61. 隙間に潜む虫 [日々雑感『本日もまた混沌と』]
(一寸久しぶりの更新です。ココに戻って来る気力が湧きませんでした。何となく保てて...何となく書く気になれたのは、或る虫のおかげかも知れません。世の中には其の虫だけ集めた資料館なるものが在ったりするそうですが、きっとカブトムシやトンボの様に親しみをもって其の虫とつきあいたい人は多くは居ないんじゃないかーとも思うんです。ですが!少数派やアンダーグラウンド的な匂いに、つい魅かれてしまうワタシですから、ここは一つ其の虫の為にも “(それなりの)愛を込めてー” 文字にしてあげようと思います。自己テンションを上げる為にも!)
先日、どうしても魚が食べたくなりました。
いつも寄っている駅に隣接した24時間営業のSEIYUではなく、全体的に食材が安いスーパーへ寄りました。
その店では以前に好物の一つ "とんぶり” を買ったところ、帰宅後によく視たらカビが生えていたりして、その日以降は余程でない限りあまり寄らない店でした。しかしSEIYUより鮮魚コーナーが充実しているし、外国産の肉等がいつも安売りしていて、ワタシはついつい味や食の安全より値段に負けて、懲りもせず時々は買ったりしていたのです。
さんざん迷ったあげく、秋鮭の生(塩蔵ではない切り身)を買いました。鮭独特の、とてもいい赤い色をしていました。
2切れで168円と断トツで安く、新鮮に見えたので買いました。
尚、東京で暖かい時期に刺身は殆ど買いません。とかく美味しい物は高いし、ワタシが買い物する時間帯には売れ残りの赤札しか無く、一度も「おいしい!」と思った試しが無いからです。内地で育ち都心部で青春期を過ごし、10数年も山村に暮らしたワタシが、魚についてそう舌が肥えているとは思えません。でも、再上京して数年が過ぎた今も、スーパーで買った刺身を「おいしい!」と思ったことは無い様に思います。
さて、帰宅して鮭の一切れは冷凍しようかと、パックからラップを外しました。
すると、何か動いているのです。太い木綿糸の二倍くらいの生き物が。
寄生虫だと直ぐ判りました。透明の細いミミズみたいで、長さが2.5センチくらいでした。前後1センチ位は伸び縮みしていて...過去さんざん釣り餌でミミズやイソメやゴカイ類を触ってきたワタシも、この時ばかりは気持ち悪く感じました。想定外だったからでしょうか?でも至って頭では冷静に「加熱すれば大丈夫だろう」と思い、「まあ居るさ虫くらい!」なんて強がってもみました。長きに渡って畑仕事もやってきた経験から、「いちいち小さな虫くらいにジタバタしていたら切りが無い」という気構えが備わってもいました。値段も安かったし、先ずあのスーパーだからなあ〜と思い、一旦は我慢しようかと思いました。
切り身をひっくり返し、よくよく観察すると虫は2匹いました。一匹ならともかく、元気が良い奴が2匹居たのが堪りませんでした。
その事は自分の中のどの様なラインを越えたのかは解りませんが、とにかく嫌になりました。悲しくなりました。小さな音を立ててブチっと何かが切れてしまいました。直ぐ何もかもを投げ出したくなる様な、ギリギリの精神を抱えているワタシでしたし... 思えばこの数年、息を潜める様に暮らして来た様なところがあるので、こんな時も“買った店にクレームをつける”とかのパワーより、何故か “我が身のふがいなさ” みたいな自己嫌悪的な方へ...つまりはこんな小さな事件?に、かなり気が滅入ってしまうのでした。
しかしその日は何かが違いました。多少の冷凍食材等はストックしてあるものの、その日は “どうしても魚が食べたかった” のです。この「魚が食べたい!」という純粋な気持ちを、何者にも邪魔されたくはない〜みたいな感じ?でしょうか...
いつも赤札の野菜と肉の炒め物か、豆腐類か、レトルトか冷凍食品か、麺類の繰り返しの食生活の中、やはりどうしても時々は魚や煮物を食べたくなる衝動が沸き起こり、その「食べたい!」という欲求くらいはどうにか工夫して妥協点で満たしてやらないと、自分の毎日の生活なんかは何の原始的な悦びも無い...それこそ “味気ないもの” になってしまうのでした。
一人で煮物を作るのは、過去には作り過ぎたりして腐らせたりして、結局この数年でも2回程しかトライしていません。しかし、魚はフライパンでもどうにか妥協点で焼ける様になったのでした。もちろん焼き網で焼いた魚や、キャンプの際に炭火で焼いた魚に比べたら、足下にも及ばない代物ですが、それでもムニエル風にしたり多少の工夫で「魚が食べたい!」という欲求くらいはとりあえず満たせるのでした。
話を戻しますとー
結局、閉店間際のスーパーに連絡し交換してもらいに行きました。その日の内にどうにかしてしまいたかったのです。
店のヒト曰く「国内産、つまり近海の秋鮭にはアニサキスという寄生虫がよくみられ、細心の注意をしているがどうしても身の隙間に隠れているものは見つけにくい。」「加熱処理すれば人体に影響は無いし、一日以上冷凍すれば死んでしまう。」との事。
こちらは時間と電話代と精神をすり減らして迷惑しているんだから〜!とも思いましたが、僕も元はかなりの釣りキチ三平です。山に住んで居た時すら渓流のみならず磯釣りに出かけていた位の釣り好きです。人も住まない標高の高い渓流で沢山のヒルにたかられたり、磯の魚の腹をさばいたら寄生虫が一杯出て来た〜なんて事は経験済みです。魚の寄生虫くらい、否、生き物の寄生虫くらいでそうジタバタして堪るか!みたいな気持ちも多少はあります。あるのですが....
結局、返金と選択可能でしたが、売れ残りの同じ2切れ入りの秋鮭パックに取り替えてもらい、以降の来店時に使えるサービス券なるものを貰い(苦笑)すごすごと帰りました。
東京23区の外れ閑静な住宅街の暗い夜道を、独りの長髪中年男が秋鮭の切り身2切れ入りパックを手に、10%割引サービス券2枚をポケットに、とぼとぼと歩く図を想像してみて下さい。....まあ、そうゆう訳です。(寂笑)
ところがー!!
取り急ぎ帰宅して、やはり気になり鮭の切り身をよく観察したところ...又居たのです。一匹。それも元気良く這い出して来ちゃったりして。頭なんか持ち上げちゃったりして...
溜め息でした。漫画で喩えるならばーおでこ真っ青で斜め斜線、キャプションはひと言「ガ〜ン !! ....」です。
「もういいや...」と思い、二切れとも冷凍しちゃいました。考えるのも嫌になってしまったのです。
ここで捨てないのが、ワタシです。1切れづつラップして冷凍したのでした。何も考えず、「捨てないのならとりあえずはこうするしか無い」とばかりにそうした、のでした。とりあえずその夜の闘いは終わった(笑)という訳です。チャンチャン。
結局その夜は、冷凍餃子とインスタントみそ汁を食べました。無難な選択とはいえ、やっぱり全然美味しくなんかありませんでしたよ...
*
ちなみに “寄生虫” に関してネットで調べたところー
アニサキスらしき其の寄生虫に於いてはスーパーの担当者が言っていた話はほぼ正しく、「60°〜70°以上の高温加熱か、マイナス20°以下の冷凍保存を24時間以上で死ぬ」そうで、しかし生きたまま人体に入ると胃壁を食い破るケースもあるみたいで。文字だけ読むと、或る意味では結構恐ろしい内容でした。近海の秋鮭に多くみられる。しかし新鮮さと美味しさで売れる物だから、塩蔵ではないものが出回る。かといって遠洋のものに寄生虫は皆無とは言い切れない。特に鮭・マス類やイカに寄生が多く、刺身で食べる際は注意。
たしかに以前、西伊豆に釣りに出かけた際、宇久須の黄金崎のキャンプ場で知り合った方からお土産にいただいた穫れたてのイカには、何匹も寄生虫がいた事を思い出したりしました。虫の外見はかなり違った様に記憶しているのですが....。あ、イカ自体は最高に美味かったです。
イカの場合は真水に漬け洗いすれば寄生虫は落ちるが、魚の場合は筋肉の隙間に潜り込むから見つけにくいみたいです。だから加熱か冷凍が一番無難。神経質になり過ぎたら何にしたって食べれないけれど、正確に知っていて損は無い知識だと、今回改めて思いました。
数年前に中古で買った冷蔵庫の冷凍室が、いったいマイナス何度まで下がるのかは判りません。アイスを入れたらカチンコチンに凍るのは確かですが...
もし彼等アニサキスが未だ筋肉の隙間に潜んでいたならば、どうなのでしょうね...マイナス20°以下にならなかったとしたら、何日冷凍しても生き延びているのでしょうかねえ?仮死状態で生きながらえて、解凍と共に復活!なんて...有り得るのでしょうか?SF映画は全く観ないのですが、なんかありそうな話ですよね...
「人間より下等な生き物だ」と人間が研究&判断していても、人間より太古より生き延びて来た “凄い奴” の1種ですし... 改めてそう考えてみると、ゴキブリやダンゴムシやシミやムカデ等に、或る畏怖or畏敬の念すらも浮かぶのはワタシだけではない筈です。知り合いの連れ合いの或る御夫人は蛾が大好きで、“毛虫の内から飼って孵化させては逃がしてやる” を繰り返していますし、逆に、カブトムシ等の“夏の甲虫以外の甲虫を室内で見ただけで一気に暗い気持ちになって寝込みたくなる”という方も居ました。皆、ヒトそれぞれ “ムチ使い” や “縄師” も含めて(笑ってね。)“色んな趣味・趣向”の御方が居て、どんなモノゴトに対しての見方・考え方にも “色んなドア” が必ず在る筈だろう。だからといって、ここでワタシが「寄生虫君って実はかわいいね...」等と愛しく思って飼うーなんて心理にはなりませんがね。
ちなみにワタシの娘が幼い頃、よくダンゴムシやカタツムリを沢山集めて飼っていました。家の中にいっぱい這い出して来て困るので一寸考えものでしたが、夢中になって喜んでいるので好きにさせておきました。彼女の中で何年間か、けっこう長い間そのブームは続きましたね。映画『風の谷のナウシカ』の王蟲(オウム)を観て「ダンゴムシだっ!」と喜んでいたものです。彼女は思春期に突入した今も、ミミズやダンゴムシは掌に乗っけて触ったり、車に轢かれて潰れて干涸びているミミズを見つけると、草むらや土の或る場所まで「つまんで運んでやって放り投げてやるんだ。アハハ....!」だそうです。
さて、鮭。
少しキモチワルさが薄れて食べる気になったら、解凍してちゃんと加熱して食べようかと思います。
何日も冷凍した上に、しっかり加熱でパサパサになって...きっと美味しくないかな〜
こんな小さな事件も、共有する相手が居ないと苦笑いにも笑いにも還元出来ずに、つい暗〜くなってしまうものですから、あまり気負い無く一気に書いてしまいました。キモチワルイ話題でしたが、まあ笑ってやって下さい。
もう自分では当分の間、近海の秋鮭は買わないと思います。(一応、“当分” としておきます。何故でしょうか、弱気なワタシです。)
夏の終り、閑静な住宅街の暗い夜道を、魚の切り身それも寄生虫付きを手に、一人とぼとぼ歩くのは....ちょっとね...
じゃあ、夏の終りじゃなきゃいいのか?閑静な住宅街じゃなきゃいいのか?昼間明るい時間帯ならいいのか?.....そういう問題じゃないですね。
じゃあ、一人じゃなきゃいいのか?...もしかするとそうゆう問題かも知れません。何故なら天の邪鬼なワタシはきっと、他のヒトが騒げば「ああ、こんなの平気平気!よくあることさ。」なんて嘯いて「でもやっぱりキモチワルイね。」なんて呟きながら、他のヒトが嫌がって食べないのならば全部一人で食べてしまう様な〜そんなニンゲンかも知れないからです。
そうなんです。実の処はそんな程度なのかも知れません。自分の感覚や感情なんて、その時々で揺れ動き移り変わる曖昧でテキトーなもの.....
「絶対無理、受け付けられない。」なんて宣言していたヒトが、丸っきり変わってそれが好物になってしまったのも見て来ました。逆に、ある事に対してそれまでは何ともなく、むしろ喜び勇んで食べていたヒトが、或る日似た食事中に突然発作を起こし救急車で運ばれてしまったのも見ました。以降そのヒトはそれら似た食材に対して拒絶反応が酷く、湿疹のみならず呼吸困難まで起こす程のアレルギー体質となってしまいました。ワタシも食べ物を越えて広く考えてみると、そんな両方の変化を少なからずして来ました。
肉体と精神はいつだって微妙に絡んで、変化しているのですね。動いているのです。だからこそ、何かを、誰かを、“思い込める瞬間” が貴重でもあり、愛しいのです。経験を重ねるに従って、なかなか “思い込める” ことなんてないのが現実ではないでしょうか。瞬間思い込めても、次の瞬間には客観したり迷いが生じるーそれが現実ではないでしょうか?だからこそ、その積み重ねを捉えるしかないのだと思う訳です。
ヒトは “虫の知らせ”とか、虫が好くとか好かないとか、目に見えない “気” の様な何かを虫に喩えたりしてきました。ワタシ達一人一人の人生の隙間に息を潜めて潜む虫が、そんな好い虫だといいですよね。
*
一応今回の題は 『隙間に潜む虫』 でした。
そうですね〜ワタシがもしも映画にするなら....(注/あ、まあ、するならばーの勝手な妄想ですがね....)ポスターは思い切ってピンク・ヌーヴェルバーグ的にしたいなあ。寄生虫とロマンポルノのどこか退廃的な色っぽさ。このアンバランスさがいいんじゃないでしょうか?
監督は世紀末直後の頃の瀬々敬久で。『雷魚』の頃のトーンがいいかな。大塚寧々主演で、母親に宮下順子、脇には、ぜひ烏丸せつ子と美保純と渡辺真起子。友情出演っぽく大楠道代。(なんだか〜唯単に好きな人を並べているだけかも知れませんね...)
“寄生虫” をキーとして、でも虫を語りたいんじゃなくて、誰もの中に "ドウシヨウモナイ虫" が居て、どうにか飼ってゆくしかないーみたいなのがとりあえず核かな...。時間軸が微妙に重なる様な層構成で。お涙頂戴的な人情劇には決して流れない映画。でもいい意味で重い。でも硬いばかりじゃなく、さりげなく柔所もある。だから演技の上手さより、滲み出る ”匂い” のある女優、声に味の在る女優じゃなきゃ駄目。トーン低めで。香水的な匂いではなく、其のヒトの癖のある、元々備わっちゃってる体臭色香。花の香りなんかじゃない、生き物の”匂い”。
男優は昔の森本レオをとことん悪役っぽく使いたいね。SABUとかギリヤーク尼ヶ崎に普通の人をお願いしてみたいな。ピエール瀧も頑張ってくれそう。光石研は欲しいかな。超脇役で石橋連司には出て貰ったら超贅沢だなあ〜。
ああ、こんな配役じゃ濃過ぎるかなあ〜。でも若い俳優で売れてるヒトは使わないで、新人を使ってあげたいね。浅野忠信や蒼井優が幾ら好きでも、今は未だ未だ若いオーラが強過ぎるね。あと、上手過ぎる。あと、彼等は個人的に “好き過ぎ” だから、冷静にいじれそうにないし。そうゆうもんだよ、ヒトは、あ〜ワタシは弱いんだから。 そうそう、マイク・リー監督の姿勢が素敵だと思う。『人生は、時々晴れ/All or Nothing』なんて、なんて素敵な映画かと思う。こうして予算とか無視して子供みたいに空想したって、まだまだ頑張ってる無名の新人を鍵握る役で使いたいと思うな。賭けだね。でも、客寄せ的に顔が売れてるアイドルや俳優を使うなんて最低の話だよ。採算勘定したってさ。
台詞やテロップでは一切説明しなくて、日常の風景や使い古しの小道具が静かに散りばめられ、そういった台詞無しの場面が語りすぎない程度に語る。演出は大袈裟でなく、構図的な問題以外は先ずは演者に好きな様に演ってもらう。演者だとしても、紛れも無くそのヒト自身が演じている訳で、言い換えればそのヒトの生き様が出なければ、その俳優も即ち映画も活きては来ないと思う。配役した時点で自ずと決まっているという事だろう。後は映画って、編集段階の妙でいかようにも成る部分が大きいと思うし。編集は映画の出来不出来の半分くらいを占めるんじゃないかな...
音楽はECM系とメジャーのと両刀使い。音楽だけは国産なんてこだわらない。あくまで音として捉えたいな。ただ、全編に流すのは完全に趣味じゃない。劇中の室内放送やラジオ等のBGMや、役者の鼻歌も含めて、あくまでさりげなく使いたい。気が付かれない位でいい。“寄生虫” もまた、水分が無ければ生きられないだろうし、イメージ的にも湿り気を帯び粘着質な感じを受けるので、水の音は上手く使いたい。雨や川の音のみならず、ヒトの肉体や、家事全般、生活の音の随所に水の音が在ると思う。全ての生き物は或る意味、水分で保たれている訳だし。また、その事を存在自体で感じさせる女優が、上記の方達なのかも知れないとも思う。
随所に話に絡んで出て来る虫が、観ている内に可愛くさえ感じれる様な... んな訳ないか〜!
ところでストーリーは? あ、今回は辞めます。
最後に大きく話が外れてしまいました。
この季節、赤い身の “隙間に潜む虫" にはお気をつけ下さい。
きっとアナタの隙間にだって...
(只今の脳内ミュージック/RADIOHEAD "No Surprises" )
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