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66. ドウター [日々雑感『本日もまた混沌と』]

娘が泊まりにやって来た。
今、美容院?美容室?に行っている。

半分はワタシが育てた娘。おしめを替え、暇さえあれば背負子に入れて、野山や渓流を連れ歩いた娘だ。
一緒に鹿やキツネやウサギに逢い、ヘビやトカゲを捕まえ、魚を釣り、かなり危険で美しい場所に立ってきた。
彼女はよちよち時分から、絵の具や道具で勝手に遊び、楽器に触れ、裸足で犬猫とじゃれあって育った。
その娘がすっかりデカくなって、この春で中学3年になる。なんと受験生だ。
ロックと映画や演劇が大好きで、部活は陸上。超忙し〜(笑)日々を送っているみたいだ。本人からそのハードさを聴いて、ワタシには到底こなせないなあと思った。

子供の成長が未だに信じられないまま、時間だけが過ぎてゆく。置いてけぼり感が常にある。
ワタシは未だに食べることもままならない生活で、そういった意味では進歩というものがまるでなく、停滞どころか、もしかすると "沈殿" し始めているかも知れないのに...

       *

離婚によって遠く離れて暮らす様になり、既に3年が過ぎる。
それでも初めの年から、1年に2回は会いに来てくれる。
こちらが東京に居るという事も、子供にとっては訪ねる気になる理由の一つみたいだけど...
でもありがたい。
どんな悦びより、重く、そして静かだ。

本音を言えば、娘を思うと自分を責めない日は無い。
街で家族連れを見ても、学校帰りの子供を見ても、若者を見ても、ことあるごとに振り払っている感覚がある。
或る程度の域からは考えない様に、触れない様に、見ない様に過ごして来た。
それでもことあるごとに引き戻される。特に電車内等の近距離で幼い女の子に遇うと、アウトである。
考えても仕方無いことだと、片方の冷静な頭で考えても、振り払おうにも身体の奥の方から、背中の方から、或る烙印の様な “影” が覆い被さってくる。
『北の国から』の当初のテレビドラマ第3話だったか...富良野を去る少年・純に大滝秀司が言った台詞「おまえは逃げるんじゃぞ。ここから逃げてゆくのじゃぞ。それだけは、忘れるんじゃない。」
立ち止まったり、夜になると、こんな声が聴こえてしまう。
だからといってずっと起きていてずっと走っていたら、足に怪我をして入院してしまった。
だから最近は少々開き直って居るのかも知れない。
端的に云う処のネガもポジも、その間のなんやかんやも、「全部抱えていくしかないよなあ〜。向かって行く先はおんなじなんだから...」等と思っている。

なのに、誰と会っていても何をしていても、今ひとつ夢中になれない。歳(経験)をそれなりに重ねての冷静さとは違う気もする。
これは叫びたくなる、でも決して叫べない "澱" の様なカナシミだ。
労働で怪我をしても、酷い風邪に寝ていても、罰を受けている様な気持ちになってしまう。
自虐や自己嫌悪にハマるのは後ろ向きでしかないーと思い直し懸命に自分に言い聞かせても、どうしても駄目な時、最悪な精神状態に陥ってしまう。
酒量もかなり増え、煙草も復活してしまった。独りになって滅法意志が弱くなった。内弁慶だったのか?
自炊はしているが、しょっちゅうデタラメになる。第一、食欲というものがあまりワカラナイ。以前は食べる事がとても好きだったのに。
だから今は、“欲を機械的に淡々とこなしている” そんな感じだ。
時々思う。全部シゴトみたい、労働みたいだ、と。
美味しいとか、楽しいとか、嬉しいとかーそんなシンプルな悦びは、ひとたび共同生活の歳月を味わってしまうと、後がこんなにも無機質になるとは... 想像を超えていた。

        *

ここ数日は違う。
食べることも、歩くことも、話すことも、寝る事も愛おしい。
内容より、共に過ごしているその “時間” が愛おしい。
年頃の娘は何しろ生意気だし、会えば毎回、軽い喧嘩もする。元妻に似て短気で、怒ると声がでかい。
しかし娘とはいつだって「時間が勿体ないから仲直りしよう!」と、不機嫌でも握手も仕合える。ギャグも入れられる。入れた途端にギャグ合戦になったり出来る。これは大切なことだとしみじみ思う。
猿の様な赤子の時点から関わった分だけ、何も言わないで一緒に居て苦痛じゃないからいい。本人もそう言っている。(言ってくれているだけかも知れないけれど...)

静かな "時間の共有" は、金や物で買えないのだね。何ものにも代えられないのだね。
ましてや、片側だけでの思いや努力じゃ作れないんだ。
以前、会話の流れで「昔からお父さんらしくないし、駄目な奴だから...まあ仕方無いかなって思ってるさ!」と言われてしまった。
それは自分でも分ってはいるけれど、聴いた時はギョッとしたし、とほほ...って絶句するしかなかった。
結局しかめっ面で笑ってしまったが、後で独りになってから極めて複雑な気持ちがした。
何故なら、娘も色んな思いを込めて言ったと感じたし。

今回は何を怒られるんだろうか...?
でもその内、否もう直ぐに、相手にもしてもらえなくなる日が来るのだろう。思うだけで寂し過ぎる。

        *

この世は無常。
サバンナも人間社会も強いては弱肉強食で成り立ち、大小の差はあれど私利私欲に無関係な者は居ない。ワタシは違うと誰が言えるだろうか?
感情や理性なるものが働くわれわれは、時には自分に都合良く時には周りに翻弄されながらー自分の人生時間を潰すのにー苦労苦心してもがく。富豪も貧民も、老若男女が皆が、もがく。
この国ならきっと誰もが、最後は赤の他人に!真っ赤な炎で焼かれて、唯の灰に成るというのに...

何を考えたり、したりした処で、最終的にはー
娘がそれなりに健康無事で生き抜いてくれたら...と、日々そう願うばかりだ。
願うしか出来ないし。

真剣にそう思える相手が居る自分は、そういった意味では幸せだ。
挫けそうな時には、そう自分に言い聞かせる。
大切な人の笑顔や健康なくして、世界の平和も、自分のライフワークも、へったくれもないー少なくとも今の自分はそう思う。遅いけど...
昔から家庭に縁の薄い自分にも、娘という絶対的な祈りの対象が、相手が居る。元気に居てくれている。
だから、どうにかこうにか、紙一重で人生をやっている。


そんなもんだ、ワタシ。



        (只今の脳内ミュージック/ANTONY & THE JOHNSONS "Hope There's Someone" )



MMEREDITH MONK ジャケ一部.jpg







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