亡くなった次の日、僕は遅刻の上、学校へ行くフリをして(途中Uターンして)両親共に出勤してから家に戻り、一日中彼の音楽を聴きまくったのでした。それから飽きる事無く、毎日彼の音楽を必死に聴いたのです。歌詞カードを繰り返し読みながら、祈る様に聴いたのです。
今でも昨日の事の様に覚えています。

ロックがメロディーやリズムを越えて、一つの自己表現であること。
それが周囲を、狭い世間を、広い世界をも変える起爆剤に成り得ること。
そしてロックはこうでなければならないなんて基準は何処にも無いということ。
例えばーピアノのコード弾きやフォークギター1本のつま弾きや、単純なバスドラの連続や、囁いたり話したりする声までもが格好いいということ・素敵な事なんだーと。それまで、もしかしたら格好悪いとされて避けられていた事だって、(それが歌詞の内容に合っていれば)堂々と魂を込めて表現すれば逆に格好良くなってしまうーそれは僕にとっては衝撃でした。
ハイハットの開閉一発。ギターのミュート音の一つ。音を出す前の段階のやりとり。カウントの取り方にも多様性があり、それが曲全体アルバム全体の色までも司っている様な...
ジョンの創ったソロ・アルバムの、全ての音の一つ一つが、僕の身体の内側に落ちてゆくようでした。

話せばキリが無いほど僕の “ロックのものさし" を広げてくれたのがジョンだったのです。
今思えばそれはー「物事は多角的に捉えれば発想も変わるだろう」し、「疑うことから始めなければ必ず見失うことがあるだろう」ーといった、所謂ただ生きてゆく上での "ものさし" であった気がしています。

       *

それから色んな先人に影響を受けようとも、やはりスタートは彼であることは間違いなく。
今頃になってリバイバルブームに便乗したり、当時とは似つかないほど ”何でもアリ” で、物や情報に溢れかえり変化した現在に、言うなれば ”おしゃれ” な感覚で飛びつくのとは全然訳が違うのです。
親や教師に反対されたり、周囲の友人がニューミュージックやベストテンソングしか話題にしない時代だったのです。茶髪なんて極上の不良だけで、せいぜい他はリーゼントかアイパー、アルバイトが『長髪・染髪お断り』の時代だったのです。
髪を伸ばしだした僕は "たった一人で世界を敵に回している" そんな気持ちで、必死になってジョン・レノンを聴いていたのです。彼のロックをBGMにかけたなんて経験は、一度もありませんでした。

忌野清志郎については当ブログにおいて、過去に長々と想いの丈と考察を書かせてもらいました。
他に影響を受けてきた小説や映画についてもぼちぼち書いています。しかしジョンについては、なかなか触れられないでいます。軽い気持ちで書けない出逢いなのでした。
あれから僕自身も色んなことを経験し、嫌でもそれなりに成長してきました。
変わった点も変われない点も多々あります。低下した部分も向上した部分もあるでしょう。
そして、ロックを毎日聴かずには生きてゆけない訳ではなくなってもいます。むしろ、忙しい日や疲れた日にはECM系の静音ジャズでも程良いボリュームで流しながら、少しでも早く布団に滑り込み寝てしまいたいーそんな有様です。
日常セイカツなんてものはどんな職業どんな毎日であれ、それが繰り返しとなれば相も変わらず迷い、悩み、戸惑い...笑うことより黙って影で苦虫を噛み潰す事の方が多く、決して楽しさ一杯の毎日ではありません。僕なんて、小さな悦びを日々の中に見つける様にして、少し前を見ながら一歩づつ歩いているに過ぎません。
けれどもそんな地味な日常の中で、色んなことを想像したり、考えたり...生きること自体を捨ててはいません。悟りきってもいないし、かといって以前ほど周囲の目も気にならなくなってきて...身体は実年齢より痛んでいるけど、ココロは昔より柔らかくなっていると思うのです。
そんな自分がジョンについて考えたり思ったりする事も複雑化というか...
一時期は前妻シンシアや息子ジュリアンの立場や愛人メイ・パンの存在等も考えると、彼(彼らと言った方が正解かな?だってホワイトアルバム以降のジョンは独りじゃ何も出来なかったみたいだしね。)否、ジョン&ヨーコが唱えたLOVE&PEACEが霞んで感じられたりしたけれど。
何年か前、独りになってから僕は初めてリアルに理解(というより共感か?)出来た気がするのです。彼らの関係が。
いずれにしてもジョン・レノン...通り一遍の言葉では表現出来ないのでした。


しかし、ふと思うのです。
(前述の)ジョンから貰った(大きく影響を受けた)
 "ものさし" で、この便利さやスピード重視の世の中で生きるということは、時には辛かったり寂しかったりも多くなるのかも知れないなあーと。
多くの情報に溢れかえる今の時代に「ジョン・レノンも多くのミュージシャンの中の一人に過ぎない」等という出逢いではなく、あの時代の中学時分で、まるで雷に撃たれる様に絶対的に感化されてしまった自分は、幸せなのか不幸なのかは判らないーとも思えたり。
けれど、彼ならこう言うでしょうか?
「ちょっと立ち止まって、考えてごらん。捉え方、考え方次第なんじゃないのかな?」
そして、きっとこうも言うでしょう。
「君の中にも色んな考え方や真逆の思いがあっても当然さ!全部抱えていけばいいんだ。」

       *  
 
彼のことを考えるだけで、今も蘇る熱い想いは変わり様がありません。
なのに僕は好きなミュージシャンの名を挙げる時になかなか彼の名を言いません。言えないのです。あまりも絶対的な存在過ぎて、口にするのが怖いのでしょうか...僕は臆病で嫉妬深い『ジェラス・ガイ』なのでしょう。
でも、どうして初恋の人が忘れられようか、たとえ離れても、時が過ぎても、どうしてあれだけ己を捧げた相手を軽く流せようか、って感じでしょうか...
誰の事も、本当に理解することなんて、誰にも出来ないとも思います。理解したいという姿勢が大切なだけで、しかしそれは己が理解されたいという思いの裏返しの現れだとも思ったりします。
そして特別に好きな人のことは、考えれば考えるだけ、何も決めつけられないものです。
色んな思いがあったとて、結局は腹の底で唯黙って認める、「それでも好きなんだ」という自分自身を受け入れるーそれしか出来ないものです。
結果ばかり重視する現世ですが、大切なのはきっと...自分がどうあるか、考えた末に素直にどう思うか、自分の理屈ではない "心の有り様" だとー僕は思うのです。
好きだとか嫌いだとかを越えて、まるで自分の血や肉に染み込んでいる様な存在...
親しみとか共感等という甘い友愛の匂いとは違って、もう逃れようも無く、黙って認めるしかない程に...


きっと一生、この感覚は言葉に還元出来ないのかも知れません。
他人や、世間が、時代が、どうであろうとなかろうと関係ないのです。
僕の頭上にも、僕の内側にも、いつだって居るのだから。

探して出逢った相手じゃないんです。
出逢ってしまったのです。
深いところでー


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*ジョン・レノンをBGMではなく "真っ向勝負" で聴くつもりの方にオススメの一曲でした。




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