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68. 服ヲ着セテ貰ヒ漬ヶ物ヲ欲ス [日々雑感『本日もまた混沌と』]

先日の土曜日。
前の患者さんの手術が長引き「現在、先生は休んでおられます。」とかで、ワタシの右手血管腫切除の手術は予定より1時間遅れで始まった。待っている間の時間の経過はとてつもなく長く感じられて、日常感じられない異様な緊張から逃れられなかった。持参した本はまるで頭に入らず、活字と活字の間を追っているーそんな感じがした。
壁に飾ってあったーあれは元患者の治療回復の御礼の絵だろうか?ー何枚かの水彩画や油絵の中で、ワタシは猫の絵を見ていた。それはおそらく銅版画の上に筆で薄く着色した山本容子風の絵だった。猫は虎キジ猫で、絵の真ん中でこっちを見ていた。静かな絵だった。
手術に至る半年間の顛末は、又いずれココに載せたいと思う。今回の割と珍しいという症状や体験も、もしかしたら誰かの何かの参考になるかも知れないし。でも今回は先ず、一番記憶に残ってしまったことを書こうと思う。それは患部の肉の痛みではなく...このタイトルの様に “着せてもらった” ことであった。

今、右手は手首10㎝上から指付け根まで包帯等でぐるぐる巻きだ。術後一日おきに診察に通っていて、経過は「マアこんなものでしょう。」だそうで、生活はのろのろとどうにかこうにかやっている。不便で仕方無いが、この様に、そろそろ気持ちも外に向かって来たみたいだ。唯、右手指は動かすと痛むので、ゆっくりぽちぽちとパソコンのキーを打っている。だからもの凄く時間がかかる。指先が冷たくて仕方無いので、さすりながら、休み休みだ。どうせなら楽しんで書きたいと思う。

        *

手術後、看護婦さんに服を着せてもらった。何故なら右手が全く使えないから。
脇の下に麻酔を打ち、右腕は肩から先がぶらんぶらんだった。まるで自分とは別の物体。唯のモノの様だった。それは意外な程にずっしりと重く、そしてヤケに大きく感じられた。とにかく異様な感じがした。左手で自分の右腕を持って「どうしよう?どうしよう...」と思案に暮れるオトコ。....そんな感じだった。
服を着せてくれたのは...中肉中背で、髪を軽く染め、見るからにふやけていないキリッとした表情の “シゴト出来ます” みたいな感じが滲み出ている看護婦さんだった。年齢は30後半位だろうか。彼女の服の着せ方は、決して丁寧とは言えなかった。表情や言葉は柔らかくとも、動きはせかせかと “急いで済ませちゃえ” みたいな着せ方だったし、独身なのかな?一寸遠慮がちな気がした。着せてもらうのは非常にアリガタイんだけど、正直ごぼごぼだったんだ。ごぼごぼ...。この感じ、読者に伝わるだろうか? 特に腰回りが気になる位に、ごぼごぼに溜っちゃっていた。
これは薄着のヒトにはワカラナイ感覚だろう。けれど、ワタシは若者ではないから結構着込んでいる訳で。若い時分は超薄着だったけど、もう駄目だ。“冷えは万病の元”ーこれが人生のモットーなくらいだし。だから、お気に入りのヒートテックを着ていても、上着の下に2枚も重ね着とかしている訳で。ジーンズの下に7分スパッツ履いてる訳で。それでも事前説明で医者から「なるべく袖口のユルい服で来なさいね。」と言われていたので、自分なりに考えた末の服装だった。それにそこまで細かい説明は聴いていなかったから、まさかまさかパンツ一丁まで服を脱いで専用の患者服?を着たりするとは予想していなかったのだ。
(以降、手術後に着替えさせてもらっている際の会話)
「あ、すいませんねえ。」とワタシ。
「右利きですよね?当分不便ですね。両手使えないと、なかなか服着たり出来ませんからねえ〜」と笑顔で看護婦さん。
「着方とかあったら言って下さいね。」と真剣な顔で看護婦さん。
「あ、別にこだわらないです。適当にお願いします。」「外に出た時、通報されない程度にちゃんと着せて下さい。」と調子に乗るワタシ。
笑いながら「了解です。じゃあ、通報されない様に気をつけて着せますね。」と看護婦さん。

ワタシは手術台から二人の看護婦さんに起き上がらせてもらい(自分で起きれない程に脱力していたから)、血や消毒液の付いた脱脂綿等が未だ片付け切らない手術室をゆっくり横切る際に、一度振り返った。振り返ってゆっくり見回した。今迄自分が “まな板の上の鯉” 状態だった手術台や部屋全体を眺めたんだ。この目に焼き付けておきたかったからだ。出来れば、もう二度としたくない経験でもあったからだ。
少し興奮していたのかも知れない。身体は鉛の様に疲れていた。極度の緊張から開放され、横になりたかった。
「いやあ、服を着せてもらえるなんて、何だか恥ずかしいもんですね。」「でも、少し嬉しいなあ...」とワタシ。
「ふふ...。そうですかあ?」「喜んでもらって嬉しいですねえ。じゃあ、堪能して下さいね!」笑顔で看護婦さん。
看護婦さんは、やはり慣れている感じだったけれど、時々目を合わせて微笑んでくれた。相手はシゴト。でもワタシは服なんか着せてもらった過去の記憶は無かったから、一言で云えば嬉しかったのだ。他人に世話をしてもらうリアル。世話をしてもらわねば服も着れないリアル。なんだか少し涙腺が緩みかけた。
ワタシは看護婦さんに冗談を言ったせいか、「お強いヒトなんですね。」と言われてしまった。本当は夕べ眠れない程気が弱い小心者なのに。誤解されてしまった。

執刀してくれた院長先生から術後の説明で「3-4時間は麻酔が効いていてこの状態だからね。」と言われた。「なるべく三角巾で吊った状態で、患部を心臓より高い位置にしていなさい。」と言われた。「麻酔が切れたら痛みもあるだろうけど、アナタは禁忌薬が多いから痛み止めは出さないよ。アナタはこの様な傷の痛みには慣れていると言うし、いいね? マア〜我慢しなさいな。どうしても我慢出来なきゃそこら辺にある頭痛薬とか飲みなさい。常備薬ある?」と言われた。
「ハッキリグリーンとかあると思います。」
「あ、それでいいから。平気平気!大した事無いから!」
乱暴な口調でラフを装いながらも、優しく良い先生だったと思う。通い出した初めは、彼の声のデカさや雰囲気に慣れなかったが、ワタシは単純だ。今日、手術台に寝転がり、もう本当に医者に任せるしか無い土壇場になって、もしかして初めてこの先生に「頼みます...」みたいな気持ち一つだけに成れたのだ。
真上にはどでかい照明があって、顔に「しぶきが飛ばない様にカバーをかけるよ〜」と被せられ(いったい何のしぶきなんだ?血しぶきか⁈えぇ〜‼って焦ったけれど)脇の下に麻酔を打たれた際... それは針を刺した痛みより、指先迄びくんびくんと麻酔が廻る痛みの方が強く、でも「たすけてくれえ〜」みたいな弱音を口に出来るワケもなく、なんて云うのかな...もう全部投げ出すしかない、“肉体のみならず精神ごとお任せ状態” になったのだ。
日常ではなかなかココ迄の肝は座れないものだ。常にどこかしらで自意識なるものが働いている気がする。それでなくともワタシは双子座のAB。過去、どんな修羅場でも、熱っぽい場面でも、常にもう一人の自分を客観している冷めた人格を抱えてきた。時にその資質が歯がゆく、色んな意味でバランスの良くない自分を嫌悪している。以前「そこを治さないと幸せになれないよ。」と某イラストレーターの友に言われたが、改善はみられない。

(話を土曜に戻そう。)
手術の直前に初めて気が付いた。いつもとは違う服を着た先生の首に、大きな縫い跡があることに。それは決して自分で縫ったんじゃないだろう、誰か他の医者に手術してもらったのだろうなあと思った。先生もイロイロ抱えていて、今こうしているのだな〜と思った。
そうしてワタシは右肩先から何も感じなくなり、厚いガーゼの様な布の中から外の世界をぼぉーっとうかがって寝ているしかなかった。そこでは今まさにワタシの身体が(聞いたところ予定では)9cm程切り開かれ、それを二人の医者と二人の看護婦が覗いている。ワタシの、異常があるという身体の中身を。ワタシが知らないのに。変な気持ちがした。
手術は45分位で、思ったより長かった。途中何度も鞄を意識した。鞄の中には御守りのカミサマが入っていた。それは丁度10年前に、娘が石粉粘土で創った高さ5cm程の人形だった。ワタシは当時オブジェと絵と半々の創作をしていた。その横で何やらゴソゴソと娘は遊んでいた。当時「コレ何?」と尋ねると彼女は「カミサマだよ。」と言ったのだ。そのカミサマは前と後ろに顔があって、お腹に(カンガルーみたいに)子供を抱えていて、フジツボみたいな台から生えていた。その独創性に正直驚いたんだ。感動したと言った方が正しいかも知れない。とにかくそのカミサマはワタシのお気に入りだった。それを知っていて、この正月に持って来てくれたのだ。でも自主的にではないよ。「あのカミサマくれないか?」と頼んだら、軽く「いいよっ」と持ってきてくれた。そして夕べ、プチプチ(エアーキャップ?)に軽く包んで、鞄の底に入れて来たのだ。
それ位.....器用だけが取り柄のワタシにとって、右手の手術は不安だったし、正直怖かったんだ。

        *

駅迄の帰路、どうしても煙草が吸いたくなり、コンビニの駐車場で一服した。
緊張から開放され、三角巾で吊った腕の重さがきつく、首と肩がコリコリだった。喉がカラカラだった。
マイペットボトルを持参していたけれど、左手だけじゃ開けれなかった。股に挟んでどうにか開けて飲んだその梅酢ジュースの旨かったこと!胃がきゅるきゅる鳴った。パンでも買って食べようかとも思ったが、なんだか味の濃いものや出来合いのものは食べたくなかった。身体がそう訴えていた。
ふと、炊きたての米に野沢菜の山葵漬けが食べたいと思った。
細身の大根の甘酢麹漬けが食べたいと思った。
繰り返し霜が降り、コワさ(歯ごたえ)と甘みの増した法蓮草や小松菜のおひたしが食べたいと思った。

地菜や根菜の、程よい塩っぱさと甘みと苦みのある、しっかり歯ごたえのある漬け物やおひたし。
いくら願ってみたところで、アノ味は二度と口にすることは出来ないだろう。
ワタシは母親の漬け物の味等まるで知らないし、盆や正月に帰る故郷が無い。恋しい漬け物の味は、以前10数年暮らした山村の隣近所のお婆さん達お手製の味だ。毎年本人達いわく、昨年より塩っ気が強いだの甘過ぎただのと厳しい自己評価はあるものの、ワタシにしてみれば肉や洋風の調味料こってりの料理より遥かに贅沢な、決して自分では真似出来ない(作れない)味だった。ちょっとした畑仕事や用事を手伝う御礼に、年中それを食べていたのだ。
今思うとー其処ではお金なるものは動かずに、手間や労力や知恵だけが交換されていたのだった。
食べたい漬け物は何処にも売ってはいない、KさんやYさん自家製の言うなれば山村の “隣近所の味” だ。ワタシの味覚や嗅覚だけが覚えている味。金を出しても買う事は出来ない。金を出したら逆に怒られてしまう。
ワタシはそんなお婆さん達に挨拶もせずに、あの村を出て上京したのだった。どうしても挨拶に行けなかったのだ。
ワタシは当ブログカテゴリーに『みんな途中』との題を付けて、以前ソコにY婆さんやKさんの話も書こうとしたが、どうしても書けなかった。後になって娘から聞いたのだ。ワタシが村を出た当時、元妻と娘から事情を聞いて、婆さん達は絶句していたと。特にYさんは目に涙を溜めていたと。
あれからKさんはすっかり膝が悪くなり寝たきりだそうだ。Yさんはホスピスに入ったと聞いた。また一軒、あの村に空き家が出来たのだ。
(すっかり話が外れてしまった...それに、やっぱりこの辺りは中途半端にしか書けないものだ...)

都会からおよそ特急列車で3時間。駅から徒歩(健脚で)40分。車ならば(勾配の有るカーブの連続に慣れている者で)8分。標高は700〜900m。
この時期の東京との平均気温差は約10〜16度。既に日中でもマイナスの日があるだろう。
家々の北側の日陰では、そろそろ吹き込んだ雪が少しづつ根雪となろう。
星の見える夜には、獣の声がやたらと近くなるんだろう。そして、室内の暖房に乾燥した材木や継ぎ手が突然ピシっ!と鳴り、それに飼い猫がピョンと驚いて思わず毛を逆立ててるんだろう。
夜中の間にカチンカチンに凍り付いた田畑の土が、翌朝は陽に照らされてキラキラと光るんだろう。少しすると地熱も上がり、その水蒸気が靄となって漂い、直に谷風に吹かれて散らばり消えてゆくんだろう。
ワタシは都合がいい。弱っている時には、美しいことばかり思い出す。
おでこの裏側辺りに、絵になって浮かぶのは、そんな景色や出来事ばかりだ。
都合が良過ぎて、自分で笑ってしまう。笑うしかない。

           *

辛かったことも、楽しかったことも、過ぎてしまえば唯の経験だ。
それにぶつかったり、それをしたり、それをこなしたり、それをやりすごしたり...いずれにせよーその時間その経験をして “自分の道を歩いた”ー だけのこと。そう願い通りにはいかないのが人生だ。受け入れるしか無いことは沢山あるもの。同世代や周囲や “世の中の流れ” 等という曖昧なものと自分の歩みを比較したところで、安っぽいポジティブ志向は産まれても、比較から産んだソレはいずれ又直ぐに崩れ去るものだ。幾つも抱えながら、その場にどうにかギリギリでも適応してゆくことが “生を選ぶ” こと、イキルということかも知れないーなんて思ったりする。正月に『アダプテーション』を観て、改めて勉強したばかりだった。

怪我だって病気だって、とりあえず生活出来る迄の回復さえすれば、過ぎてしまえばみんな思い出だ。
肉体に傷や後遺症が残っても、未だワタシのヘルニアや骨折や縫い傷位の痛みなら、どうにか抱えてやっていける。やっていくしかないし!だって...身体の痛みは或る意味単純だ。耐えればそれなりに慣れてくるし、治癒も夫々だ。若かりし頃の肉体や、元通り100%を望んでいたら、不満は増すばかりだし。
その時々の味ってのが在るだろうよ。負け惜しみでもいいんだ。他人が何と思おうがいいんだ。責任はいつも自分にある訳だし。したことも、しなかったことも、みんな自分に返ってくる。大事なのは(或る言い方をすれば )“自分とどうにか折り合いつける” ことでしかないんだと思う。“言い訳” って意味じゃない。酸いも甘いも抱えて、みんな抱えてゆくしかないーそんな感じ。『アビーロード』のラスト数曲を思い出せばいいのさ。
(ま、自分に言い聞かせている訳で...)



服ヲ着セテ貰ヒ...何故だか無性に、土や木々の匂いが懐かしくなった。
あの漬け物が無性に食べたくなった。
食べたいのに食べれない。きっと、もう二度と食べる事は出来ないんだろう...
「でも食べたいんだっ!食べたいんだよぉ〜」と大の大人が人前では叫べないから、ココで言う。言わせてくれ。


ちなみにー
既に、服は、まともに、自分で着れる。
もう誰にも着せてもらえない。
少し寂しい。
傷口がぴりっと痛ヒ。




           (只今の脳内ミュージック/TORTOISE "I Set My Face To The Hillside" 


バス車内の吊り革.jpg

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